聖なる水の神の国にて〜祭秋〜
祭秋 2
「しっかし、良くやる気になったもんだ。どういう風の吹き回しだ?あれだけ嫌がってたくせに…」 呆れ顔でそう言った流星は、次いでにやりと笑う。 「ま、俺には関係ないか。せいぜい頑張れよ」 そう言葉を残して、背を向けようとした流星の制服の裾を、素早く手を伸ばした華王が捉える。 「うわ、何だよ?!」 「何を他人事のように言っているんだ、流星。お前も舞台に出るんだよ」 「何ぃ?!」 「舞台の上で俺一人が恥を掻くなんて冗談じゃないぞ。お前も道連れにしてやる」 目を剥く流星に向かって、そう宣言した華王の目は、よく見なくても据わっている。 「それこそ冗談キツイぜ!!おいこら、その手を離せ!」 流星は何とか己の裾を取り戻そうとするが、華奢な見掛けに反して、華王の指はしっかりと裾を捉えて離さない。 それどころか、その裾を更に引っ張り、両手で鷲掴みにし、手繰り寄せるように、流星の長身を引き擦り戻そうとする。 「お…ッ、おいおいこらこら!」 焦りながら、何とか踏み止まろうとする流星。 呆気に取られて、言葉もない風矢。 一方、蒼はしげしげと流星を眺め、頷いて華王に話し掛ける。 「なかなか良い案だ。ティーンカイル君は背が高いし、舞台の上でも見栄えがするだろうね」 「俺もそう思うよ」 流星を引き摺る力を緩めずに、華王はにこりと天使の微笑みを浮かべてみせる。 「どんな役でも良い。好きに使ってやってくれ」 「俺の意思を無視して話を勝手に進めるなー!!」 抗議する流星を置き去りにして、蒼は早速舞台の構想を練り出したようだ。 演出家の眼差しで、流星を改めて眺め直し、大きくひとつ頷きながら手を打った。 「そうだ!いっそのこと、ティーンカイル君には、聖火神を演じて貰おう!!」 「な、何だってぇ?!…って、うおぅッ…!!」 驚愕の叫びを上げた拍子に、踏み止まる力が緩んで、流星はついに引き戻され、勢い余って華王のいる寝台に突っ込む。 握り締めていた流星の裾からぱっと手を離し、突っ込んでくる大きな身体を綺麗に躱して、 華王は何事もなかったように、蒼との会話を続ける。 「良いのか?そんな重要な役をやらせても」 「重要な役だからこそだよ。実のところ、聖火神も聖水神同様、なかなか僕の理想に合う役者が見付からなくてね… 聖火神は聖水神に比べると、出番と台詞は少ないが、だからこそ、演じるのが難しい。 納得できないまま、別の誰かに演じて貰うよりも、いっそのこと僕自身が演じようと決めて、準備を進めていたんだけれど… 僕の想像する聖火神は、容姿に格段の迫力がある神なんだ。目にも鮮やかな金髪で…圧倒的な存在感がある。 その点で僕が演るには正直、まだ、納得しきれていない部分もあったんだ。 でも、ティーンカイル君なら、少し色は薄いけれど、綺麗な金髪だし、僕の理想に近いと思う」 「それは良かった」 「おい、蒼!!」 にっこり微笑み合う蒼と華王の間に割り込むように流星が声を上げる。 そんな流星に、蒼は笑顔全開で言い放つ。 「大丈夫だよ、ティーンカイル君!僕がしっかりと演技指導するから!! 君なら、きっと出来る!!アルジェイン君も安心して、僕に任せてくれたまえ!!」 流星にとっては、全く見当違いな励ましの言葉を残して、蒼は舞台の準備を進めるべく、 入ってきたときとは全く逆の、浮き浮きとした足取りで部屋を出て行った。 「……」 最早、呼び止める言葉も見付からぬまま、蒼を見送ることになった流星は、脱力して寝台の敷布に顔をうつ伏せてぼやく。 「どうすんだよ…」 「覚悟を決めることだな」 華王がさらりと応えるのに、勢い良く顔を上げた流星が抗議する。 「…って、お前なあ!そもそもお前が余計なことを言い出さなければ、こんなことにはならなかったんだ!!」 しかし、華王は何処吹く風だ。 流星の抗議を完全無視して、寝台から下りる。 「あ、大丈夫ですか?」 「大丈夫だ、有難う」 そこで、やっと我に返った風矢が手を差し伸べるのを、華王は穏やかに断る。 大分しっかりとした足取りで部屋を横切り、戸口で流星を振り返る。 「今度の試験で、薬学で出そうな問題を教えてやる」 そんな言葉と軽い微笑みを残して、華王もまた、部屋を出て行った。 「…交換条件にしては、安過ぎるんじゃねえかぁ?」 流星はそのまま、不貞腐れたように、寝台に仰向けに寝転がった。 そのとき、まだその場に残っていた風矢と目が合う。 すると、風矢は目を細めて、技とらしく片手を己の口に当てて小さく噴き出した。 「見物ですね」 その意地悪い笑みに、流星はカチンと来たようだ。 「先輩に向かって、良い度胸じゃねえか、風矢!!」 「うわわ、暴力反対!!」 起き上がりざま、掴み掛かってきた流星の腕を掻い潜るようにして、風矢は慌てて部屋を飛び出した。
流星に対しては、つい嫌味っぽい言い方をしてしまったが、 密かに願っていた華王主演の舞台の実現が近付いてきたことは、風矢にとって嬉しいことだった。 そこにまた、流星が加わることになるなんて。 一体、どんな舞台になることだろう。 軽い足取りで、神殿の廊下を過ぎりながら、風矢は期待に胸を膨らませるのだった。
華王と流星が祭典で行われる舞踏劇に出る…しかも、主役が華王であるという噂は、瞬く間に休日明けの学院中を駆け巡った。 学院の二大有名人が絡むだけあって、噂が広まるのが早い。 皆更に、詳しい話を知りたくてうずうずしているが、訊ねても、舞台関係者は詳細は当日までの秘密だと、頑として口を開かない。 しかし、ならばと、当の本人たちにまで訊ねる勇気を持ち合わせている学生はいなかった。 何せ、ふたりは、学院中の憧れの存在。 華王の場合は、勇気を奮い起こした学生が近付いても、 そのほっそりと華奢な、夢のように綺麗な姿に息を呑み、声すら出せなくなってしまう。 その間に、自分に向けられる視線には過ぎるほど鈍感な華王は、目の前から軽やかに去っていってしまうのだった。 流星の場合は、近付こうとした時点で、鋭い眼差しで睨まれる。 その視線に射竦められた学生は、これまた、声も出せぬまま、 心なしか荒々しい足取りで去っていく流星を見送るのみとなってしまうのだった。 その二人の代わりに、質問攻めにあったのが、風矢である。 友人の涼は勿論、あまり面識のない同級生、上級生にまで講義の休憩時間ごとに捕まって、質問を浴びせられる。 その度に、風矢はあまり詳しいことは知らないと、誤魔化さなければならなかった。 幾人もの相手に、似たような問答を繰り返すのは、精神的にも身体的にも疲れるものだ。 しかし、実際に舞台に立つことになる華王と流星のほうがもっと大変な筈だ。 そう思って、質問攻めに耐え続けていた風矢だったが、昼時を迎える頃には、かなり消耗し、疲れ切っていた。 「大丈夫か、風矢?」 「…ああ、うん、何とか……」 気遣う涼にどうにか微笑んでみせ、食堂へと向かう渡り廊下へ出る。 そこでまた、知らない上級生に話し掛けられた。 訊かれるのは勿論、舞踏劇のことについてだ。 内心うんざりしつつ、同じ答えを繰り返す為に、口を開こうとした時、 ふと、廊下の向こうで、気遣わしげに風矢を見詰めている華王と目が合った。 華王がこちらにやってこようとするのを察した風矢は、焦って目だけで止めようとする。 最初は風矢の意図が分からず、小首を傾げた華王だったが、間もなく頷いて、依然として気遣わしげな眼差しを向けながらも、去っていった。 ほっと安堵の息を吐いた風矢は、試練に立ち向かうべく、質問をしてきた上級生に向き直る。 が、彼の視線は、華王の去った方角へと向けられていた。 その眼差しは、何処か夢見心地の様子だ。 容姿のみならず、雰囲気まで麗しい華王のことだ、例え、通り過ぎるだけであっても、人目に立たない訳がなかったのだ。 さもありなんと納得する風矢の袖を、涼が軽く引く。 「おい、この間に行こうぜ」 「そうだね」 小声での提案に、我に返って頷き、風矢は涼と共に、麗人の残像に浸っている上級生をその場に残して、急ぎ足で食堂に向かった。 食堂でも誰かに捕まるかと危ぶんでいた風矢だったが、そこには、何とも珍しいことに、流星がいた。 不機嫌そうに眉根を寄せ、窓際の椅子に、腰掛けている。 皆、噂の当人の存在に気を取られ、風矢には気付きもしない。 風矢は心の内で、流星に礼を言い、携帯できるように包んで貰った昼食を手に、そそくさと食堂を後にした。 それから間もなく、流星が窓際の椅子から立ち上がり、食堂の片側を大きく切り取った窓から、手ぶらで学院の庭へと出て行く。 一部の学生は、流星が何の為に食堂に来たのだろうと、首を傾げたのだった。
そうして、昼過ぎになると、ぴたりと学生たちの風矢への質問攻めが止んだ。 噂の過熱振りを懸念した学院側が、学生に注意を促した為だ。 風矢は一安心すると共に、この学院側の対応は、華王が神官長に掛け合ってくれた結果なのかもしれないと密かに考えた。
蒼は事前に、使用頻度の少ない講義室の一室を舞台の稽古部屋として借りていた。 その関係者以外立ち入り禁止となった稽古部屋で、ついに、或いは、やっと、華王と流星の舞台稽古が始まった。 「違う!先程から何度も言っているだろう?!聖火神はここで笑ったりしないんだ!!」 「んなこと言ったって、笑っちまうんだからしょうがないだろ!!」 当たり前だが、舞台など一度も経験のない流星は、稽古中もつい、状況に耐え切れず、笑みを零してしまい、 その度に、蒼から注意を受けていた。 「舞台はもうすぐなんだ!頼むよ、せめて、アルジェイン君の半分くらいは身を入れてやって欲しい!!」 引き合いに出された華王が、ややおどけたように華奢な肩を竦めて見せた。 「へいへい」 気の進まない様子をありありと見せながらも、流星は再び脚本を開いて読み込みを始める。 意外にも…ある意味、予想通りとも言えるが、華王は脚本を渡された次の日には、台詞も立ち居振る舞いも、殆ど習得していた。 そんな華王演じる聖水神を見て、蒼は二三点の改善点を指摘しながらも、満足気に頷いたものだ。 「やはり、僕の思っていた通りだ。この役は、まさにアルジェイン君の為にあったと言っても、過言ではないね」 「それは言い過ぎじゃないか?」 「いいや!常々思っていたが、君は自分の力を過小評価し過ぎているよ!!…う〜ん、これは、衣裳係にも頑張って貰わなくてはいけないな」 言って、蒼が振り向くと、華王にずっと見惚れていた衣裳担当の学生が、はっと我に返り、任せてくれと言う仕種をする。 「これ以上ない素材に出逢えて、いいひらめきが幾つも生まれてきたよ!これを早速形にしないとね!!」 そんな言葉を置き土産に、脱兎の如く、稽古部屋を後にする彼を、華王は苦笑して見送った。 「皆、一生懸命だな」 「それはそうさ。 衣裳係の彼もそうだけど、今度の舞台に関わる半数近くは、 この舞踏劇を僕が着想した二年前から、一緒にやろうと付いて来てくれた面々なんだ」 「この舞踏劇の実現は、蒼だけじゃない、今まで舞台に関わってきた皆の夢なんだな」 「そうなんだ!!」 「…そうか」 生き生きとした笑みを見せる蒼に、華王もまた、柔らかく微笑み返した。
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