面影
面影 25
そこにいたのは、忠実な執事と見えた緑真だった。
あまりにも意外な犯人の正体に、砂月は言葉を失う。
しかし、そんな彼とは対照的に桜花は落ち着いていた。
「やはり…か」
漏らした言葉が、この犯人の正体が彼の予想のうちに入っていたことを示す。
桜花と共に、緑真へと近付いた砂月は、不思議なことに気付いた。
火に包まれた筈の緑真の全身が、水に濡れている。
疑問が浮かぶが、すぐにそれは何故、緑真が自分を狙ったのかという大きな疑問に押しやられてしまう。
「桜花。君は何故緑真が犯人だと?」
「特に決定的な証拠があった訳じゃない。ただ、お前の話から犯人は相当な弓の使い手だということが分かった」
砂月の問いに応えながら、桜花は緑真の上に屈み込み、その容態を診始める。
「それで、狩に参加したとき、勢子の一人から聞いた話を思い出したんだ。ブランシエル家の中では、緑真が一番弓の扱いが上手いのだと。あの日は瑪瑙や俺に遠慮してその腕を見せることはなかったが、緑真は同時に二つの矢を放って、別の的に当てることもできるらしい」
先ほど飛来した二つの矢は、まさにそれだったのに違いない。
「…あとは、緑真の目かな。緑真のお前を見る目が、少し違っていた」
「どのように?」
「上手く説明できない。「違う」と感じられるのもときどき、それもほんの一瞬だった。緑真はよほど自制心があるんだろうな。だが、その視線が俺には妙に気に掛かった」
「でも、僕と緑真とはつい数日前に出会ったばかりだよ。それまでは一度も会ったことはないし、僕にはそこまで彼に憎まれる理由が分からない」
「それは本人に訊いてみるしかないだろう」
桜花を手伝いながら、砂月は混乱して眉を顰める。
話しながら、軽い火傷を負った緑真の傷の手当てを終えた桜花は、ふと話題を変える。
「砂月。これをやったのはお前だろう」
「…!」
不意を突かれた砂月は、思わず桜花の澄んだ瞳とまともに視線を合わせてしまう。
言葉にはしなかったが、鋭く息を呑んだ反応と、繕う暇を与えられなかった表情が、桜花の問いに対する応えを与えた。
よりにもよって、一番知られたくない人に最大の秘密を知られてしまうとは。
無防備に過ぎた自分に舌打ちしたい気分で、砂月は桜花の瞳から目を逸らす。
しかし、変わらず自分を見詰める強い視線から意識を逸らせない。
「何故、僕はこのような能力を持っているのだろう?」
気付けば、吐き捨てるように自分の気持ちを吐露してしまっていた。
一度、口にしてしまうともう止められない。
砂月は初めて今まで胸のうちに押し込めていた言葉を桜花の前に晒す。
何故、自分はこのような能力を持っているのか。
人として過ぎる能力。
人を傷付けるだけの能力。
他人にとっても自分にとっても疎ましい能力。
そして、その能力を制御する術さえ自分は持たないのだ。
「こんな能力が欲しいとは一度だって願ったことはないのに」
そう、生まれてからただの一度も。
そんな自分に何故、このような能力が。
呻くように言葉を途切れさせると、黙って聞いていた桜花が口を開いた。
「確かにこのような能力は、持ち主の望みに関係なく生まれつき備わるものが多い。人が生まれる場所を選べないように」
言葉を切った桜花は、一度緑真へと視線を落としから、再び顔を上げた。
「砂月。お前が制御できないまま発現させた炎が何故、消えたか分かるか?」
「え…」
「何故、今緑真がずぶ濡れなのだと思う?」
「何故って…君はその理由を知っているのかい?」
戸惑う砂月を、桜花は真っ直ぐ見詰め、言葉を紡いだ。
「この炎を消したのは俺だ」
「何だって?」
「見てみろ」
驚く砂月に向かって、桜花は無造作に白い左手を翳す。
その手の周りの空気が、急速に湿り気を帯び、白い小さな霧となって立ち込める。
そうして、細かい水の粒子は桜花の掌の中心に向かって集まり凝縮し、一つの球体となった。
大気から生まれた水の玉。
「お前とは正反対の水の能力になるな。分かるか、砂月。能力を持っているのはお前だけではないんだ」
桜花の掌の水を呆然と見詰めながら、砂月はようやく言葉を返す。
「……でも、君の能力は人を傷付けるものじゃない」
「違う。俺の能力も扱い方を誤れば、簡単に人を傷付けてしまうものだ。お前の能力と大差はない」
見据えてくる強い瞳から目を逸らせなくなる。
「お前は何故、自分がこのような能力を持っているのかと言ったな。それは俺だって同じだ。何故、このような能力を持っているのかは分からない。しかし、能力はただの能力だ。それ自体に善も悪もない。全ては持ち主の意のままに姿を変える」
「でも…」
「お前は能力を制御することができないとも言ったな。当たり前だ。能力を制御するとは、それをないものとして押し隠し、発現させないようにすることじゃない。能力を自分の意に添うように、発現させることなんだ。お前のように自分の能力をひたすら疎んで、否定するだけでは、能力を制御する術を得ることは到底無理だ」
厳しい言葉に、砂月は反論の言葉を失う。
「お前にそう言う人間は周りにいなかったのか?」
いなかった。
皆、ただ砂月の能力を恐れ、そのことに触れようとさえしなかった。
もっとも身近な存在である星砂でさえ、慰めるように抱きしめてくれることはあっても、この能力を肯定してくれることはなかった。
黙り込む砂月に、桜花は容赦ない言葉をぶつける。
「もし、いなかったというのなら、俺が今言おう。自分の能力から目を逸らすな。逃げるな。否定するのではなく、その能力を見据え続けろ。全てはそこから始まる」
それは口で言うほど生易しいことではない。
しかし、桜花は確かにそれを実行し、乗り越えてきたのだ。
揺るがない眼差しと言葉には、否定できない実感が篭っていた。
だからこそ、砂月は何も言い返せなかった。
桜花の言葉と共に、唇を強く噛み締める。
桜花の言う通りだ。
自分は何と甘えた精神でいたことか。
己の真実から目を逸らし、周りの人間をも巻き込みながら、ただ逃げ続けて。
「…情けないね。自分でも呆れる」
「今からでも遅くはないさ」
思い詰めたような声音に、桜花の口調が柔らかくなった。
「…そうかな?ただの気休めじゃなく?」
「俺が単なる気休めを言うと思うか?」
「……思わない」
そこで、やっと砂月は桜花に微笑み返すことができた。
何処か決意の滲んだ笑みに、桜花は朗らかに微笑み返す。
「これからだ」
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