聖なる水の神の国にて〜涼夏〜


   想い 1

 

 その後、華王(かおう)の言葉通りに三人は家捜しを実行した。

 

幽霊屋敷と評判の屋敷内はそれほど荒らされていなかった。

三人で手分けして屋敷内を探索したところ、華王が廊下の奥に、この家の代々の家族を描いたものらしき肖像画に飾られた一室を見付けた。

そこにちょうど、不快な気分のまま割り当てられた場所を探し終えた風矢(ふうや)がふらふらとやって来る。

「風矢」

 風矢は華王の呼び掛けにピシリと背を伸ばした。

「はい」

流星(りゅうせい)を呼んできてくれ」

「分かりました」

 華王の真剣な様子に、風矢は素早く身を翻した。

 

壁に飾られた肖像画の中に、華王は少女の姿があることを確認していた。

風矢と同様、やや疲れたような足取りで、部屋へとやって来た流星は、華王に示された少女の絵を見た途端、あ、と声を上げた。

 

それは流星の夢に出てきた少女だった。

 

「やはりそうか」

確信を得た華王が呟く。

三人は肖像画の裏に記された少女の名前、描かれた日付も確認する。

そこに記された日付は百年も前のものだった。

 

 

「ところで流星」

「あ?なんだよ」

「本当に彼女の待ち人はお前じゃないのか?」

「……百年前に生きてた女を口説けるか」

「あの少女が肖像画に描かれていた少女であるとは限らない。その可能性が高いというだけの話だからな、念のため確認をしたい」

「違う!何度言わせる気だ」

「女性を待たせておいて、それを忘れるなんていかにもお前がやりそうなことだと思うが」

「くどい!」

 華王は、不機嫌も露わな流星を面白そうに眺めて、

「ま、冗談はさておき」

本題に入ることを示すように、樫材の大きな机の磨かれた表面を整った指先で軽く叩く。

 机に置かれた燭台の蝋燭の炎が揺れる。

 

 家捜しの後、風矢は華王と流星を連れてフローベル家へと戻った。

 昨日の風矢の怒りが効いた所為もあったか、華王たちは風矢の友人、フローベル家の客として丁重に迎えられた。

 美しく整えられた客間をそれぞれ与えられ、今夜は二人共、ここに泊まることになっている。

 二人に一番会わせたかった兄の空羽(くうう)は、父と共に仕事でまだ帰ってきていないが、母と一緒に四人で穏やかな晩餐を楽しんだ風矢は、昼間の不快さがやっと薄まってきたような気がしていた。

 そうして、今、三人はフローベル家の書斎を兼ねた書庫室へと集まっていた。

 

 少女は恋人と約束していた。

 恋人が迎えに行くまで待ち続けると。

 しかし、恋人は迎えに来なかった。

 少なくとも少女が生きている間は来なかった。

 それでも、少女は待ちたかったのだろう。

 恋人の言葉を信じていたかったのだろう。

 だから、死しても尚こうして待ち続けていた。

 

 これが本日遭遇した少女の霊の話から風矢たちが想像できることである。

「俺たちの出会った少女が、肖像画に描かれていた鈴音(りんね)・メライズ嬢であることは間違いないと思う」

流星は肩を竦め、風矢は華王を見詰めながら生真面目に頷く。

「メライズか……風矢、メライズ家というのは?」

 他国からの留学生で、貴族のことをあまりよく知らない華王が問い掛ける。

「男爵家です。もう随分前に…そう、ちょうど百年位前に断絶してしまった家のようです」

「断絶?傍系も含めてということか?」

「ええ、確かそうだったと思います」

「原因は何だったんだろうか」

「さあ、そこまでは……メライズ家の領地は断絶後、フローベル家が引き継いだんですが、断絶の原因までは知りません」

 華王の問いに風矢は申し訳なく思いながら応える。

 

 その成り立ちから現在に到るまでの一族の歴史を記憶しているのは貴族の常識であり、また、公爵家のような大家の歴史を知識としてある程度把握しておくことも重要ではある。

しかし、いくら領地が近かったとはいえ、一男爵家の衰退までを記憶するようには求められないし、第一風矢もそこまでは覚えていられない。

それでも、もしかしたら兄が知っているかもしれない、と風矢が口にするよりも早く、流星が口を開いた。

「一部に流行った奇病の所為だ。ちょうどその時期、他にも幾つかの貴族の血が絶えたらしい。傍系も含めて絶えた家の中にメライズが入ってる。この奇病の詳細は不明だが、血によって広まり易さに差がある病だったみたいだな。当時は呪詛だなんだと大騒ぎになったらしい」

 その明確な応えに風矢と華王は、流星をまじまじと見詰めてしまう。

 特に風矢は目をまん丸にして流星を見詰めていた。

 

 驚いた。

 百年も前に絶えた一族のことを流星が知っているということに。

何よりも、家の後継ぎである空羽のように、よほど勉強をした者でしか知らないことを知っているということに。

 

驚きがそのまま顔に出ている風矢を見て、流星が苛立たしげに小さく舌打ちをした。

それきり流星は僅かに眉根を寄せたまま、不機嫌に黙り込んでしまう。

そんな流星を他所に、華王は机の上に持ってきていた書物の中から分厚い国史書を引き寄せ、頁を繰る。

「……これか」

 風矢は華王の声に引き寄せられるように、彼の肩越しに広げた頁を覗き込む。

「ああ、そうですね。このとき絶えた伯爵位以上の貴族の家名は、ここに記述されているみたいですね」

 その頁を目で追いながら、風矢はああ、と声を漏らす。

 それに応えるように華王が口を開いた。

「…かなりあるな」

「そうですね」

 華王は軽い溜息をつきつつ、書物から手を離した。

「鈴音嬢の想い人がこのとき断絶した家の人間かどうかは確かめようがないな」

「そうですね。彼女の言葉から察するに相手は貴族だとは思うんですが」

しかし、それも可能性が高いというだけの話だ。

 

少女を霊という姿で現世に繋ぎとめた原因であるところの彼女の想い人。

 

彼の消息を辿ることが、少女を解放する手立ての一つとして、風矢たちがまず考えたことだ。

しかし、彼が確かに存在したのが百年余りも昔であり、しかも貴族も含めた多くの民が犠牲となった特殊な病が蔓延した時期と重なるとなれば……彼の消息を辿ることは難しい。

 

彼は何故、死して尚待ち続けた少女を迎えに行かなかったのか。

後に別の誰かと約束をして、少女のことは忘れたか。

それとも約束通り迎えに行く前に少女の死を知ったか。

或いは、少女のように一族諸共流行病の犠牲となったのかもしれない。

 

事実がはっきりとしない限り、考えられる理由にはきりがない。

そしてそのどれもが可能性の域を出ない。

風矢たちだけでそれらをはっきりさせることは不可能である。

明らかに時間も人手も足りない。

風矢、華王とも流星と同じように黙り込んだ。



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