面影


  面影 21

 

 再びつまらない考えに囚われて、気分転換どころではなくなった砂月(さづき)は、屋敷内へ戻ろうと、地面より高い位置に設えられた石造りのテラスへ向かう。

 すると、

「おや、これは砂月殿」

テラスに付いている階段に近付いたところで、砂月は桜花(おうか)の支持者、瑪瑙(めのう)・イファスと出くわした。

「お一人で庭を散歩ですかな?」

「ええ」

 見れば分かるだろうと思いつつ、砂月は、表向きは穏やかさを装って応える。

 

 こちらを見る瑪瑙の瞳には明らかに侮蔑の色がある。

 不快なことを言われる前に、早くここから離れた方がいいだろう。

 静かに相手に目礼をして、階段に掛けようとした足をふと止めた。

 

 動機という点から考えると、この瑪瑙・イファスが、狩の襲撃者である可能性が一番強いのではないだろうか。

 彼の弓の腕が人並み以上であればという話だが。

 と、

「おお、砂月君ではないか!」

 新たな人物の呼び掛けに、砂月は内心舌打ちする。

 厄介なことになりそうな予感がする。

 

 振り返れば、案の定、今度は砂月の支持者であるところの大地(だいち)・ブランシエルがやって来る。

 相変わらず趣味が良いのか悪いのか分からない格好である。

 これまた、技とらしい笑顔で、砂月に近付いてきて、そこでやっと気付いたように、

「おや、瑪瑙殿もおられましたか」

と、何処か揶揄するように、相手に微笑んで見せた。

 相手はもちろんムッとした。

「それはこちらの台詞ですな」

「どういうことですかな?」

 あからさまに示された侮蔑の態度に、大地も笑顔を消す。

 瑪瑙は尊大にフン、と鼻を鳴らした。

「名ばかりでブランシエルの血を持たぬ者が、我が物顔で邸内を闊歩しておるではないですか。しかも、それだけでは飽き足らず、身勝手にも跡継ぎ候補の後見人を自称して……よもや、それを切っ掛けとして、いずれはブランシエル家を乗っ取ろうなどという大それた望みを抱いている訳ではないでしょうな?」

「これは心外な。私は確かにブランシエルの血は引いておりませんが、誰よりもこの家の繁栄を望んでおります。だからこそ、私はこの家の行く末も案じておるのです。この度の跡継ぎ問題は、その行く末に関わる問題です。私はその未来の為に、この家に相応しい跡継ぎをお支えしようと……」

「よく回る舌をお持ちですな」

 大地の口上を瑪瑙が皮肉気な口調で断ち切った。

 その相手を大地は苦々しげに睨む。

「そう仰る貴方はどうなのです?いくらブランシエルの血を引いているとしても、貴方は一族の末端。しかも、今はブランシエル家の一員ですらない。そして、婚姻によって貴方が爵位を継いだイファス侯爵家は、断絶寸前。先程貴方が私に向けた質問をそのまま返させて頂きますよ。貴方の方こそ、跡継ぎの後見となることで、最終的にこのブランシエルを乗っ取ろうとしているのではないですか?」

「無礼な。私をブランシエルの血を引かぬ君と一緒にしないで貰いたい」

 

 予想通り、険悪化していく二人の会話を聞き流しつつ、砂月は内心で苦笑する。

 今二人が探り合う彼らの真の思惑など、砂月と桜花はとうにお見通しなのだ。

 彼ら自身は、表面上は上手く取り繕ってきたつもりらしいが、最初からこの家の為ではなく、彼らの身勝手な欲望を叶える為に、砂月たちを利用しようとしていることくらい、誰にでも分かる。

 もちろん、現ブランシエル公爵も分かっているだろう。

 いくら彼らが後見人を強硬に自称しようとも、公爵はそんな彼らを認めまい。

 

一方、瑪瑙は遂に我慢できなくなったのか、今度は砂月にも侮蔑の矛先を向けてきた。

「言わせて貰うが、大地殿、君が本当にブランシエルのことを思うのなら、このような者を跡継ぎにしようと、思い立つ訳がない。こんな血の定かではない者を。まあ、ブランシエルの血を持たぬ君らしいと言えば言えなくもない人選だが」

「そちらこそ、無礼なことを言わないで頂きたい!確かに砂月殿の父方の血は不明ですが、お母上は現公爵の御令嬢だとはっきりしているではないですか!砂月殿は跡継ぎに相応しい優秀な方ですぞ!!」

「ほう。出会って僅か数日でそう断言できる根拠が何処にあるのですかな?それとも、砂月殿の人となりが分かるほど前から、君は彼を知っておったのですかな?」

 それはそれで問題、と揚げ足をとる瑪瑙に大地が眉を吊り上げる。

「その点、桜花殿は母方の血のみならず、父方の血もはっきりしている。宜しいかな、大地殿。砂月殿も。跡継ぎとして何よりも大事なのは正統なる血。誰のものとも分からぬ怪しい血で、ブランシエルの高貴な血を汚す訳にはいかぬのですぞ」

 公爵家の血を引いていないことは、大地にとっての弱みであるのか、大地は余裕振って話す瑪瑙を激しく睨みつける。

 対照的に、一緒に貶された形の砂月は冷静だった。

 父方の血が定かでないのは真実だし、別に跡継ぎになどなりたくはないので、瑪瑙にどのようなことを言われても、痛くも痒くもないつもりだった。

 

 しかし、意趣返しとばかりに大地が口にした言葉は、無視することができなかったのである。

「瑪瑙殿、貴方の掲げる桜花殿だって似たようなものではないですか」

 唸るような声で発せられた言葉に、瑪瑙の顔から笑みが、剥がれ落ちる。

「どういうことですかな」

 大地は嘲笑うような表情を浮かべる。

「確かに桜花殿の血筋ははっきりしております。しかし、彼の父方の血はあの(・・)(さき)ですよ。他国では知りませんが、この国では最も忌まれるべき医術師の血筋です。しかも、桜花殿自身も医術師として働いている。あの妖しげな呪術を使うのみならず、治療と称して、患者の身体をも切り刻む野蛮な医術師としてですよ?そんな彼を跡継ぎにすることこそ、ブランシエルの高貴な血に、野蛮な疎ましい血が混じることに他ならないのではありませんか?」

 

「止めて下さい」

 その頬肉の緩んだ顔に怒気を浮かべた瑪瑙が、何かを言い返す前に、凛とした声が思わぬところから発せられた。

 大地が驚いて傍らを見上げる。

 そんな彼を砂月は、静かなそれでいて厳しい表情で見返した。

 脳裏には、公爵と対面した際に、自分の仕事と一族の名に、誇りを持っていると断言した桜花の姿が浮かんでいた。

「この国の医術師に対する見方が他と違っているのは知っています。そして、僕は他の医術師がどうなのかを知りません。しかし、桜花は…彼だけは断じて野蛮な医術師などではありません。御訂正願います」

 きっぱりとした口調でそう言った砂月の静かな表情の中で、色眼鏡の奥の瞳だけが内心の怒りを映して煌いている。

 このときばかりは、桜花に対する疑念は、砂月の念頭から消え去っていた。

そんな彼を、大地、そして瑪瑙も暫し呆気にとられて眺めた。

 

先に立ち直ったのは瑪瑙だった。

「…ほぅ!これはこれは、思わぬところから助けを頂きましたな。砂月殿は随分と桜花殿に好意的なようですな。有り難い事です。しかし、まさか…これで我々に恩を売ろうとの魂胆ではないでしょうな。いや、同じ跡継ぎ候補を気遣うことができる優しさを持っていると、公爵に強調するつもりなのですかな」

「瑪瑙殿!」

「私は砂月殿にお伺いしているのだ。君は黙っていたまえ」

 瑪瑙は割って入ろうとする大地の言葉を遮る。

砂月は応えなかった。

言い返そうと言い返すまいと、この男はその反応を自分の都合の良いように解釈するに違いない。

ならば、黙っている方が良い。

それに…桜花ではなく、自分のことなら誰に何を言われようとも我慢できる。

砂月の無言の応えを、瑪瑙はやはり自分の都合通りに受け取った。

ますます謗りに拍車を掛ける。

「どんなことをしたところで、貴方が何処の馬の骨とも分からない男の子供であることは厳然たる事実ですぞ。しかし…いやはや、大した計算高さだ。その狡賢さは育ての御両親から引き継いだものなのですかな?それとも……翡翠(ひすい)様は優しく素直な方でしたからな、これは恐らく父親から引き継いだものなのでしょうな。何せ、美しい公爵家令嬢を上手く騙し、散々弄び、身篭らせた上で捨てたという男ですからな。もしや、砂月殿にも既にそういう女性が……」

 瑪瑙から大量な暴言を浴びせられた砂月は、流石に黙っていられなくなって、言い返そうと口を開きかける。

 ちょうどそのとき、調子に乗った瑪瑙によって吐き付けられる暴言が、突如聞こえた水音と共に、封じられた。

 

「あ、熱っっ!!」

 頭から浴びせられた液体に瑪瑙が悲鳴を上げる。

 その場にいたもの全員の視線が、瑪瑙の頭上、テラスの上へと向けられた。

 被害者である瑪瑙が、そこにいた人物を認めて呻くように呟く。

「お、桜花殿……」

 桜花は砂月が初めて見る冷たい表情で、瑪瑙を見下ろしていた。

 挙げた片手に、逆さにしたティーカップを持っている。

 とすると、瑪瑙にぶちまけられたのは、煎れ立てのお茶だったのだろう。

「お、桜花殿!貴方は一体どのようなつもりで…!」

「どのようなつもりとはこちらの台詞」

 ようやく驚きから立ち直った瑪瑙が憤然として言いかけた言葉を、桜花は鋭く遮る。

 その声音と同じ鋭い眼差しで見据えられ、瑪瑙は言葉を失った。

「瑪瑙殿、貴方は一体どのようなつもりで、邪推混じりの暴言を砂月に投げ掛けるのか?仮にも名門と称するブランシエルに、そのような品のない人間がいるとは思わなかった。それとも、ブランシエル家の人間は皆そうなのか?己の血統を大事にしたいが為に、皆そのような邪推をする癖が付いているというのか?もし、そうならば…ブランシエル公爵家も高が知れている」

 そう、手厳しい言葉を投げ掛けると、桜花は手にしたカップを傍らのテーブルへと置き、テラスの階段を降りる。

 呆気にとられている瑪瑙、大地を無視して砂月の方へつかつかと歩いて行く。

こちらもまた、少々呆気に取られている砂月の腕を強引に取り、半ば引っ張るようにして、再び庭へと連れ出していった。



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