面影
面影 13
次の日、早朝のことだ。
砂月はけたたましいと言えるほどの扉のノック音に目を覚ました。
夜着と髪の乱れを素早く直しつつ、砂月は扉を開ける。
扉の前には見知らぬ男性が立っていた。
「初めまして。君が貴城砂月君?」
「ええ、確かに僕が貴城砂月ですが、貴方は?」
応えつつ、早朝突然やって来た無遠慮な客の姿を砂月は観察する。
歳は三十代後半あたりだろうか。
貴族らしい贅沢な衣装に身を包んでいる。
その意匠や仕種で若々しく見せようと努力しているようだが、成功しているとは言い難かった。
「朝早くに突然訪ねてしまって済まないね。私は大地・ブランシエルと言う。君の母上の従弟に当たるものだよ。義理ではあるがね」
そう名乗った男は訊いてもいないのに、己がブランシエルの中でどのような立場にあるか語り始めた。
母方の従妹の家に婿入りしたというその男は、話しながら、気さくな風を装って、砂月に手を差し出す。
おとなしく握手に応えつつ、砂月は捲くし立てるように話し続ける男の話を耳からもう一方の耳へと聞き流していた。
しかし、男が話の締めくくりとして口にした言葉だけは、聞き流すことが出来なかった。
「…という訳で、野蛮な咲一族の血を引く者よりも、君の方が余程、この公爵家の跡継ぎに相応しいと私は思っている。君が跡継ぎに選ばれるよう、これから私の力が及ぶ限り援護させて頂くよ。君はまだこの国に来たばかりで、何かと分からず、不安なことも多いだろう。何でも相談してくれたまえ」
この男は砂月の後見人として名乗りを上げたのだった。
「俺のところにも今朝、後見人候補と宣うじいさんが来たぞ。祖母の弟だとかいう…」
食後の紅茶を口に運びつつ、桜花は砂月にそう言う。
二人は朝の明るい陽射しに照らされた庭のテーブルで共に朝食を摂った。
その際、砂月は早朝の来客のことを桜花に話したのである。
桜花の淡々とした応えに、砂月も紅茶を口にしながら眉を顰める。
先ほど、給仕をしてくれた緑真に、問題の後見人候補たちのことを尋ねると、彼らはブランシエルの傍系で、砂月たちの存在が明らかになる前はそれぞれが後見する跡継ぎ候補を次々と出しては反目し合っていた仲だという。
「…何か嫌だな」
「?何が?」
思わず呟くと、桜花が澄んだ瞳をこちらへ向ける。
「このままでは、僕たちの意思とはまるで関係なく、敵対する構図になりそうじゃないか」
「そうだな」
「桜花はそれでもいいと思っているのかい?」
「いいや。御免蒙りたい状況だな」
「それならどうするつもりなんだい?」
桜花は自分の応えに不満げな顔をしている砂月を眺めた。
ふと、カップを持っていない左手を上げ、砂月の彫り深く整った顔へと伸ばす。
次いで、立てた白く細い人差し指の先を砂月の眼鏡の上、皺の寄った眉間にぶすりと刺すように押し付ける。
「いてっ!」
思わず、悲鳴を上げて桜花の指をどかし、刺された額を抑えた砂月の様子を見て、桜花は愉快そうに笑う。
「そんなに皺を寄せっ放しにしていると癖が付くぞ」
「桜花!」
「ほらまた眉間に皺」
再度伸ばされた桜花の華奢な手首を咄嗟に掴んで止めた砂月は、思わず溜息をつく。
再び眉を顰めそうになるが、桜花に悪戯をされるのはもう嫌なので、どうにか堪える。
ややずれた話題を元に戻す。
「それで、もう一度訊くけど…」
「俺がどうするつもりかって事だろう?」
砂月に悪戯を仕掛けつつも、話はきちんと聞いていたらしい。
「別にどうもしない」
砂月に掴まれたままの手首を遊ばせるように揺らめかせながら、桜花は何でもないことのように言う。
「対立しているのはそいつらであって俺たちではない。彼らが俺たちをそれぞれ担ぎ出そうとするのも、彼らの勝手であって俺たちには関係ない。どちらにしろ、跡継ぎを決めるのはあの爺様だ。俺も好きにさせてもらうさ」
思いのほか軽い口調に砂月は一瞬呆気に取られ、握っていた桜花の細い手首をゆっくりと離した。
この国で一二を争う公爵家の跡継ぎ問題だ。
これほど軽い言葉で片付けられるものではない。
周りの人間の起こす事態に否応なく、巻き込まれていくこともあるだろう。
しかし……
「…桜花は僕と対立する気はないんだ?」
「ないね」
桜花は迷いなくきっぱりと応える。
砂月はそんな彼の言葉だけで胸が軽くなるのを感じた。
「…そうだね。桜花の言う通りだ。僕も桜花とは争いたくない…その気持ちさえしっかりしていれば何も迷うことなんてない。…柄にもなく神経質になっていたみたいだ、ごめん」
「謝ることはない。珍しい事態ではあるからな。戸惑うこともあるだろう」
桜花は何処か照れたような苦笑を見せた砂月の肩を力付けるように叩く。
それから、砂月の瞳を悪戯っぽく覗き込んだ。
「俺たちを掲げようとしている奴らは、今俺たちがこうして仲良くお茶を飲んでいるだなんて想像も付かないだろうな」
その言葉に砂月は目を瞬く。
「それは…そうだろうね」
「もし、この場面をそいつらが見たらどう思うかな?」
相変わらず悪戯っぽい表情を浮かべたままの桜花の問いに、砂月の表情が緩む。
「仲良くお茶をしながら、互いの腹を探り合っていると思うだろうね」
「深読みもいいところだがな」
そこでやっと二人は微笑み合った。
「そう思いたい奴にはそう思わせておけばいい」
「…そうだね。何も気にする必要はないんだ」
どちらが跡継ぎに決まるのか。
気になることではあるが、こちらに決定権がない以上、思い悩んだところで仕方がない。
無駄に策を弄したところで、更に墓穴を掘る可能性もある。
ならば、悩むのは跡継ぎが決定してからでいい。
それまでは、自分の思う通り自由に振舞おう。
そうすればきっと、桜花と過ごす時間がもっと楽しくなる筈だ。
そう心に決めつつ、砂月は桜花に向かって穏やかに微笑んだ。
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