面影


   面影 24

 

 紅い、紅い花弁。

 

 鮮やかなそれに彩られた桜花(おうか)の身体が、地に倒れこむ様を、砂月(さづき)は呆然と見詰めていた。

 

 いやにゆっくりとしたその瞬間。

 

 紅い紅い花弁に彩られて、横たわる華奢な身体。

それはまるで花が手折られた様にも似ていて。

 

 射抜かれたのは右肩だ。

 矢が突き立ったままの傷から止め処なく流れる真紅が、身体の下に広がる華を次第に大きくしていく。

 それに伴い、只でさえ白い顔は、ますます白さを増していく。

 その姿は、今にも透き通って消えてしまいそうなほどの儚く、そして、美しく見えた。

 死に似た静寂の美しさ。

 

 その瞳は開かれない。

 

 やけに長い一瞬を経て、砂月はようやく茫然自失の状態から立ち直る。

 しかし、今度は入れ替わるように訪れた混乱に、心は瞬く間に染められていく。

 

「桜花!!」

 射抜かれた右肩を抑えながら、半分伏せるように左肩から倒れ込んだ桜花は、強く眉根を寄せ、浅い呼吸を繰り返している。

 

 彼の名を呼ばわりながら、駆け寄ろうとする砂月の目の端で、何かが動いた。

 弓矢を携えた人影。

それを認めた途端、抑えきれない怒りが噴出した。

 眼鏡が弾き飛ばされ、露になった右目の中で、炎が揺らめき、一瞬にして激しく渦巻く。

 

「……!!」

 

 その瞳の炎が呼び起こしたものか、突如として出現した炎が、この場から逃げ去ろうとしていた人影の身体を包む。

瞬く間に火達磨となった人影が声にならない悲鳴を上げた。

 狂ったように転げ回るが、身を包む炎は消えない。

 

 砂月はその様を冷酷に見詰めていた。

 その冷たい瞳の中では、今も炎が揺らめき、彼の周囲を包む空気もその瞳を映したかのごとく、陽炎のように揺らめいている。

 砂月はゆっくりと火達磨となった人影へ近付いていく。

 

 自分を狙い、桜花に怪我を負わせた者を断罪する為に。

 

 そのとき。

 

「さ…づ…き……!」

 

 今にも消え入りそうな声が、砂月の足を止めさせた。

 瞳に宿る炎が、収まっていく。

「…砂月…止めろ……」

 もう一度、弱弱しくはあるが、はっきりとした声が耳に届く。

その声に砂月は今度こそ、己を取り戻した。

 瞳に宿る炎は消え、襲撃者を襲った炎も消え去った。

 その者は気を失ったのか、ぐったりとその場に伏している。

 凄まじい炎だったが、命に別状はなさそうだ。

 

 しかし、砂月はそんなことには目もくれず、

「桜花!!」

身を翻し、名を呼び掛けつつ、今度こそ桜花の傍らに駆け寄る。

 

 桜花は水色の瞳を開いていた。

 

 顔色は変わらず悪かったが、その瞳が輝きを持っているだけで、砂月を安心させるには充分だった。

 右肩に刺さった矢を抜きつつ、身を起こそうとする桜花の身体を、砂月は思わず掬い上げるように抱き締めていた。

 その鼓動が感じられるよう、強く抱き締める。

 

 大丈夫だ。

 自分は彼を失っていない。

 

 砂月の腕の中で、桜花は暫くおとなしくしていたが、やがて口を開いた。

「さ…づき」

「何?」

「血止め…したいんだが」

 苦しげに紡がれる言葉に砂月は我に返る。

「ご、ごめん!!!」

 慌てて腕を解けば、桜花の顔色は先程よりも白くなっていた。

手を離した拍子に再び倒れ込んでしまいそうになったので、砂月は慌てて、今度は慎重に桜花を抱き支えた。

「お前、意外に冷静さが足りないな…」

 息も絶え絶えながら、桜花は苦笑する。

「本当にごめん……」

彼自身の指示に従って、自ら破いたシャツの袖で、止血を手伝いながら、砂月は心底反省し、謝るしかなかった。

 整った眉を寄せて、自分を責める風情の砂月に、やっと顔色が戻って来た桜花がまた、苦笑する。

「謝るなよ。それ程酷い怪我でもない。血止めさえすればどうにかなるさ。逆に砂月に心配を掛ける形になってしまって、こっちこそ悪かった」

 桜花はそう言ってくれるが、納得できる筈がない。

 今、応急的なものではあるが、治療を手伝ったから分かる。

桜花の右肩の怪我は、彼自身が言うほど軽いものではない。

 それに……

「…これでは、暫く右腕は使えないだろう?」

 確か、桜花は右利きだった筈だ。

 この傷では、仕事どころか日常生活にも差障りが出るだろう。

 それなのに、自分は我を忘れて一刻も早くしなければならない筈の止血さえ怠ったのだ。

……全く不甲斐ない。

「この矢は本当だったら、僕が受けるものだったのにね…」

 抜かれた矢の先、桜花の血に染まった鏃を見詰めながら砂月が呟く。

 すると、その先を封じるように、桜花が無事な方の左手を上げた。

「だからといって、自分の方が矢を受けるべきだった、なんて言うなよ。もし、お前があのまま矢を受けていたら、この程度の傷ではすまなかった。頼むから、俺の尽力を無にするようなことを言うのは控えてくれ」

「……そうだね…有難う…」

 まだ、苦しげに微笑む砂月を安心させるように、桜花は微笑む。

「なに、暫く片腕が使えないことくらい何でもない」

「でも、利き腕だろう?」

「ああ、確かに右は利き腕の一つだ」

 そう言って、桜花は先程まで青褪めていた怪我人とは思えない敏捷さで立ち上がった。

 目を丸くして見上げる砂月に、にやりと笑ってみせる。

「実は俺は両利きなんだ。右が使えないなら、左を使えばいい。仕事にも生活にも大した差は出ない。だから、必要以上に気に病むな」

 儚い外見とは裏腹な桜花の毅い微笑みが眩しく感じられて、砂月は思わず目を細めた。

 そんな彼を余所に、桜花は倒れた人物へと近付いていく。

 

 恐らく、先日砂月を襲撃した犯人である人物。

 桜花に続いて、その人物の姿を捉えた砂月は、驚きの声を上げた。

 何故なら。

そこに、横たわっていた人物は……

 

「緑真!!」



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