聖なる水の神の国にて〜騒春〜


対決 3

 

 夜明け近くの神殿は静かな喧騒に包まれていた。

無断で神殿に入ったことを咎められるのかと風矢(ふうや)はびくびくしたが、神官たちは華王(かおう)から簡単な事情を聞いただけで、風矢たちに寮に戻るよう言い、神殿内の片付けを始めた。

 

 華王は弾き飛ばされてしまった眼鏡を拾い、乱れて解け掛かった髪に絡み付いている紐を取ってしまう。

神殿の外に出ると、流星(りゅうせい)が追い掛けてきた。真剣な顔で問い掛ける。

「なぁ、さっきお前、あの霊は負の感情が増幅されたものって言ったよな。あれは誰かが故意に増幅させたってことはないのか?」

物騒な質問に華王は解いた髪を風に洗わせながら応える。

「それはないんじゃないか?この閉じられた空間に充満してる祈りの気も含めた神官や学生たちの気の影響に因るものじゃないかな」

「本当かよ?」

疑わしそうに訊く流星を華王はからかう。

「何?お前に何か感じられるものがあるのか?それはすごい。是非俺にも教えてくれ」

「ふん、どうせ俺は攻撃専門だよ」

ふてくされて帰ろうとする流星に、

「あぁ、すまないが風矢を送っていってやってくれ」

と、まだ神殿の中に居る風矢を見遣って言う。

「お前は?」

「ちょっと寄り道」

「あ、そ」

疲れているのか、それ以上反論をせず、流星は華王に言われるまま、風矢を連れて寮へと戻っていった。

 

 寄り道と言いながら、華王はその場から動かず、夜明け近くの爽やかな風に癖のない長い髪を舞わせていた。

やがて、片付けを終えた神官たちが出て行き、彼一人になると、やや瞳を険しくして、目の前の空間を睨み付ける。

「やっぱりあんたか、コウ」

そう華王が呼び掛けた視線の先に、突如として一人の背の高い青年の姿が現れる。

眩しいほどの金髪の持ち主だ。

端正な顔立ちの中で際立つ炎を映したかのように赤い瞳を細めて青年は笑う。

「久しいからな、ほんの挨拶代わりだ」

微笑む青年に対して華王は美しい顔をしかめる。

「随分と手の込んだことをしてくれたもんだ。風矢に憑いていた邪気を増幅させ、霊という形まで与えて…お蔭で大変な目に遭った」

「私もできればこんな面倒な手を使わずに、直接お前に会いたかったのだが、この結界内に私は入ることができない。こうして像を送るのが精一杯だ。だからあの少年に憑いていた邪気を利用させてもらったのだよ」

そう言うコウの身体は、よく見ると向こう側が透けていた。

風に揺れる華王の黒髪に対して、コウの黄金の長い髪は微動だにしない。

「以前より結界の力が強まっている…お前がいるせいかな、セイ」

「それは俺の名前じゃない」

コウの呼び掛けに華王は冷たく返す。

コウは肩を竦める。

「相変わらずつれないな。大体、私は大した物を送ってはいないぞ。あんな霊はお前が本気を出せば、すぐに消滅しただろうに」

「買い被りだ」

コウの言葉を遮るように華王は言う。

「今の俺は「()る」力しか持っていない」

「その髪と瞳の色を保つために用いている力をまわせばよいだろう、華王・アルジェイン。実は私はそれを期待していたのだが」

「そんなことはできない」

「そうして力を削って姿を変えてまで、この学院に留まる理由が何処にある?」

「俺の勝手だ。それに不自由はしていない。あんたがちょっかいを掛けてこなければね」

突き放した物言いにコウはさすがに苦笑する。

「お前が怒り出さないうちにそろそろ退散するとしようか。しかし、華王・アルジェイン、一体お前は幾つ名前を持つつもりだ?」

どれを呼んだら良いのかわからないと冗談めかして言うコウに、華王は鼻先で笑って応える。

「俺の真実の名は後にも先にも一つきりだ。華王・アルジェインは偽りの名。ここでの生活も偽りのものに過ぎない」

太陽が昇ってきて、神殿にも明るい陽射しが差し込んでくる。

「そう心得ているなら、あまりここの人間に深入りしないことだな。後々辛くなるぞ、オウカ」

 

では、また。

 

微笑みながらそう言葉を残して、コウの姿は陽射しに溶け込むように消えた。

その名残のように目の前に舞い落ちてきた一枚の葉を強く握り締め、華王は小さく呟く。

「…そんなことは言われなくとも分かっている……」



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