永久の調べ


永久の調べ 4

 

 青年が目を覚ますと、枕元に自分を迎えに来た天使がいた。

「気が付いたか。気分はどうだ?」

 まるで医者のような口調で、天使は青年に問い掛ける。

「…ええ、気分はいいです、とても…」

 問われるまま、掠れた声で青年は応える。

実際、病に倒れてから常に身体に纏い付いていた苦痛は消えている。

 天使は満足そうに頷く。妙に人間臭い仕種だ。

「よし、痛み止めは効いたみたいだな」

「…痛み止め…?」

 天使の言葉に青年は眉を顰める。

 

ここは死後の世界ではないのか……?

 

そう思いながら、ゆっくりと起き上がろうとする。そのとき目にした自分の腕は、今までと変わらず痩せ細っていて、起き上がろうとする彼の意思に反して、青年は上半身を起こすことさえできなかった。

 

いつもと同じ感覚……

 

青年は目だけを動かして周りの様子を見る。

見慣れたベッド、見慣れた部屋、そして…

「ルイ様…」

「…カトレーヌ…」

 見慣れた彼の乳母の姿が目に入る。

彼女は辛そうに涙ぐんでいる。

彼が倒れて以来、頻繁に彼女が見せる表情。時に鬱陶しくてならなかった表情だ。

その乳母は涙ぐみながらも、彼の枕元にやって来て、起き上がろうとする彼を助けようと、その身体を支えた。

 

 そうか……

 

 カトレーヌに助けられてやっと上半身を起こしながら、ルイは声に出さずに呟く。

 死はまだ彼に訪れてはいなかったらしい。

 

 まだ、苦しめということか。

 

ルイは軽い失望を抱く。

 

しかし、それも仕方ないことか……

 

 ルイは唇を僅かに歪めて苦笑する。次いでその笑みを消し、無表情になると、枕元に座る人物を真っ直ぐに見た。

「貴方は誰です?」

(さき)桜花(おうか)

 相手もルイの目を真っ直ぐに見詰め返して簡潔に応える。

 横からカトレーヌが口を添える。

「旅をなさっているお医者様です」

「医者…?」

 その言葉にルイは少なからず驚く。

(わたくし)が難儀していたところを助けて頂きまして…」

カトレーヌの語るこれまでの経緯を耳にしながら、ルイは目の前の人物を改めて眺める。

おそらく、少年…であろう。人間臭いのも当たり前だ、正真正銘の人間なのだから。ルイより二つ年下の十七歳であるという。

しかし、彼が天使と見間違えたのも無理はない。人間離れした美貌の持ち主である。

微かに青味を帯びた銀髪と限りなく透明に近い水色の瞳は、清らかで澄んだ印象を人に与える。

咲桜花という名は、語感から察するに東洋の名であろう。なるほどその美しい顔立ちは東洋の血が混じっていることを感じさせるものだ。しかも、西洋、東洋の何処の国であろうとすんなりと馴染み、同時に何処の国の人間からも、きわめて美しいと評されるだろう顔立ちである。

十七だという年齢の男性にしては、骨格が華奢でたおやか過ぎ、女性にしてはいささか丸みに欠ける身体つき。一見して、とても医者には、いや、人には見えない。

しかし、ここが死後の世界ではないこと、この少年の薬が効いていることから判断して、少年がその見掛けに反して優秀な医者であることは間違いない。

その結論に達して、やっとルイは口を開いた。

「有難うございます。貴方の薬はとても良く効いたようです。こんなに楽な気分になったのは久し振りです……あぁ、申し遅れました。(わたし)はリューイガルドと申します。この町の…領主です。どうぞルイ…とお呼び下さい……桜花様…でしたね。謝礼はいかほどお支払いすれば宜しいでしょうか…といっても、領主とは名ばかりで、この通り、落ちぶれておりますので、充分な御礼はできないかもしれませんが…」

 静かに型通りの礼を言ったルイに、桜花は応える。

「あぁ、金は要らない。俺はないところからは金を取らない主義なんだ」

 綺麗な澄んだ声で、ざっくばらんに話す桜花の口調に内心驚きながらも、ルイは言い返す。

「しかし…それではこちらの気が済みません。お金が要らないと仰るならば、何か他のものを…どんな小さなことでもいい、何か、お望みのものはございませんか?」

 礼儀を欠いてはならないと食い下がるルイの言葉に、桜花はやや首を傾げるようにして腕を組み、少し考える仕種をした。

「そうだなぁ……じゃあ、お言葉に甘えて。三つ、頼みたいことがあるんだが」

「ええ、宜しいですよ。何なりと仰って下さい」

 ルイの返事に桜花は頷く。

「うん、じゃあ一つ目。実は俺、ここに来たばかりで、今日の宿も探していないんだ。だから、しばらくの間、この屋敷の一部屋、玄関や調理場の隅でもいいから、泊まる場所を貸して欲しい。宿代はきちんと払うから」

「そんなことで宜しいんですか?もちろん、宜しいですよ。この部屋以外は使っておりませんし、広さだけはありますから、玄関、調理場などと言わずに、どうぞお好きな部屋をお使い下さい。宿代は要りません。ただ、寝具も何も置いていないのですが…」

「あ、それは大丈夫。屋根があれば充分だから」

「ルイ様、私の家から必要なものがあれば、持って参ります」

 二人の会話を聞いていたカトレーヌが口を挟む。

「ああ、悪いな、カトレーヌ。頼めるかい?」

「はい」

「別に変な気は遣わなくていい。本当に部屋を貸してくれるだけで充分だから」

 桜花はそう言ったが、カトレーヌはもう、泊まるのに必要なものを取りに、この部屋を出て行ってしまった。

「それで?二つ目のお願いは何でしょうか?」

「あぁ、二つ目ね」

 カトレーヌが出て行った扉の方を見ていた桜花は、再びルイの方に向き直る。

「二つ目はあんたのその言葉遣いについてだ。俺に丁寧語は使わないでくれ。同年代の奴にですます言葉で話し掛けられると、居心地が悪くて仕方ない。俺もそういった言葉は使わないから、なるべくあんたも使わないでくれ。俺を呼ぶときも、呼び捨てでいい」

 桜花の言葉にルイは目を丸くする。

「それが二つ目のお願いですか?」

「そう」

「あまり御礼にはならないお願いですね…分かりました。…いや、分かったよ」

 桜花の視線を受け、二つ目の頼みを承諾したルイは、今までの言葉遣いを崩す。

その様子を見て、桜花は微笑んで満足そうに頷く。

 何と無邪気な笑みであることか。

その笑みも、細い身体も、とても自分と二歳しか違わないとは思えない。

しかし、その無邪気な笑みの透明さは幼さを越えて、人間離れしたもののようにも見えた。

「じゃあ、三つ目の頼みだ。これは絶対に聞き入れて欲しいことなんだが…」

 その言葉にやや身構えたルイに向かって、桜花は無邪気な笑顔のまま、最後の願いを口にする。

「しばらくの間、俺の診察を受けること。これは嫌だって言うなよ」

 ルイは一気に体の力が抜けるような気がした。

医者であれば、当たり前の頼みである。

 

しかし、これは普通、患者の側から頼むことではないのか……

 

彼の口にした三つの願いはどれも御礼になるものではない。

「…分かった…貴方はつくづく欲の無い人なんだね……」

 半ば呆れつつそう言ったルイに、桜花はにっこりと微笑み、

「では、承諾を得たところで。後でもう一回、改めて診察させてくれ」

と、言った。



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