聖なる水の神の国にて〜騒春〜


   騒春

 

 除霊騒ぎから一週間後。

 

風矢(ふうや)は再び神殿の前に来ていた。今度は無断侵入ではなく、学院長を兼ねている大神官長の呼び出しに応じてのことである。

幾つかあるうちで一番大きな「清めの門」を潜り、風矢は真っ直ぐに神殿正面入口へと向かう。

 

 あの夜以降、風矢はすっかり元気になり、息苦しさに襲われることもなくなった。

どうやら除霊は完全に成功したらしい。

その後、華王(かおう)流星(りゅうせい)とは学院内で擦れ違うことはあったが、周りの目もあって、言葉を交わすことはなく、学院外で会うこともしなかった。

まるで、あの除霊騒ぎが嘘のような、華王たちと知り合ったことも夢だったのではないかと感じられる程平穏な日が過ぎていった。

そんなときの大神官長からの突然の呼び出しである。

 

 神殿の入口に案内役の神官が控えていた。

その神官の後に続いて、風矢は神殿の奥へと向かう。

奥へと進むにつれて風矢は緊張が高まっていくのを感じる。

何せ大神官長直々の呼び出しである。

おそらく用件は一週間前の除霊騒ぎに関することだろう。

やはり咎めがあるのだろうか。

神殿の奥の一角にある扉なしの小部屋に辿り着いた。

案内役の神官が風矢の来訪を告げ、中からの返事に応じて風矢に入るよう促してから、一礼して去っていく。

風矢は大きく深呼吸してから、

「失礼いたします」

と、勇気を出して小部屋の中に入る。

そこは小さな祈りの間になっていて、正面に五年前に就任したばかりの若き学院長兼大神官長がいた。

そしてその横には華王と流星がいた。

「風矢・フローベル?」

驚いてつい呆けたように華王たちを見詰めていた風矢は、優しく呼び掛ける大神官長の声にはっとなる。

それを見て、流星がにやりとした。

「はっ、はい!」

「身体の調子はもう良いのですか?」

「はい、もう何の支障もありません」

「そうですか、それは良かった」

そう言って、再び大神官長は微笑む。

神官長たるに相応しい優しく知的な笑みだ。

「さて、君をこうして呼び出した用件ですが…」

優しい微笑を湛えたまま、神官長は本題に入る。

「今回の事件について、私は直接華王・アルジェインから話を聞きました…君は霊媒体質者だそうですね」

いきなり自分の能力について言われ、風矢は戸惑う。

「は、はい。華王さんが仰るにはそのようですが…」

風矢の戸惑いをよそに神官長は満足そうに頷いた。

神官長は言葉を続ける。

「君は特殊能力を持った人間が、神と人との間に生まれた子の末裔であるということを知っていますか?」

「…」

神学の講義で聞いたような気もするが、恥かしながらぼんやりとしか覚えていない。

気まずげに黙りこむ風矢を咎めるでもなく、神官長は柔らかく言葉を紡ぐ。

「その神とは具体的には聖風神(せいふうしん)聖火神(せいかしん)(せい)()(しん)の三神を指します。我らが聖水神(せいすいしん)は性別を持たぬ神なので、かの方の子の末裔は存在しません。他国では特殊能力を持った人間は、神の力を受け継いだ者として尊ばれます。しかし、聖水神を崇める我が国では、聖水神の性質故か、他国ほど彼らが尊ばれることは少ない。そのため、特殊能力を伸ばす機会を与えられないまま、力を失ってしまう者も多い。また、一部ではそういった特殊能力を気味の悪い、不必要なものとして厭う節もある。…私はそれを改善したいと思っているのです。どんな神から授かった能力であろうと、力は力です。それは疎まれるようなものではない筈。勉学で学習能力を伸ばすように、特殊能力を伸ばすことは無駄にはならない、そうして育てた特殊能力者が、いずれこの世に降臨される聖水神の補佐をすることができれば…と常々考えていました」

神官長はまっすぐ風矢の目を見詰める。

「そうした考えを基に、私は学院長を兼ねるようになった五年前から、学生の中からそういった特殊能力者を見出して、それぞれの能力を伸ばすための教育を行おうと計画していたのです。しかし、現在の神殿にはそうした能力を持つ教師たるべき神官が少ないですし、教育すべき特殊能力者もなかなか見付かりませんでした。計画はただの夢物語で終わるのかと思っていたちょうどその時、彼ら二人に出会ったのです」

そう言って、神官長は華王たちの方を見遣る。

それに対して流星は肩を竦め、華王は少し唇を歪めて僅かな笑みを作る。

神官長はにっこり微笑んで、風矢に言う。

「君は私が見付けた三人目の特殊能力者です。これから三人で協力し合いながら、その力をどんどん伸ばしていって欲しいのです」

「は、はぁ」

風矢は曖昧に返事をする。

「これから君には週に一回、華王・アルジェイン、流星・ティーンカイルと共に、特殊講義を受けて貰いたいのです。ちなみに特殊講義の教官は私が務めます」

そう言って、若き大神官長は傍らにある祭壇の上に置かれた聖水を満たした杯を取り上げ、傾ける。

傾けられた杯から水が零れ、重力の法則に従って床へとまっすぐ落ちていく。

そのとき神官長が何か呪文のようなものを呟いた。

すると、聖水は床へ辿り着く寸前に向きを変え、緩やかに弧を描きながら神官長の捧げ持つ杯の中へと戻っていった。

一滴の水さえ残さずに。

驚く風矢に神官長は悪戯っぽく微笑んだ。

「私の知識も不十分で、君に全てを教えることができるかどうか分かりませんが、精一杯努力させて頂きますよ。どうです、承知してくれますか?」

「…はい」

大神官長直々の依頼を断れる訳がない。

それに承知すれば、少なくとも週に一回は華王と会い、言葉を交わすことができるかもしれないのである。

大変な魅力だ。

少々不純な動機から風矢は依頼を承諾する。

神官長は嬉しそうに笑った。

「三人目の生徒を迎えられて嬉しいですよ。先輩たちからも何か一言、言ってあげて下さい」

神官長の言葉を受け、まず華王が微笑みながら、口を開く。

「これからよろしく。ま…気楽にな」

これからこの美しい微笑みと声にこんなに近くで触れることができると思うと、風矢は幸せな心地になる。

すると、華王の隣にいる流星が、意地悪そうな笑みを唇に浮かべつつ、次いで口を開く。

「これから先輩としてびしびししごいてやるからな。覚悟しろよ」

脅迫するかのようなその言葉に、風矢は現実に引き戻される。

流星から気の塊を投げ付けられたことを思い出す。

あれは物凄く痛かった。

これからあの痛みに慣れるために、何度も気の塊を受けることになるのだろうか。

 凍り付く風矢の様子を見て、にやりと流星は笑う。

と、華王が腕を上げ、右上にある流星の頭を平手で叩いた。

「いってー!何しやがる!」

「風矢を脅しつけるんじゃない!しごかれるのはお前の方だろうが!」

「人のこと言えるのかよ!」

ぎゃあぎゃあ言い合う二人を、

「やれやれ、困りましたね。二人とも仲良くね」

と、ちっとも困っていないような口調で宥めて、神官長は風矢ににっこりとする。

「騒がしい先輩たちですけれど、よろしくお願いしますね」

その笑顔に風矢はやや頬を引きつらせつつ、笑い返す。

騒がしい春である。

学院の有名人二人に囲まれて、これからの学院生活は風矢にとって一風変わったものになるであろうことは間違いない。

それが楽しみでもあり、少々不安でもあり……

 

聖なる水の神の国にて。

とにもかくにも、風矢の学院生活は始まったばかりだ。

                             

(終)



「聖なる水の神の国にて〜騒春〜」、完結です。
と言っても風矢の学院生活は始まったばかり。
風矢はこれから、どこか謎めいた華王、流星の先輩コンビと関わっていくこととなります。
このお話は読み切り形式ではありますが、続編があったりします。
続編「聖なる水の神の国にて〜涼夏〜」はおそらく今回のお話より更に軽いものになっているんじゃないかと……
お気が向かれた折にでも覗いてやって下さると嬉しいです。

後、これはおまけ話になるんですが……この「聖なる〜」のシリーズは、もう一つの連載シリーズ「永久の調べ」と微妙に(?)繋がりがあります。
この二つの話に共通する登場人物が二人ほどいたりします。
両方読んで下さっている奇特な、いや違った、有難い方々にはお分かりのことと思いますが(いや、いないから)。
時間的には「聖なる〜」の後の話が「永久の調べ」となります。
もちろん、別シリーズですので、両方読まなければ話が通じないということはありません。
ただ、両方読むと、繋がりがあって面白いかなあ、なんて…書いてる当人が面白がってるだけなんですけどね(笑)。
少しでも興味をお持ちになられた方がいらっしゃったら、どうぞ「永久の調べ」の方も覗いてやってみて下さいませ(と、ちょっと宣伝してみたり……)。


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