聖なる水の神の国にて〜涼夏〜


   夏の訪れ 4

 

華王(かおう)さんは聖水神(せいすいしん)を信じていらっしゃるんですか?」

 神官長自らが行う特殊講義の後。

風矢(ふうや)は傍らの華王にそう問い掛けた。

流星(りゅうせい)は講義には参加せず、特殊実技にのみ参加するので、この講義に参加するのは、風矢と華王の二人だけだ。

神官長の口から語られる神殿の成り立ちや神の有様は、通常の神学の講義で聞かされるものよりもより具体的で、神学といえば、抽象的な信義や倫理観に繋がる比喩的、隠喩的表現に彩られた聖典の解釈だと思っていた風矢にとっては驚きの連続だった。

だから、共に講義を聴いていた華王はどう感じていたか気になったのだ。

華王は机の上で頬杖を突きながら、問いを発した風矢を見遣る。

「風矢は?聖水神を信じているか?」

 逆に問い返され、風矢は口篭もる。

「…ええと、最初はそんなに信じていなかったんです。でも、神官長のお話を伺って……何と言うか、今まで漠然と思い描くだけだった聖水神の姿がより現実的になった気がして……」

「聖水神が今までより身近に感じられたと言う訳だ」

 華王が言い添えた言葉に風矢は頷きを返す。

「何だか、聖水神の実在が信じられるような気がしてきました」

 そんな風矢に華王は何処となく苦笑めいた笑みを見せた。

「人間に身近に感じられる神。俺にとってはその点こそが神の存在に疑問を抱く理由になるものなんだが」

 意外な形で返された応えに風矢は目を丸くする。

「どうしてですか?」

 華王は頬杖を外して、正面を向いた。

風矢に美しい横顔を見せながら、目の前の空間を見詰める。

空間を通して遥か彼方を見据えているかのように、澄んだ灰色の瞳がその純度を増した。

「神は、人間とは違う。これは通常の神学の講義で扱う聖典にもはっきりと明記してあるだろう?」

「はい」

「聖典に記されるとおり、神を人とは全く違う生き物として捉えるならば、その心の形も人とは違うのではないだろうか。その神が何故、人に対してあれほど慈悲深いのか。時に人以外のものを犠牲にしてまで人を守ろうとするのは何故か。果たしてそれが世界の全ての水を生み、その恩恵に預かる全ての生物を守る聖水神と言えるのかどうか…」

「華王さんは聖水神、神を信じていないんですか?」

「聖典等に語り継がれる伝説が全くのでっちあげだとは思っていない。ただ、その中心存在を「神」とは思えないだけだ」

「では何だと…?」

「何だろうな。神とは違うもの。より人に近いもの…いや、人そのものかもしれない……って、これは言い過ぎか」

「そう言われるとそうかなという気もしますけど…」

 華王ほど深く神について考えたことのなかった風矢は、再び口篭もってしまう。

 華王はそんな風矢に再び顔を向け、安心させるように優しく微笑む。

 その花が開くような笑みに風矢は見惚れる。

「風矢の感じたことが間違いという訳じゃない。ただ、一つの話から感じ取ったものが俺とは違ったというだけだ。殆ど逆のことを感じ取る辺りが、面白いが。どちらが正しいと決まったものじゃない。風矢は風矢が感じ取ったことを信じれば良い」

 そう言って、華王は立ち上がる。

講義をしていた部屋の出口へと向かいながら、後に続く風矢を肩越しに振り返る。

「だが、やっぱり俺は人に対して慈悲深いのは、人でしかあり得ないと思うんだよ」

 

 

 

 

 

 風矢の持つ霊媒体質という能力(ちから)

華王の持つ霊眼の能力。

流星の持つ、攻撃系の霊力。

神官長の語るところによると、こうした様々な特殊能力を持つ者は、この世界を成り立たせる自然を産み出した、聖地神(せいちしん)聖風神(せいふうしん)聖火神(せいかしん)何れかの神と人との間に生まれた人間の子孫だということである。

ロゼリア王国が崇める聖水神は唯一、性別を持たぬ神であったが故に、その血を引く神の子孫は残念ながら存在しないとされている。

華王も流星も神の存在に疑問を抱いている。

自分もそれほど信心深くはない。

そんな自分たちが特殊能力を持ち、神の子孫と言われる。

「いずれ目覚められる聖水神を補佐する為に」、こうして特殊能力を伸ばすよう訓練を受けている。

何とも不思議な感じがした。

能力の現れと信仰心とは比例しないものなのか。

そのことに神官長は不満を覚えないのだろうか。

「風矢?」

 大分遅れている気配に華王が振り向き、呼び掛ける。

「あっ、すいません!」

 取り止めない思考を断ち切って、風矢はやや駆け足となって、前を行く二人に追い付く。

「妄想癖も程々にしろよ」

「…すいませんね」

 からかうような流星の言葉に、最早逆らう気力も起きず、風矢は拗ねたように呟くに留めた。

 

 

 

 

 

「貴方方には今まで特殊講義や実技訓練等を受けて頂いてきましたが、こうして人数も揃ってきたことですし、そろそろ実践に入っても良い頃かと思いましてね」

 神官長の言葉に呼び出された三人は暫し言葉を失う。

 彼はこの長期の休暇を機会に今までの講義の成果を確認したいと言うのだ。

「…つまりは合宿をすると?」

 華王の問い掛けに神官長はにっこりと頷く。

 しかし、話を聞いた三人は気の進まない様子をありありと見せた。

 風矢はいきなり実践だなんて一体何をするのだろう、と不安な顔をしているし、縛られることを嫌う流星は、露骨に嫌な顔をしている。

 華王も難しい顔だ。

「実践と仰いますが、具体的には何を?」

 三人の様子にも全く堪えない風の神官長は笑顔のまま、口を開く。

「とある無人のお屋敷に少女の霊が現れるそうです」

 その短い言葉に華王は得心が入ったと言うように、僅かに顰めていた眉根を緩めた。

「その除霊を俺たち三人で行え、ということですか。実際、被害は出ているのですか?」

「いいえ、何しろ無人のお屋敷ですから。たまたま迷い込んだ方々が、霊に出くわしたそうです。ですが、特に何か危害を加えるということはないそうです」

「だったら除霊する必要はないんじゃねえの?」

 いまだ不機嫌な顔のまま、流星が口を開く。

 そんな流星を穏やかに見詰めて、神官長は言葉を継ぐ。

「少女が霊となって、いまだ現世に繋ぎとめられている、そのこと自体が問題なのです。天上に還って、新しく生まれ変わる為の準備をする筈の魂が、現世を彷徨っている…それはその少女にとっても、不幸なことである筈。ですから、貴方方には彼女の魂が天に還ることができるよう、お手伝いして頂きたいのです。彼女がこの世に縛られている原因を探し出し、解消することも必要となるでしょう。今回は除霊というよりは浄霊と言った方が良いかもしれませんね」

 ですから、実践ともなるのですよ、と神官長は付け加える。

「話は承知しました。しかし、合宿というのはどうでしょう。特に実家に帰る予定の無い俺や流星はともかく…」

「おい!」

 流星の抗議めいた呼び掛けを無視し、華王は言葉を続ける。

「風矢は実家に帰りたいでしょう。こんな長期の休暇でなければ、家族に会うこともできない。合宿などと言って、その家族と共に過ごす時間を奪ってしまうのはあまり良いこととは思えませんが」

 急に話題の中心となった風矢は目を瞬く。

「いや…僕は別に…」

「下手な遠慮はするな。家族と過ごす時間は掛け替えのないものなんだから。こうした寮生活では特に」

「はあ…」

華王がこれほど気を遣ってくれるとは思わなかった。

やや、面食らった様子の風矢と真剣な華王の姿を交互に見た神官長は、軽く笑みを零す。

「華王・アルジェイン、貴方の言うことは尤もです。風矢・フローベルには実家でゆっくり過ごしてもらいましょう。その上で合宿に参加して下されば良いのです」

「?どういうことですか?」

 怪訝そうな二人に、神官長は穏やかに言う。

「何も心配なさることはありません。実は例のお屋敷は風矢・フローベルの実家の近くにあるのです」

 

 

 

 

 

「何か、上手く嵌められたような気がするな」

「俺たちの思考形態を良く掴んでいる。流石に一筋縄ではいかない」

 不満げな流星に対して、華王はむしろ面白そうに同意した。

 あの後、神官長は冗談じゃないとごねる流星を、合宿参加が単位取得に繋がるからと黙らせ、結局三人全員を合宿参加に同意させた。

それなのに、神官長本人は合宿には不参加、なのだそうだ。

風矢たち学生はこれから長期休暇に入るが、神殿には休暇というものはない。

神殿の長たる神官長が神殿を空ける訳にはいかないとは尤もな理由だが…

 

 私は寧ろ講義の成果を確認するというよりも、その成果を貴方たちに自覚して頂きたいのですよ……

 

と、優しげな笑みで以って告げた神官長の顔を思い出したか、流星が舌打ちする。

「くそう、絶対あいつ性格悪い」

「ま、年の功だろうな」

 悔しげな流星の暴言を慣れているのか、適当に宥めながら、華王は風矢を見遣る。

「風矢は本当に良かったのか。嫌なら戻って神官長を説得するが」

 風矢は慌てて首を振る。

「いいえ、嫌だなんてことないです。華王さんもそんなに気を遣わないで下さい」

 そう言ってから、ちょっと考える。

華王にはもっと正直な気持を伝えた方が良い。

そう思って、付け加える。

「寧ろ本当は少し、楽しみなんです。合宿なんて初めてですから」

「そうか」

 風矢の言葉にようやく華王は屈託のない笑みを見せる。

「それなら、あまり頑張り過ぎないように、初めての合宿を楽しもう」

「はい!」

 微笑みあう風矢と華王の横で流星が仏頂面のまま呟く。

「面倒くさい」



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