永久の調べ


永久の調べ 11

 

 弟と共に馬車に再び乗り込もうとしていたバーンスタインは、玄関の扉の開く音に振り向いた。

桜花(おうか)様…」

 玄関から出てきた桜花は、薄い水色の瞳でバーンスタインを真っ直ぐ見詰める。

 

 このような瞳は苦手だ……

 何処までも澄んだ瞳は嘘や誤魔化しを許そうとしない。

 

 内心の不愉快さを他所に、バーンスタインはにこやかに相手に問い掛ける。

「何か御用でしょうか?」

「俺たちの身体の面倒も見てくれる訳か?」

 背後にいるウルリックがからかうように言う。

 桜花はちらりと彼の方を見遣っただけで、その言葉を容易く無視し、兄の方に向かって口を開く。

「あんたに一寸話がある」

 ウルリックが顔を強張らせる。

 警戒心を強めながらも、バーンスタインは穏やかな表情を崩さない。不自然にならないよう言葉を紡ぐ。

「ああ、そうでしたね。カトレーヌが言っていました。しかし、この場では何ですので後日改めて…ということにして頂けませんか?」

「大丈夫だ、すぐ終わる」

 桜花はバーンスタイン兄弟の顔から目線を外さずに例の薬壜を取り出して見せる。

「話というのは、この薬のことだ。これはあんたがカトレーヌに渡していた物だな?」

「ええ、薬学に優れているというお医者様のところへ行って、貰って来た物です」

「それはおかしいな。薬学に優れている医者がこんな薬を渡す筈がない」

 青ざめて顔を強張らせ、明らかに動揺しているウルリックを目の端に捉えつつ、桜花は言う。

「…何を仰りたいのです?」

 弟ほど素直ではないバーンスタインの表情からも、僅かな焦りが窺える。

 そんな二人に桜花はきっぱりと言い放つ。

「薬学に優れている医者が、いや、例え優れていなくとも、毒を薬として渡す筈がない、ということだ」

「その薬が毒だと仰るのですか?」

「そう。飛鳥草(ひちょうそう)の葉を擂り潰して粉にした物だ。飛鳥草はその名の如く、鳥が羽を広げたような美しい形をしているが、その葉の毒性は強い。しかし、効能がないこともない。その毒は強い麻酔作用を持っていて、怪我や病の苦痛を和らげることができる。が、それでも毒は毒。苦痛が和らぐのは一瞬だ。次には更に多くの飛鳥草の葉を摂取しなければ、痛みを抑えることができなくなる。そうして、摂取を続ければ、徐々にその毒が身体を蝕み、やがては死に至る……そんな危険な代物だ。そんな毒を医者が調合して渡すと思うか?答えは否だ。そんなことはあり得ないんだよ」

 バーンスタインの顔から遂に穏やかな笑みが消える。

「まるで、その薬を調合したのが医者ではなく、僕たちだと言いたそうな口振りですね」

「そう考える方が自然だろう?違うと言うのなら、毒なんかを調合する薬学に優れた医者とやらをここに連れてこいよ」

「僕たちではありませんよ。貴方一人の勝手な思い込みでしょう」

 そう返したバーンスタインから、桜花は彼の後ろにいるウルリックへと目を走らせる。やや瞳を細めただけの無表情で、形良い唇を開く。

「弟はあんたに比べて随分と素直だな。その顔が証明しているぞ、俺の言ったことが単なる思い込みではない、真実だってことをね」

 ウルリックがぎくりとした顔をし、振り向いた兄の厳しい視線を受けて、慌てて無表情を装おうとする。

しかし、兄の瞳に気圧されて上手く表情を作ることができない。

 バーンスタインはそんな弟の様子を見て、心中で舌打ちする。それから、見掛けに反して意外に聡く、容赦のない桜花の美貌を見据える。

 この医者に下手な誤魔化しは通用しない。

 まさかこんな医者が現れるとは、彼は想像していなかった。

誤算だった。

しかし、バーンスタインは弟ほど動揺してはいない。余裕があることを見せつけるように、唇を笑みの形に歪める。

常の穏やかな笑みとは違う、周りを誤魔化すための仮面を取り去った笑み。彼の真実の心を映し出した、冷たい、凶悪とも言える笑みだ。

彼は桜花を前にして、装うことを止めた。

「百歩譲って、この薬を用意したのが僕たちだとしましょう…」

「遠慮深いことを言うなよ。事実、そうなんだろう?」

 バーンスタインは笑みを浮かべたまま、目だけで桜花を睨む。

「そのことをどう証明します?何か証拠でもあるのですか?」

「証拠?そんなものはない。あるのは状況証拠ぐらいだな。あとは俺の勘だ」

 その応えにバーンスタインは鼻で笑う。

「では、貴方は何もできないという訳だ。明確な証拠がなければ、誰も僕たちを告発することはできない」

 余裕たっぷりのバーンスタインの表情を、桜花は冷めた目で眺める。

「あんたは俺の名前をちゃんと聴いていなかったのか?」

「何?」

 脈絡がないように思える桜花の問いに、バーンスタインは眉を顰める。

「貴方の名前がどうしたというのだ」

「それとも、あんたは知らないのかな?もう一度自己紹介してやろうか?俺は(さき)桜花。家名は咲だよ」

「だからそれがどうしたと…!」

 苛立たしげにそう言い掛けたバーンスタインは途中で息を呑む。

 

 サキ…咲とはまさか……

 

「…医術師の…咲一族……」

「何だ、やっぱり知っているじゃないか。そう、俺はその咲一族の人間だ」

 バーンスタインは動揺を内に抑えておくことができなくなった。

 兄の様子にただならぬものを感じながらも、ウルリックは尋ねる。

「バーン、医術師って…?」

 バーンスタインは苛立たしげな表情を隠さず、馬鹿な弟を睨む。

「現在、世界で最も最先端の医療を行っている一族だ。その発言力は世界中の医者のみならず、時に国王までをも動かすほど強い」

「世界中の…というのは言い過ぎだと思うが。まあ、この国の王くらいは有効かな」

 桜花がゆっくりと腕を組みながら、嫌味なくらい明るい口調で言う。

 ようやく事情を察したウルリックの顔が、兄以上に白くなる。

 今や、この兄弟の余裕は失われ、明らかに桜花が優位に立っていた。

「そこまで知っているなら分かるだろう?確かに俺はたかが医者の一人だ。だが、たかが医者、されど医者。この国にいる医者でも、国王でもいい、彼らの前で咲一族である俺が、この薬の中身のこと、加えてあんたたちに対する疑いを口にした時点で、確たる証拠がなくても、その言葉は影響力を持つ。俺が咲一族の医術師である…それだけでね」

「僕たちを告発するつもりか?」

 バーンスタインが強張った表情で言う。

「別に俺は正義の使者という訳じゃないからな。告発する気はないよ、今のところは」

「どういうことだ…?」

「俺はただ、ルイが誰にも邪魔されずに、目的を達することができればそれでいいんだ。だから、これからあんたたちが金輪際、ルイの邪魔をしないというのなら、あんたたちの罪を告発することはしない。したところで、罪は消えないし、失われたものが帰って来る訳じゃないしな。だが…欲に駆られてまたルイの邪魔をするのなら容赦はしない。すぐにもあんたたちを牢獄へ送り込んでやる」

「それは脅しのつもりか?」

「とんでもない、これは忠告だよ。あんたたちが何もしなければ済むことだ。簡単なことだろう?俺もできれば咲の名を利用することはしたくない。ま、実際そうするかどうかはあんたたち次第だが」

 忠告と言いながらも、その内容はバーンスタインたちにとって脅しと変わりないものだ。

「俺があんたにしたかった話はこれで終わりだ。くれぐれも忘れたりしない方がいいと思うぜ、あんたたちのためにもね」

 一通り言いたいことを言った桜花は、背を向ける。それから、玄関の扉の取っ手に指を掛けながら、思い付いたように振り向いて、付け加える。

「ああ、そうそう。言い忘れていたんだが、誰にも知られないように、手っ取り早く俺を始末しようなんてことも考えない方がいい。こう見えても、俺は強いんだ。もちろんルイにも手出しは無用。そんなことは俺がさせない。ルイの両親のように上手くいくと思わない方がいい」

 そう言い捨てて、桜花は扉を開き、中へ入ってゆく。

 

 ルイの両親のように。

 

 付け加えのように軽く言われたその言葉に、二人は目を見開く。

 バーンスタインが呼び止めるよりも早く、重い音を立てて扉が閉まり、桜花の姿は扉の向こうに消えた。

「あの医者…!リューイガルドの親のことも知っていやがるのか…!一体何故…」

 青ざめながらウルリックが呟く。

「カトレーヌからリューイガルドの両親の症状と周りの状況を聞かされたんだろう。あの毒のことを知っていれば、彼らのことも僕たちの仕業だと察するのは容易いことだ……」

 弟と同様にやや青ざめながらも、不思議と冷静なバーンスタインの口調に、ウルリックは不安げに兄に問い掛ける。

「バーン、一体どうするつもりだ?あいつの言う通り、手を引くのか…?」

 この屋敷の財産を諦めるのか…?

 言外に隠されたその問いにバーンスタインは目を剥いて抑えた声で怒鳴る。ここが屋敷前でなかったなら、割れんばかりの大声になっていたことだろう。

「冗談じゃない!僕たちが一体どれだけの時間を掛けてここまでやってきたと思っているんだ!やっとあと少しというところまでこぎつけたというのにそれを諦められるのか、お前は!」

 兄の剣幕にウルリックは思わず肩を竦める。

「分かってるよ…俺だって諦めたくない。だけど…どうするんだ?あの医者は手強そうだぜ…」

 その言葉にバーンスタインは押し殺した声で応える。

「あの医者を消す…!」

 その瞳に剣呑な光が宿る。

「そんな…!できるのか?」

 驚くウルリックに、バーンスタインは瞳に暗い炎を宿したまま強く囁く。

「できる、できないの問題ではない。僕たちはやるしかないんだ。あの医者は僕たちが何もしなければ告発しないと言った…しかし、そんなことが信じられる訳がない。僕たちの罪を知っているあの男がいる限り、僕たちに安らぎはない。そして、財産も手に入らない…あの男がいる限り、僕たちには破滅の道しか残されていないんだ」

兄の瞳に気圧され、ウルリックは息を呑む。

バーンスタインは宙を凝視し、半ば浮かされたように呟く。

「いいか、ウルリック。僕たちの望みを叶えるために…そして、僕たちの身を守るために…リューイガルドとあの男を消さなければならない……」



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