聖なる水の神の国にて〜涼夏〜
想い 3
一夜明けて、風矢たちは再び件の屋敷へと行った。
しかし、昨日のことが嘘のように、華王たちがどんなに呼び掛けても、少女は姿を現さなかった。
次の日も、その次の日も状況は全く変わらない。
どうしたものかと風矢たちが思っていたところ、空羽が忙しい合間を縫って、少女の霊に遭遇したという地元の人間を探し出してくれた。
そこで、風矢たちは少女の霊に出会ったという彼らの話を聴いてみることにした。
興味本位で、幽霊屋敷と噂される屋敷に入った人間の全てが少女に出会った訳ではない。
多少の霊感がない限り、霊の存在を感じることはできないのだ。
そして、霊力があっても、霊を見ることのできない風矢や流星のように、霊感も人それぞれだ。
だから、少女に出会ったと言う者も、はっきりとはしないが、何か霊の存在を感じた、と言う者から、少女の声だけが聞こえた、と言う者、少女の姿だけが見えたという者など、華王のように完全な形で少女に出会った者は少なかった。
そんな彼らの中で一人だけ完全な形で少女と遭遇した者がいた。
「透けた姿で僕に何か言ってきましたよ」
眼鏡を掛けたやや知的な雰囲気を持った青年がそのときの状況を語る。
「彼女は何と言っていた?」
間近になって気付いた華王の美貌に少々驚きつつ、青年は問い掛けに応える。
「『あの人は何処?』…いや、『あの人を連れて来て』だったかな?『助けて』とも言っていたような覚えがありますよ」
「彼女のその言葉を聞いて、君はどうした?」
「どうしたって……逃げましたよ。なんたって幽霊に遭遇してしまった訳ですから」
「……」
青年は一瞬沈黙した華王とその後ろにいる風矢たちを興味深げに見る。
そして、好奇心の赴くまま、まくし立てるように話し掛けた。
「貴方たちはもしかしてあの幽霊を退治にいらっしゃった方々ですか?良かった。あんな気味の悪いものはさっさと退治してやって下さい。できればその現場に僕も是非立ち会いたいと…」
「何故気味が悪い?」
「え?」
話を断ち切られた青年が怪訝そうに華王を窺う。
「いくら幽霊だといえども、元はおまえと同じ人間だろう。何故気味が悪い?何故退治などと言う?おまえに何か危害を加えでもしたのか?」
淡々とした華王の言葉に責めるような響きを見出したのか、憤然としたように青年は言い返す。
「確かにあの幽霊は生きている間は僕たちと同じ人間だったんでしょう。でも、死んで幽霊となった時点で、あれはもう人間じゃないんです。あれは化け物です。この世にいてはいけないものです。それを退治するのは当然のことでしょう?」
その言葉を後ろで聞いていた風矢は、気分が悪くなった。
この青年は少女の切実な言葉を耳にしていたにも関わらず、何もしなかったのだ。
その上、自分勝手な興味本位で幽霊屋敷と噂のあの屋敷に入ったというのに、危害を加えることもなく、ただ切なく願いを唱えるだけの少女を退治するのは当然だと言う。
少女が幽霊、「化け物」だという理由だけで。
青年の見下した物言いを不愉快に感じると共に、風矢は少女に初めて会う前、彼女が幽霊だというだけでおびえていた自分を思い出し、ひたすらに恥じ入った。
流星はあからさまに眉根を寄せ、不愉快な表情を露にしている。
華王はただ静かな表情でまくし立てる青年の言葉を聞いていた。
青年が口を閉じたのを見計らって立ち上がり、
「話は分かった。貴重な時間を割いてもらったことには礼を言う」
と言った。
青年が握手を求めるのにやんわりと微笑みながら断りを言い、風矢たちを先に戸口へ促す。
風矢は話をしてくれた青年に軽く形ばかりに会釈をし、流星に至っては青年を一瞥したのみですぐに背を向け、外へ出て行った。
最後に出て行く華王が、戸口のところで物足りない顔付きで佇む青年に振り向く。
「悪いが、俺たちは彼女を退治しに来た訳でも、除霊しに来た訳でもない。できれば救いたいと思って来たんだ。だから、お前を現場に連れて行くことはできない」
そう言葉を残し、出て行った。
先程の青年の話が今後役に立つかどうかは分からない。
ただ……
「気に入らねえな」
歩きながら、流星が不愉快そうに呟く。
風矢も全く同感だった。
しかし、自分も一歩間違えば、あの青年と同じになっていたかもしれないと思うと、風矢は流星のように素直に今の気持ちを口にすることはできなかった。
華王はそんな風矢の気持ちに気付いたのだろう、おもむろに腕を上げ、慰めるように横にいる風矢の茶色の髪を掻き回した。
「風矢はあいつとは違うだろう?鈴音嬢のことを今でも怖いと思うか?」
「…いいえ」
「だったら、気にすることはない。最初は怖がっていたとしても、風矢は彼女の話をきちんと聴いていた。だから、恐怖が消えて彼女を彼女として受け入れることができたんだ」
「…そうですね。有難う御座います」
また慰められてしまった。
少々頬を赤くした風矢の頭をもう一度掻き回し、華王は手を離した。
「何だ。風矢はそんなことを気にしてたのか?細かい奴だなあ」
流星が呆れたように口を開く。
「…流星さんと違って繊細なんで!」
「あまり繊細過ぎるのも男らしくないぞ」
いつもの言い合いが始まる。
そんな二人の様子に華王は微笑む。
そして、独り言のように言葉を紡いだ。
「もしかしたら、あいつのあの見下した態度は恐怖の裏返しかもしれない。そして、それは自分とは違う生き物に対する恐怖ではなく、自分もあのようになり得るのだという無意識の恐怖なんじゃないだろうか。だから、あれほど自分とは切り離された存在であると主張したのかもしれない」
風矢は華王の理解ある言葉に感心する。
しかし、一方で釈然としないものも感じた。
そんな風矢の気持ちを知ってか知らずか、華王は、
「ま、どういう理由にせよ、ああいう態度は俺も好かないが」
と、軽く舌を出した。
風矢は華王が自分と同じことを感じていてくれたことにほっとする。
「早く彼女と会ってもう一度話をしないといけませんね」
「そうだな。流星、今度は任せた」
「…やっぱり俺かよ」
長い陽がゆっくりと傾き、青々とした木々の葉に茜色の光を注ぐ。
一足先に夜へと向かう森が作る木の下闇の中、風矢たち三人は少女のいる屋敷へと向かった。
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