聖なる水の神の国にて〜涼夏〜


   夏の訪れ 

 

 入学後間もなく、風矢(ふうや)はとある事件に遭遇した。

 生霊のようなものに取り憑かれ、危うくその命まで危機に晒されたのである。

 

 そんな彼を助けてくれたのが、学院の二大有名人であるところの華王(かおう)・アルジェインと流星(りゅうせい)・ティーンカイルだったのだ。

 そして、その事件をきっかけとして、風矢は自分が霊をその身に取り込むことのできる霊媒体質であったことを知った。

 更に事件解決後、風矢のような特殊能力者の能力を伸ばすことによって神殿の、ひいては神殿が崇める聖水神(せいすいしん)の助けとしたいと考える神官長に勧められ、風矢と同じく特殊能力を持つ華王、流星と共に神官長の特殊講義を受けることとなったのだった。

 

 しかし、こうして神官長の講義を受けることとなった経緯を風矢は周りの誰にも、最も親しい友人の(りょう)にさえ話していない。

風矢が遭遇した事件自体が表沙汰にならないうちに解決したからということもあるが、何よりも風矢自身がその事件の内容を表沙汰にすることを望まなかったからである。

この事件は風矢の最も敬愛する兄が関わっていたものであったから……

その為、風矢は神官長の講義を受けることとなった理由を新入生の中から無作為に選ばれただけの偶然であると周りの友人たちに説明していた。

そう説明しておいて正解だったと風矢は思う。

 

この学院内において華王と流星の存在は特別だ。

風矢が彼らと同じように特殊能力を持っているということを考え合わせても、風矢は彼らと肩を並べることなどできない。

風矢自身でさえそう思うのだから、周りの人々もきっと風矢が華王たちと関わることは偶然以外にはあり得ないと納得したのだろう。

例え事実でも、風矢が特殊能力を持っているから選ばれたと口にすることは、風矢が華王と流星に並ぶ特別な存在であると主張することに等しい。

そんなことを言おうものなら、凄まじい反感を買うこと間違いなしだ。

彼らと共に講義を受けること自体に反感を抱く生徒も居るくらいなのだから。

 

「風矢」

 涼と共に神殿から出たところで、名を呼ばれた。

 風矢は神殿の入口近くに設えられた噴水の方へ顔を向ける。

「…華王さん」

 噴水の縁に寄り掛かるようにして立つ華王が、こちらの視線を捉えて軽く手を上げる。

 そうして上げた手をひらひらと動かし、風矢に近くへ来るように促す。

 風矢は一瞬ちらりと周りに目を走らせる。

 殆どの学生は華王に見惚れている。

 そして、そんな華王に呼ばれた風矢に対する羨望の眼差しがある。

 

 ……嫉妬の眼差しも。

 

 すると、ぽん、と背中を叩かれた。

「気にするな。行けよ」

 涼の温かい言葉に、笑顔で感謝を示し、風矢は寮へと向かう人の流れから離れる。

 華王の身に纏う制服の白さが眩しい。

 夏の明るい陽射しに映えて、華奢な上半身をくっきりと浮かび上がらせている。

 その様子に思わず目を細めながら、近付いた風矢に華王はまずこう言った。

「祭礼の方はどうだった?退屈だっただろう?」

「いいえ、そんなことは…」

「へえ、凄いな。俺は欠伸を抑えるのに必死だった。聖典の研究はそこそこ面白いんだが、格式ばった儀礼は一寸な…」

「いや、退屈ではなかったんですけど、面白かった訳でもないんで…」

 祭礼の間はずっと華王の綺麗な後ろ姿を見ていたから退屈ではなかったとは言えず、風矢は言葉を濁す。

 それにしても、と風矢は思う。

 

 本当にこの人はどうしてこんなに綺麗なのだろうか。

 美しいものは見飽きるというが、華王の美貌に関しては当て嵌まらない。

 こうして会う度に見惚れてしまう。

 しかも、今日は祭礼ということもあって常とは装いが微妙に違うのが、更に目を楽しませる。

 いつもは首の後ろで緩く結んでいるだけの漆黒の長い髪は、きっちりと編まれ、白い制服の左肩から垂らされている。

 自然のなすがままに任せている前髪も、今日は真中でしっかりと分け、秀でた白い額が露わになっている。

 その額の真中で雫形に整えられた一欠けらの水晶が、きらりと夏の陽射しに煌めいた。

 眼鏡越しに見ても澄んで美しい灰色の瞳と相俟って、華王の美貌を更に引き立ている。

 この水晶の額飾りは祭礼に参加する者全員が付けている物だ。

 もちろん風矢の額にもある。

 しかし、これほど似合う人は華王以外にはいないのではないかと思えた。

 

「…そうか」

 飾らずとも綺麗なのだ、華王は。

 綺麗だから何でも似合う。

 

「…何が「そうか」なんだ?」

「いえ、何でもないです!」

 思わず零れた呟きを華王に聞かれ、風矢は笑顔で誤魔化す。

「…そうか?」

 訝しげに風矢を見る華王に笑顔で応えながらも、風矢の空想は続く。

 神学生の代表として祭壇の前に出る者は、水晶の額飾りに加えて、透かし模様のある大きな白い薄布を頭に被り、布がずり落ちないよう、更にその上に低い円筒形の鍔無し帽子を被る。

 布は小さいが、神官たちの装いに最も近い格好だ。

 頭の中で華王にその格好をさせてみる。

 

 似合う。

 

 あの布から華王の美貌が透けて見えることを想像しただけでもうっとりとしてしまう。

 本来ならばそんな美しい姿を拝めるのは、当たり前であった筈なのに、実に勿体無い。

 彼が祭壇前に立つというのなら、風矢にとって祭礼はもっとずっと楽しいものとなるに違いないのに。

 前に出たがらない華王の性格を少々恨めしく思ってしまう。

 

 ふう、と思わず溜息を吐いたところで声を掛けられる。

「もう、考え事は済んだか?」

 そこでやっと風矢は華王をほったらかしにしていたことに気付いた。

「す、済みません!!」

「いや、別に謝らなくてもいいんだが。お前ってよく心を飛ばすことが多いよな。大丈夫なのか?」

 霊媒体質である人間にとって、心に隙を作ることは、霊に憑かれる危険に容易に繋がり易い。

 それを懸念しての華王の言葉だったが、心を飛ばすのは華王の前でのみとも言えず、風矢は再び謝罪の言葉を口にする。

「済みません。気を付けます」

「だから謝るなよ」

 少々呆れ気味の華王の顔もやはり綺麗だ。

 

「用件に入るぞ。神官長のお呼びだ。今から少々時間を貰ってもいいか?」

「ええ」

 やっと用件を口にすることができた華王に応えて、風矢は華王と並んで神殿の方へと引き返す。

 そのときになってやっと風矢の空想に常に横槍を入れる人物がいないことに気が付いた。

「流星さんはどうしたんですか?」

 風矢の問いに華王は肩を竦める。

「先に行っているんじゃないか?」

「じゃあ、祭礼の方は…」

「当然サボりだろう」

「はあ、そうですか」

 あの人は授業だけでなく、祭礼もサボるのか。

 そう言えば春の祭礼にも流星の姿は見なかった気がする。

 

 流星・ティーンカイルは少々投げやりな雰囲気を漂わせる金髪碧眼の青年だ。

 華王と並ぶ学院の有名人ではあるが、優等生である華王と違って、教官たちの間での評判は悪い。

 何故ならば、彼はしょっちゅう講義を放棄し、こうした重要な祭礼にさえも参加しない、神学院生としては著しく問題のある生徒だからだ。

 国内の有力な貴族の子弟であるがために、あまり咎めることもできず、それが教官たちの苛立ちをいっそう煽っているらしい。

 しかし、学院の規律に捕らわれず、自由に振舞う流星に憧れを抱く生徒たちも多い。

 

 風矢はどうかといえば、実のところ、知り合った当初は流星をあまり良くは思っていなかった。

 彼の自由奔放さが身勝手なものに見えて仕方なかったのだ。

 しかし、今ではそれほど悪い印象は持っていない。

 相変わらず講義はサボるし、学院を脱け出しては娼館へ通うしで、不真面目な学生であることには変わりないが、風矢が当初思っていたほど身勝手な人間ではない。

 意外に回りの人間をきちんと見ているし、一度口にしたことを翻すということもしない。

 実は真面目な人間ではないかとも思えるほどだ。

 しかし、学院に関わるものを拒否しているような態度を見せる。

それならばいっそ学院を辞めたらどうかとも風矢は思うのだが、それもしない。

名家の子息だからということを気にするような性格とも思えないのだが。

何故、問題児扱いされながらも、流星は学院に留まっているのか。

それは風矢の抱く謎の一つである。



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