面影


   面影 20

 

 狩の日から数日。

何時の間にか期限の一週間目が明日に迫っていた。

 

 体調不良と称して、朝からずっと部屋に篭っていた砂月(さづき)は、昼過ぎになってようやく部屋を出た。

 その傍らに桜花(おうか)はいない。

 そもそも、彼と顔を合わせる気まずさの為に、砂月は今まで部屋に篭っていたのだった。

 しかし、独りでいると尚更、思考は悪い方へと傾いていく。

 半日でそれに耐え切れなくなり、砂月は部屋を出たのだった。

 

 気分転換の方法を考えつつ、廊下を歩いていると、食事と薬の盆を携えた緑真(りょくしん)と行き会う。

「ああ、砂月様。桜花様でしたら、朝から書庫にいらっしゃる筈ですよ」

「…ああ。有難う、緑真」

 桜花を探していると思ったのか、そう言った緑真に、砂月は微笑む。

 一礼して去っていく彼の姿勢の良い背中を見送りながらふと、彼はこれから母のところへ行くのだろうと気付く。

 しかし、それを敢えて確かめるつもりはなかった。

 足が自然に緑真から教えられた書庫へと向かう。

 僅かに開かれていた書庫の扉から中を窺うと、広い部屋の奥に、桜花の華奢な麗姿をすぐに見付けることが出来た。

 高い書棚に寄せられた脚立に腰掛け、その膝に書物を広げている。

 取り出した書物を、部屋の中央にある机まで持って行くのももどかしく、その内容に没頭しているようだった。

 砂月には気付かない様子の彼をそのままに、砂月はそっと扉から離れ、庭へと向かった。

 

何となく面白くない気分だった。

 自分が桜花の傍にいてもいなくても、彼は全く変わりない。

自分は今、彼のことでこれほど悩まされているというのに。

 

不公平ではないか。

 

庭を歩みながら、砂月は自分の身勝手な感情に苦い笑みを零す。

彼に疑念を抱いたまま、その事実を確かめようともしない自分が、何を不満に思うのか。

 

 桜花は砂月と共に過ごしているときも、あのように一日中殆ど動かずに過ごすことがあった。

また、馬を駆るなどして一日中外を動き回っていることもあった。

 全く対照的な日の過ごし方だが、彼に訊ねれば、外で身体を動かすのも好きだし、内で静かに本を読むのも好きなのだと応える。

 静と動。

 これは彼の言動にも表れるもので、歳相応、いや、それ以上の無邪気な活発さと同時に、実年齢以上の冷静な思慮深さも見せる。

 そんな一見相反するものが、自然な形で無理なく同居している。

 砂月が桜花という存在を不思議に思うのはそんなところだ。

 

 しかし。

 それは同時に、桜花の内面を見極めることが、砂月にとって容易ではないことをも、表している。

 こうして一人でいると、昏い疑問が湧き出して来るのだ。

 果たして、桜花が自分に見せている姿は、真実本当の姿なのか。

 その美しい唇から紡ぎ出される言葉に偽りはないのか。

 

 おそらく、そんな疑問は無駄な勘繰りに過ぎない。

 しかし、彼と知り合ってからの日の浅さが、無条件に彼を信じることを否定するのだ。

 

 先日の狩での襲撃。

 緑真は狩の最中、桜花以外に一行から離れた人間は見なかったと言っていた。

 もちろん、彼が一行から離れた者を見過ごした可能性もある。

 桜花が襲撃者であると断定できる根拠も証拠もない。

 しかし、襲撃者が桜花ではないとする根拠もないのだ。

 もし、彼がその内面では、侯爵家を継ぎたいと思い、砂月を邪魔に思っていたなら。

 しかも、彼は実行力も持っている。

砂月自身が見た訳ではないが、飛んでいる鳥を落としたという彼の弓の腕は、生半可なものではないだろう。

 そして、例の矢は間違いなく、気配を感じさせないほど離れた場所から放たれたものだった。

 

 出来得るなら、信じたい。

砂月には眩しいほどに、清らかな姿を持つ彼を。

そう願う心とは裏腹に、頭は強硬に彼を疑惑の対象から外すことを許さなかった。



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