面影


   面影 6

 

 一夜明けて、ブランシエル公爵との対面の日となった。

 公爵と対面するのは午後からとなる。

砂月(さづき)様」

 朝、食事の終わった盆と共に給仕が下がるのと入れ替わるようにして、緑真(りょくしん)が部屋へと入ってきた。

「朝早くから失礼致します。砂月様におかれては、本日午後までの間に何か御予定は御座いますでしょうか?」

 慇懃な言葉に砂月は苦笑しつつ、椅子から立ち上がる。

「僕は公爵から呼び出された者だ。そんな僕のこの屋敷にいる間の予定は彼が決めるのだろう?僕に自由な決定権はないんじゃないかな」

「いいえ、そのようなことは…」

 やや皮肉気な言葉に緑真が困ったように、僅かに眉を顰める。

 はっきりと否定することが出来ずに言葉を濁した。

 その様子に砂月はまた苦笑し、緑真へと向き直った。

「今のところは何も予定はないよ」

 物柔らかな声で応えると、緑真は安堵したように表情を緩める。

 そして、砂月に向かって深々と頭を下げた。

「旦那様との対面の前に、貴方様のお母上、翡翠(ひすい)様とお会いになられますように、とのお言葉を旦那様より頂いております。大変恐縮ですが、今から砂月様のお時間を頂けますでしょうか?」

 やはり、この屋敷にいる間の砂月の予定は、公爵の側に決定権があるらしい。

「行きましょう」

 そう応えると、緑真は下げたままだった頭を上げた。

「私が御案内致します」

「僕の格好はこのままでも?」

「結構で御座います」

 少々の皮肉を込めた言葉だったが、緑真は気付かなかったのか、部屋の扉を開き、砂月に先に部屋から出るよう、丁重に促す。

 その表情がいくらか硬くなっているような気がした。

 促されるまま部屋を出た砂月は、先に立つ緑真の真っ直ぐに伸びた背中を見ながら、廊下を歩む。

 唐突にやって来た実母との対面だが、やや胸に引っ掛かりは感じるものの、それほどの感慨は覚えない。

 

 しかし、実母の元へ案内している筈の緑真の足が、屋敷の庭へと降り、美しく整えられた庭の向こうにある森へ向かうにつれて、砂月の無感動は訝しさへと変わっていく。

「貴方は僕を母のところへ案内しているのだろう?」

「左様で御座います」

 砂月の確認に緑真はやはり、やや硬い表情で応えた。

 緑真は、昨夜砂月が湖精と見紛う少年と出会った湖へと向かう小道とは反対側の、木々に隠されたような目立たない小道へと砂月を誘う。

 黙したまま進む緑真の行く先を見遣りつつ、砂月は整った眉を顰める。

 重なり合う木々に遮られて、道の先が判然としない。

 時折、目前に現れる枝を、身を屈めて避けつつ進んでいると、緑真の肩越しに木々の切れ目が見えた。

 道が途切れて、その開けた場所にあったのは、高く聳える頑丈な石造りの塔だった。

 砂月の滞在する部屋のバルコニーから、この尖塔の先が見えていたのを思い出す。

 緑真は塔の入口へと辿り着くと、懐から鍵を取り出した。

 鍵を入口の扉へと差し込み、開けようとする。

「…どういうことだ、これは」

 呆然としていた砂月は、ここに到ってやっと口を開くことが出来た。

「まさか、この塔の中に母がいると?」

「…左様で御座います」

「そんな…これではまるで…」

 

 人目に触れぬよう閉じ込めているようではないか。

 

 その先の言葉を聞くのを恐れるように、緑真は顔を伏せる。

「……翡翠様に実際にお会いになれば、お分かりになるかと思います。詳しい話はその後に…」

「……」

 沈黙した砂月の反応を肯定と受け取ったか、緑真は扉の鍵穴に差した鍵をゆっくりと回した。

 軋むような音を立てて、扉が開く。

 その先には上へと向かって螺旋を描く石段がある。

 緑真は慣れた手付きで入口に置いてあった小さな燭台の蝋燭に火を入れ、

「足元にお気を付け下さいませ」

そう、砂月に一言声を掛けて、薄暗い階段を昇って行った。



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