面影
面影 22
「な、なんと無礼な……」
瑪瑙がやっと言葉を発することができたのは、去っていく桜花たちの背中が大分小さくなってからのことだった。
一方、大地は視線をテラスへと戻したところで固まっていた。
そんな様子には気付かず、瑪瑙は再び憤然と言葉を続ける。
「ブランシエルの跡継ぎ候補ともあろうお方が、ブランシエルを軽んじるような発言をするとはなんと情けない…!」
「…確かに、全く情けないことだな。桜花たちではなく、お前たちの方だが」
突如として、厳格な響きを持った声が、瑪瑙の耳を打つ。
「こ、公爵!!」
既に公爵の存在に気付き、青褪めていた大地に遅れてやっと、瑪瑙の丸い顔からも血の気が引く。
そんな彼らを、ブランシエル公爵は岩のように厳しい、しかし、殆ど感情を含まぬ静かな表情で見据える。
「良い機会だ。ここではっきりと言っておこう。お前たちがそれぞれの跡継ぎ候補の後見を名乗ることは勝手だが、それは私が認めたものではない。よって、お前たちの後見人としての主張には全く正当性がない。そのことをよくよく心得よ。瑪瑙」
「はっ、はい!」
「当主たる者が、務めも果たさず、長く屋敷を空けていては、イファス家も衰退するばかりだろう。今すぐ屋敷に戻るが良い」
「…い、今すぐで御座いますか?」
畏まりながらも、思わず訊ねた瑪瑙に、公爵は止めの一言を投げ掛ける。
「お前も一族の長ならば、他に頼らず己の力のみで家を立て直してみよ。そのことに関してブランシエルは一切手出ししない。そのことも良く憶えておけ」
「…は……」
没落しようとするイファス家への援助をはっきりと断られ、瑪瑙はがっくりと肩を落とす。
そんな彼の様子に構うことなく、公爵は言葉を続ける。
「大地」
「はい」
「お前には分家の管理を任せていた筈だ。それが、いつまでもこうして、本家に入り浸っているのはどういうことだ?お前もすぐ戻るが良い」
「…畏まりました」
心底残念そうな様子を隠し切れないままであったが、大地も公爵の言を受け入れた。
話を終えた公爵は、肩を落とす二人に背を向ける。
思わず肩の力を抜いた瑪瑙らは、しかし、公爵が、背中越しに投げ掛けた言葉によって、再び硬直した。
「ブランシエル家にとって大事なのは、正統な血そのものではない。その血、その名に裏付けられた誇りを保つことが大事なのだ。その誇りを汚すような輩は、ブランシエルには必要ない。それ故、お前たちもブランシエルには不要な存在だ。今すぐ出て行くがよい。その不快な顔を二度と私の前に晒すな」
「こ、公爵!」
「お待ち下さい!」
必死に呼び止めようとする彼らを無視し、公爵は第一執事を従え、執務の為に邸内へと戻っていった。
そして。
ブランシエル家の森に包まれた塔。
いつも通り、翡翠に食事と薬を運ぶ為、そこを訪れた緑真は、思いがけない事態に驚愕していた。
塔の扉の鍵が開いている。
緑真は入り口に食事の盆を置き、灯りを準備するのももどかしく、一気に塔の階段を駆け上った。
「翡翠様!!」
此方も鍵の掛かっていない部屋の扉を開け放つ。
開かれた窓。
風に揺れる白いカーテンが、あたかも彼の人の纏う夜着の裾のように、目を惑わせる。
ベッドに駆け寄って薄い帳を押しのけると、そこはもぬけの殻だった。
シーツの冷たい感触が、塔のただ一人の住人がここを離れて久しいことを伝えてくるのみ。
一人で出て行ったというのか。
まさか。
それとも、誰かに連れ出されたというのか。
一体誰に?
「翡翠様!!」
悲痛な声で呼ばわりながら、緑真は己の身体が冷たい汗に濡れていくのを意識する。
脳裏にちらつくのは、あの忌まわしい光景。
眩暈を憶えるほどの鮮やかな紅。
駄目だ。
このままでは。
早く、早く彼女を見つけ出さなければ。
あの光景が再現されてしまう前に。
…彼女が…彼に会ってしまう前に。
早く。
…早く。
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