面影


   面影 3

 

 先程乗ってきた馬車とは比べ物にならないほど豪華なブランシエル家所有の二頭立て馬車へと乗り、屋敷を目指す。

 揺れの少ない馬車の中、窓外の景色を目の端に捕らえつつ、砂月(さづき)は斜め前に座る緑真(りょくしん)へと声を掛けた。

「緑真さん」

「どうぞ、緑真と」

 生真面目で丁重な言葉に思わず笑みを零す。

「では、緑真。貴方は先程自分を第二執事だと言いましたが、ブランシエル家では貴方以外にも何人か執事がいるのですか?」

「はい。私の他に第一執事、第三執事の計三人がおります。第一執事は専ら旦那様のお世話をさせて頂いております。旦那様の日常生活のすべて、お仕事のときにも秘書として役目を務めさせて頂きます。第三執事は使用人の統括をしながら、お屋敷にお住まいになられている御親族の方々のお世話をさせて頂きます。そして私、第二執事は…」

「公爵家直系に生まれた者のお世話…ですか」

「その通りです」

 一瞬の沈黙。

「訊いてもいいでしょうか?」

「私で分かることであれば何なりと」

「僕は本当に後継ぎ候補として、ブランシエルに呼ばれたのですか?」

 砂月の質問に緑真が目を丸くする。

「ええ、もちろんです。何故そのようなことをお訊きになるのですか?」

「公爵家にとって厄介者であった筈の僕を後継ぎとしてわざわざ呼び戻すことが不思議だったものですから」

「それは……」

 砂月のさり気ないがきつい言葉に緑真が一瞬絶句する。

 そんな彼を前に、砂月は応えを求めず、穏やかなほどの声音で別の問いを紡ぐ。

「貴方は僕の実父は誰か、御存知ですか?」

「…いいえ」

 やっと口を開いた緑真の応えは芳しいものではなかった。

「ブランシエル公爵なら知っているのでしょうか?」

「……いいえ。誰も…知らないのです。貴方様のお母上である翡翠(ひすい)様御本人以外は」

「彼女は今までずっと頑なに口を閉ざしてきたという訳ですか?」

「……いいえ。翡翠様は………申し訳ありません、砂月様。このことは私の口からはとても申し上げることは出来ないのです」

 緑真は申し訳なさそうに口を噤む。

「そうですか。分かりました」

 緑真を追い詰めるような問いを重ねた割には、あっさりと砂月は引き下がった。

 

 ここで無理に訊き出す必要はない。

 実の両親のことであるから、多少気にはなるが、拘るほどのことでもない。

 

 馬車内に沈黙が降りる。

 砂月は敢えてその沈黙を破ることはせず、代わりに窓外の景色へと目をやった。

緑深き森を背景に、放牧された羊たちが思い思いに草を食んでいる様が見えた。

幾つかの牧場を過ぎると、今度は穏やかな田園風景が拡がる。

穏やかな風に青々とした麦が揺れ、その上を大きな雲の影がゆっくりと泳いでいく。

視線を上げれば、爽やかな蒼空に浮かぶ雲の白さが眩しい。

このような緑に囲まれた景色を見るのは初めてだ。

「……ここは美しいところですね」

 ポツリと呟いた砂月に、気遣わしげに彼を見ていた緑真は、ほっとしたように微笑んだ。

「ええ。緑美しい景色はロゼリア国人の誇りなのです。中でもここ、ブランシエル領は国内で一二を争うほど美しい景色に溢れていると評判なのですよ」

「なるほど、そうですか」

 ロゼリア王国は殆ど自給自足で民を養っている。

 それ故か、この国は余り交易が盛んではない。

 ちょっとした観光事業を行っていることと、国外から仕入れた貴石や金を、見事な細工の技術でもって装飾品へと変え、国外へ輸出していることが、諸外国との関わりを僅かに窺わせるものだ。

 まるで、一昔前で時を止めたかのようなこの国の人々、景色は、諸外国との関わりが薄い為かもしれない。

そう、砂月は心密かに思った。

 

 

 

 

 

 馬車は小高い丘の手前にある門の前で止まる。

 鉄製の門の上部に透かし彫りのように象られた月と薔薇の紋様は、ブランシエル家の紋章である。

 三日月に薔薇の蔓が絡み付いている様を、図形的に表したものだ。

 ロゼリア王家の太陽と薔薇の紋章とほぼ同じ意匠である。

 薔薇は王族の象徴。

 それを、公爵家であるブランシエルが紋章として用いることができるのは、この家の血が古くは王族に繋がるものだからである。

 

「ブランシエル家です」

 そう言って、緑真は馬車の窓から顔を出し、門番に一言、二言声を掛ける。

 門が開き、馬車は再び走り出した。

 緩く傾斜する丘を登りながら緑のトンネルを抜けると、いきなり視界が開ける。

 急に溢れ出た光に砂月は、窓越しに思わず目を細める。

 一瞬後、目が光に慣れると、正面には白を貴重とした幾つかの高い尖塔を持つ城のような館が聳えていた。

 馬車はその玄関前で緩やかに止まる。

 緑真が馬車から先に下り、砂月が座る側の扉を恭しく開いた。

 馬車から降りた砂月は、緑真に先導されて館の中へと入った。

「改めまして…砂月様、ブランシエル家へようこそお出で下さいました。そして…お帰りなさいませ」

 砂月に正面から向き直って、そう言う緑真の背後には、薄い青の制服を纏った召使がずらりと並んで畏まっていた。

 その大袈裟な出迎えにやや気圧されつつ、砂月は緑真に導かれるままに、正面の螺旋階段を上り、二階に用意された豪華な客室へと辿り着く。

「僕はこれから何をするのです?」

 そう尋ねた砂月に第二執事はにこやかに応える。

「長旅で、お疲れで御座いましょう?砂月様。旦那様とお母上様には明日、お会いして頂く予定になっております。本日はゆっくりと旅の疲れを癒して下さいませ。そのように旦那様からもお言葉を頂いておりますので」

「……分かりました。お気遣い有難う御座います、と「旦那様」にもお伝えください」

 敢えて、「祖父」とは言わず「旦那様」と言った砂月に、緑真は一瞬不安そうな顔をする。

 しかし、その表情はすぐに元の穏やかな笑みを湛えたものへと戻った。

 部屋には既に今日から砂月の世話をする召使が控えていた。

 荷物を受け取ろうとするのを、砂月はやんわりと断る。

「あまり人から甲斐甲斐しく世話を焼かれることに慣れていないんです。お世話頂くのは食事のときだけで結構です。あとのことは、全て自分でやりますので。この部屋にある物で扱い方が分からないものに関しては、こちらからお尋ねします」

 砂月に世話を断られて、戸惑ったように緑真を見遣る召使に、彼は静かに頷いた。

「砂月様の言う通りに」

 砂月は召使から早速、上着を置くためのクローゼットの場所を教えてもらった。

 そのとき、客室に備えられた浴室や、洗面室も一応覗いてみたが、別に扱い方に困るようなものはなさそうだ。

 クローゼットの中にはわざわざ砂月の為に用意したのだろうか、明らかに若い男性向けと見られる洋服が何着も収まっていた。

 そのことには一言も触れず、砂月がクローゼットに上着と着替えを入れたスーツケースを仕舞うと、傍にいた召使が遠慮がちに口を開いた。

「…砂月様、あの、そのお眼鏡の方は…?」

 色付きであるためか、陽射し避けの眼鏡であると解釈したのだろう、もう室内なのだから眼鏡を外してもいいだろうと、遠回しに言われる。

「ああ…すいません。でも、これは陽射し避けの眼鏡じゃないんですよ。視力があまり良くないもので」

「そうですか、失礼致しました」

 丁寧に頭を下げる彼には分からぬよう、砂月はひっそりと自嘲の笑みを浮かべる。

「それでは、砂月様。お食事は時間になりましたら、こちらにお運び致します。どうぞごゆっくりお過ごし下さいませ」

 そう言って、緑真は召使と共に下がって行った。



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