聖なる水の神の国にて〜祭秋〜
二聖神の伝説 3
これから、華王の部屋を訪ねるつもりだと言う蒼と共に寮へ向かった風矢は、途中で蒼と別れ、流星の部屋へと向かう。 頭の中は、先程蒼から聞いた聖水神の舞台の話でいっぱいだった。 不在の可能性が高いが、もしも、流星が部屋にいたら、この話を聞いて貰いたかった。 半分諦めつつ、扉を叩いてみると、意外な応えがあって、風矢は驚きつつ、扉を開ける。 「今日は、出掛けてなかったんですね、流星さん」 「何だ何だ、その意外そうな顔は。俺だってたまには、自分の部屋でゆっくり休みたいと思うことだってあるんだぜ」 ベッドの端に腰掛け、脚を組んだ流星は、だらしなく両手を背後に突きながら、仰向くように視線を動かす。 「ま、今日俺がここにいるのは、あいつがいるからだけどな」 その視線の先、窓際のカーテンに細い身体を半分隠すようにしながら、椅子に腰掛けているのは… 「華王さん…」 開いた分厚い書物で顔を隠しながら、読書に勤しんでいた華王は、風矢の呼び掛けに、書物を目元近くまで下げた。 「よう」 軽く片手を挙げて挨拶され、風矢はやや呆気に取られた口調で問う。 「ここで何をしているんですか?」 「避難しているんだ」 「は?避難って一体…?」 大真面目な応えに、思わず訊き返してしまった風矢だったが、すぐにその意味に気付く。 「もしかして、蒼さんから逃げて?」 風矢の言葉に、華王と流星が揃って何かに気付いたように片眉を上げる。 「おやぁ、この数日の間に、随分とブルアリュレ君と仲良くなったようだなあ、フローベル君は」 「…っ!そ、そんなんじゃありませんよっ!」 流星の言を、慌てて否定したものの、 内心では今日の華王への訪問が空振りに終わるであろう蒼に、風矢は少し同情してしまう。 そんな風矢を他所に、流星は面白そうに、華王を見遣る。 「しかし、蒼も懲りないよな。毎日毎日、華王の部屋まで押し掛けては、熱心に口説いてるんだからな。 さすがに感心するぜ。おい、どうだよ、熱烈な求愛を受けてる身としては?」 「勘弁してくれ、というところだな」 華王が心底うんざりした顔で言う。 そんな風に顰めた顔でさえ美しくて、風矢は思わず見惚れてしまう。 「で、何の用だよ?」 流星に問い掛けられて、風矢はやっと訪問の理由を思い出す。 しかし、華王を前に、蒼の舞台の話をするのは気が引けた。 「…ええっと、特に用があった訳じゃないんです。ちょっと、どうしてるかな、と思って…」 我ながら苦しい言を重ねていると、流星が一瞬華王と視線を交わしてから、ゆっくりと立ち上がる。 「ちょっと外で煙草を吸ってくる」 「ああ」 「序でに、蒼がお前の部屋の前をうろついてたら、適当に追い払ってやるよ」 「すまない、頼む」 「おう。さて、と」 そう華王と短いやり取りをして、流星は戸口に立ったままの風矢にさり気なく歩み寄る。 そうして、ふいに風矢の首にがしりと腕を回して押さえ込んだ。 「ぐえっ…!」 「さあ、行こうか、風矢君」 にっこり笑顔でそう言って、風矢に抵抗する隙も与えず、流星は風矢を引き摺るように外に連れ出した。 そのまま、風矢は庭に連れ出され、木立の陰にある亭(あずまや)まで来て、やっと解放された。 「…ッ…い、いきなり何するんですかっ…!!」 咳き込みつつ抗議すると、流星は不機嫌そうに腕を組んだ。 「うるせー。お前こそ、気色悪いこと言いやがって。何が「ちょっと、どうしてるかな、と思って」だ」 「………」 今、思い返してみると、確かに気色悪い発言だ。 膝に手を当てて屈み込んだ姿勢のまま、硬直して冷汗を流す風矢を一瞥し、 「ま、華王だったら、その気色悪さには気付かないだろうけどな」 ひとつ大きな溜め息を吐いてから、流星は亭に設えられた腰掛けに座った。 しかし、風矢が華王には言えない話を抱えて、流星を訪ねたのは、華王にも悟られているだろう。 自分はつくづくこういうところが、下手だ。 風矢もまた、溜め息を吐き、腰掛けた。 「で?何の話だ?華王に言えないってことは、さしずめ、蒼の舞台の話だろ」 流星の確認するような問いに、風矢は頷いた。 「そうなんです。さっき、蒼さんから、やろうとしている舞台の内容を聞いて… あ、流星さんは、この舞台の内容を知っていますか?」 「いや、聖水神が主役だって以外は、詳しくは知らないな」 「そうですか。この舞台が実現したら、きっと、今までになく画期的なものになりますよ」 そうして、風矢は蒼から聞いた舞台の内容を流星に打ち明ける。 最後までその話を聞いた流星は、唖然とした声を上げた。 「何?聖水神と聖火神の対立が、聖火神の聖水神への叶わぬ恋から始まったって…蒼の舞台の主題は恋愛なのか?!」 「そうなんです。聖火神と聖水神は共に生まれた双子神。 二柱の神は、当初こそ睦まじく過ごしていましたが、やがて、聖火神の聖水神へ向ける想いが、恋へと変わる。 しかし、聖水神はその想いに応えず、地上に生まれた人間たちに惜しみない慈愛を注いだ…」 「それで、聖水神に愛される人間たちに嫉妬した聖火神が、人の住まう大地を焼き尽くそうとし、 それを聖水神が永い眠りと引き換えに阻止した…というのが、 邪気に覆われた東北の禁域が生まれるに至った逸話の新解釈という訳か」 流星が眉を顰め、組んだ腕の片方を立て、その手を顎に添えながら、言葉を継ぐ。 「しかし、執着する愛…特定の個人に対する愛を持たないとされる神が恋愛に絡むのは、 崇拝対象外の聖火神とはいえ、神殿で問題視されるんじゃないか?とても上演が許可されるとは思えんが…」 「ええ。なので、蒼さんは脚本の内容を、神殿側には大筋しか伝えていないそうです。 神殿側の干渉を防ぐ為に、できれば詳細は当日まで伏せておきたいと言ってました。 真の舞台の内容を知っているのは、舞台に関わる学生の内でもごく一部だそうです」 「…へぇ、随分と身体張ってんじゃねえか、蒼の奴」 感心したように流星が呟くのに、風矢は頷きを返す。 「僕は…蒼さんの舞台が観てみたいです。蒼さんの新解釈によって再現される聖水神と聖火神の逸話を観てみたい。 そして、聖水神役は、やっぱり華王さんが演じるのがぴったりだと思うんです」 そこまで言って、風矢は溜め息を吐いた。 「蒼さんの話を聞いて、僕はより一層、聖水神や聖火神を身近に感じました。まるで人のようだと… こうした考えは、聖水神を絶対的な崇拝対象として祀る神殿が否定するものかもしれません。 でも、以前、華王さんは、神は人と似たような存在だと考えていると言っていたのに… 何故、神を身近な存在に引き寄せようとする蒼さんの舞台に出ることを拒否し続けているんでしょう?」 「まあなぁ、あいつなりの理由があるんだろうが…おっと、そんな期待の目で見られても、俺はその理由は知らないぜ。 華王はこの件に関しては、だんまりなんだ。ありゃ、意地になってるな。探ろうとしても、無理だね」 「そうですか…流星さんでも無理ですか……」 「期待を裏切って悪いとは思うけどな」 「いえ、実際、それほど期待してた訳ではないので、やっぱりという感じです」 「…もう一度首絞めるか?」 話を聞いてもらったお礼を言って、風矢が立ち上がると、流星が懐から取り出した煙草に火を付けながらこう言った。 「この件に関して、俺たちが出来ることはないな。 蒼の頑張りが華王の意地を叩き折ってくれることを祈るしかないだろうよ」
次の日は休日だった。 しかし、祭典に加わる有志たちは、その日も学院の中庭に集まり、休日返上で準備に奔走していた。 風矢はこの日、街へ出掛けるつもりだったが、その前に学院に立ち寄って、その様子を眺めていた。 風矢以外にも、見物の為だけに来ている学生の姿が、ちらほらと見える。 きょろきょろしている風矢に、この日一緒に街に出掛ける予定で、 風矢に付き合ってここまで来た、寮でも同室の友人、涼・グランが首を傾げる。 「どうしたんだ、風矢?誰か探しているのか?」 「ああ、ちょっとね…でも、今日はいないみたいだ…」 おかしいな、と訝しみながら、風矢はもう一度、中庭をぐるりと見渡す。 蒼に、挨拶くらいはしたかったのだが… 「やっぱりいないみたいだ。いいよ、行こう」 「いいのか?」 「ああ。どうしても会わなければいけない用がある訳じゃないから。わざわざ付き合ってもらって有難う、涼」 「別にこれくらいいいさ。しかし、この秋の祭典って、学院生にとっては、特別なんだなあ… 僕たち一年は、今年は見学だけど…来年、ちゃんと出来るのかな?」 そう言う涼は、来年は有志として、祭典に参加するつもりでいるらしい。 「そうだね…まあ、特に今年は、熱心な学生がいるみたいだから」 「あ、それって、舞踏劇の責任者の蒼・ブルアリュレ先輩のことだろう?」 「…あ、ああ、そうだよ」 「何でも、去年から構想を温めてきた劇をやるんだって?愉しみだよなあ!」 屈託ない涼の笑顔に、風矢も頷いて笑みを返した。 「…うん、そうだね」 そうして、ふたりで中庭に背を向けたとき。 「フローベル君!」 ふいに聞こえた呼び掛けに、風矢が振り向くと、ひょろりと背の高い青年が回廊を渡って来るのが見えた。 「蒼さん」 「ええと、「フローベル」君で良かったんだよね?僕は間違っていないかい?」 「ええ、間違いないです」 改めて確認を取る蒼が何だか可笑しくて、風矢は少し笑ってしまう。 「今、ちょうど君の姿が見えたものだから。 ああ、そうそう、昨日の訪問は、残念ながら空振りだったよ。まだ、諦めるつもりはないけれどね」 「そうですか」 相槌を打った風矢は、ふと、蒼が制服姿ではなく、私服姿でいるのに気が付いた。 「今日は、これから何処かにお出掛けですか?」 何気なく訊ねると、朗らかな蒼の様子が不意に変わった。 「蒼さん?」 蒼はやや、躊躇うような様子を見せ、風矢の傍らにいる涼をちらりと窺う。 「…あ、僕はちょっと向こうへ行っているから」 蒼の視線の意味を素早く悟った涼がその場を離れていく。 「どうしたんですか?今日はこれから一体何処へ?」 風矢が改めて問うと、蒼は一瞬沈黙する。 やがて、思い切ったように口を開いた。 「…本当は、誰にも言わずに行こうかと思っていたんだが…君には言っておいても良いかとふと思い付いたんだ。 僕はこれから東北の禁域へ行ってくる」 「なっ…っ!」 驚きのあまり、風矢は思わず大きな声を上げ掛けるが、慌てて抑える。 そして、抑えた声音で言葉を返した。 「何を言っているんです!あの場所は立ち入り禁止区域ですよ! 何よりも、古来から今尚、浄化できない邪気が充満した場所に行くだなんて…危険すぎます!!」 「危険なのは百も承知だ。 だが、禁域に纏わる逸話を舞台化しようというのに、一度も現場に足を運ばずにいられないだろう?」 「それとこれとは話が違います…!」 「君には…いや、誰にも理解しては貰えないかもしれないが… アルジェイン君の説得も勿論大事だが、僕は常々、あの禁域を創り出した聖火神の心情に、 もう少し近付きたいと考えてきたんだ。それには、実際に禁域を目にしてみるしかない。 そうすれば、何かが掴める予感がするんだよ…」 そう語る蒼の瞳に宿る強い決意の光を見て、風矢は説得の無駄を悟る。 しかし、このまま彼を禁域に行かせて良いものか。 「心配しないでくれ。禁域に行くとは言っても、穢れた大地に、足を踏み入れることはしないよ。外側から眺めるだけだ」 蒼はそう明るく言葉を継いだが… 風矢は暫し押し黙り、やがて蒼を見上げてきっぱりと言った。 「僕も行きます」 「え?フローベル君?」 唐突な言に、蒼は目を丸くするが、風矢は構わなかった。 こうして、話を聞いてしまったからには、蒼をひとりで禁域に向かわせる訳にはいかないと思ったのだ。 「今から、すぐ支度をしてきますから、少しだけ待っていていただけますか? お願いですから、ひとりで先に行かないで下さいね!」 蒼の返事を聞かずに身を翻して、駆け出す。 「…涼!ごめん、急用が出来たんだ。悪いけど、街へ行くのは今度にしてくれ!!」 「え?あっ、おい、風矢!!」 呆気に取られる涼をも置き去りにして、風矢は目立たない私服に着替えるべく、寮へ駆け戻った。
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