聖なる水の神の国にて〜騒春〜


夢 3

 

 風矢(ふうや)ははっと目を開いた。

天井が見える。

寮室の天井だ。

風矢は寝台の上に寝ていた。

首を動かして周りを見回す。

自分の部屋ではない。

しかし、見覚えがある。

華王(かおう)の部屋だ。

ということは今、自分が寝ている寝台は、華王の使っているものである。

自分はいつの間にこんな恐れ多いことをしてしまったのだろうか。

頭の中にまずぼんやりとそんな思いが浮かぶ。

ゆっくりといつもより重い感じのする身体を起こす。

そうして、自分が制服のまま、寝ていたことに気が付いた。

 

 どういうことだろう、これは……

 

今の自分の状況が理解できず、風矢は朝からの記憶を辿る。

 

今日は確か、いつも通りに起きて寮を出て、午前の講義を受けていた筈だ。

そして講義の最中、急に息苦しくなって途中で退出し……

 

それから後は覚えていない。

倒れて、(りょう)か誰かに運ばれたのだろうか。

だが、何故自分の部屋ではなく、華王の部屋で寝かされているのだろう。

 

まだ頭がぼんやりとしていて、上手く考えられない。

 見るともなく出窓から見える緑の景色を眺めていると、部屋の扉が開いた。

流星(りゅうせい)が顔を覗かせる。

「お、気が付いたか。もうすぐ昼休みだぜ」

そう言いながらつかつかと部屋の中に入り、寝台の近くに置いてあった椅子にどっかりと腰を下ろす。

「さっき知らせたから、華王もすぐ来ると思うぜ」

相変わらず制服の襟を緩めたまま、目の上に掛かる金色の髪を掻き揚げる。

「貴方が僕をここに運んだんですか?」

「まぁな」

椅子の背に凭れ掛かり、足を組む流星の様子を見ていて、風矢は先程夢の中で見た流星の冷たい表情を思い出す。

目の前の彼には少々投げやりな様子はあるものの、夢で見たような周りにいる全ての人間を拒絶する冷たさは見当たらない。

 

 灰色の制服の流星……

あれは過去の彼の姿であったのだろうか。

そして、黒い制服の華王……

華王に出会ったことで流星は変わった…?

 

僕は一体何を考えてるんだ。

たかが夢じゃないか……

 

 風矢の不自然なまでの凝視を受けて、流星は怪訝な様子で首を傾げる。

「…おい」

風矢はその呼び掛けによって、現実に引き戻された。

「…あぁ、すみません。実は講義を抜け出した後の記憶が途切れているものですから。気分が悪かったので、おそらく倒れたんでしょうけど……僕をここに運ぶまでの経緯を教えてくれませんか?」

夢のことを思い出す前には一番気に掛かっていて、この状況で、口にするには最も妥当だと思われることを風矢は尋ねた。

すると、流星は急に真面目な顔になる。

「やっぱり…覚えていないのか」

その表情と言葉に風矢は驚く。

「え、やっぱりって…倒れたわけじゃないんですか?」

「いや、倒れたことは倒れたんだが……」

流星は眉をしかめながら、風矢にとって驚くべきことを話し始めた。

「二時限目の講義の最中だったんだが…俺はいつも通りサボって、構内をふらふらしてたんだ。そしたら、廊下を歩いてるお前を見付けた。何だか様子がおかしかったもんだから気になってな、後をついてったんだけど…お前は階段を昇って最上階まで行って…それから何をしたと思う?」

「なっ、何をしたんですか?」

「窓から飛び降りようとしたんだよ」

「えぇっ!」

「慌てて駆け寄ってギリギリのところで阻止したんだけどな。そしたら、お前はこっちをすごい目で睨んでから気絶したんだ」

風矢は言葉を失ってしまった。

「まあ、お前に取り憑いた霊の仕業だろうな」

流星がきっぱりと言う。

 

 何てことだろう。

自分はもう少しで霊に殺されるところだったのだ。

それも傍目には自殺にしか見えないような形で……

 

風矢は背筋が寒くなった。

 

 ガチャリと扉が開く音がして、華王が開いた扉の隙間から部屋の中へとするりと滑るように入って来た。

「風矢、大丈夫か?」

そう言って彼は心配そうに細い眉をひそめて寝台に近付く。

流星が立ち上がり、自分がさっきまで座っていた椅子に華王を座らせる。

そうして、自分は椅子の背凭れに手を置いて、華王の背後に立った。

「すみません、華王様。寝台を勝手に使ってしまって…」

そう詫びを口にした風矢の言葉を封じるように、華王は白く細い人差し指を自らの唇に当てる。

「謝らなくていい。それに、「様」はいらない。上級生とは言え、同い年なんだから。このことは昨日も言った筈だ」

そう言って、悪戯っぽく笑う華王の様子に恐怖に駆られていた風矢の心が和らぐ。

「はい、華王…さん」

やはり呼び捨てにすることはできなくて、風矢は「様」を「さん」に言い換える。

華王はまだちょっと不満そうだったが、仕方ない、というように笑った。

「まぁ、今のところはそれでいいか」

風矢も微笑む。

大分気分が落ち着いてきた。

頃合を見計らって、華王は口を開く。

「事情はさっき流星から聞いた。どうやら俺は相手を見くびり過ぎていたらしい。こんなに直接的な手を使うとは思っていなかった……俺の読み違いのせいで、風矢を危険な目に合わせてしまった……すまない」

そう言って、小さく息を吐き、長い睫毛を伏せる。

風矢は慌てて首を振る。

「そんな…!華王さんのせいじゃないです!」

華王にすまなそうな顔をされると、逆にこっちが申し訳なくなってしまう。

すると、華王の背後にいた流星が口を挟んだ。

「おいおい、華王。謝るのは後にしろよ。時間がないんだろう?さっさと話を先に進めようぜ」

「…あぁ、そうだな」

華王は気を取り直したように目を上げる。

その顔は凛として、眼鏡の奥の、灰色の瞳は決意を秘めて輝き、彼の美しい顔を少年らしく見せていた。

「相手が今日のような強引な手を使ってくる以上、悠長なことはしていられない。今夜、除霊儀式を行おうと思う。いいか?」

そう尋ねる華王に風矢は頷く。

「はい、よろしくお願いします」



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