面影
面影 11
「俺たちのうちのどちらかが家を継いでも、この家は滅びるかもしれないぞ」
砂月の思いを代弁するように、桜花が言う。
「お前たちの調書を見る限りではその可能性は少ないと思える。しかし、全くないとは言えないのは確かだ。跡継ぎ決定はお前たちがこの公爵家に滞在している間の振る舞いを見てからにしよう」
淡々と紡がれる公爵の言葉に、砂月は僅かに眉を顰める。
すると、再び桜花が彼の気持ちを代弁した。
「ちょっと待て。あんたは俺たちを一体どのぐらいの間引き留めるつもりなんだ?」
「短くて一週間。どちらか一方はそのまま残り、跡継ぎとしての教育を施されることになるかもしれないが」
「冗談じゃない。あんたはさっきの俺の言葉を聞いていなかったのか?俺はこの家を継ぐつもりは毛頭ない」
「僕も先程慎んで辞退させて頂いた筈です」
「決めるのは私だ。お前たちに拒否権はない」
「身勝手極まりないな」
「…同感だね」
「それはこちらの台詞だ。ことはこの公爵家の、ひいてはこの国全体に関わる大事なのだ。お前たちはブランシエルの血を引く者としての義務を果たさなければならない。我儘勝手は許されないことを理解することだ」
砂月は話し合いの無駄を感じ始めていた。
平行線を辿る会話に疲れたように、桜花も溜息をつく。
「砂月はどうなのか知らないが、俺は実質的にこの家を継ぐのは無理だ。あんたも俺のことを調べているなら分かる筈だが」
「お前が咲一族総帥であることか?」
公爵の言葉に砂月は驚いて目を丸くする。
桜花が咲一族であることは知っていたが、まさか自分とそう歳の違わない彼が一族総帥であるとは。
「そうだ。いくらなんでも咲とブランシエル、二つの家の名を継ぐことは不可能だろう」
公爵はそんな桜花の言葉に眉一つ動かさず、調書に目を通しながら、口を開く。
「総帥と言っても今は名ばかりだろう。咲一族は古よりこのロゼリアを除く様々な国々で医術師として活躍し、その名を馳せていたようだが、数代前から数が減少していき、現在一族の直系は総帥であるお前一人。残った血族も他家へ嫁いだ伯母一人だということではないか。今や、咲一族は斜陽どころか滅びの一歩手前だ。…呪われた異端の一族には相応しい末路かもしれないが。あってないが如き一族の総帥であることが、この家の跡継ぎとなるのを拒否する理由にはならないことは明白だ」
「無礼なことを言わないで貰いたい。咲は断じて呪われた一族などではない。俺は医術師としての咲の名に誇りを持っている。それに、咲一族には他とは違う独自のあり方がある。そちらの身勝手な物差しで計らないで欲しい」
そこで、一旦言葉を切った桜花は、薄紅色の唇に淡い苦笑を刻む。
「そう言ったところで、あんたには分からないかもしれないが」
「分からんな」
公爵は冷たく応えた。
砂月の方は今まで知らなかった咲一族の、そして桜花の個人的な事情の一端を耳にして、内心驚くばかりだった。
桜花は全く以って興味の尽きない人物である。
公爵は次に、砂月の調書を一枚ずつ繰った。
「砂月、お前は星砂と共に生まれてすぐこの国の孤児院に預けられた。しかし、すぐにまた何者かの手によって、お前たちは彩和へと連れて行かれた。お前たちをこのロゼリアから連れ出したのは何者か、調べさせたが、明らかにはならなかった。このことをお前は知っているか?」
「…いいえ、初めて聞きました。僕自身が知らないことまで調べ上げるとはブランシエルの情報網は随分と優れているのですね」
己の出生に纏わる新事実に再び驚いた砂月だが、すぐに立ち直り、穏やかに言葉を紡ぐ。
そんな彼の言葉に、彼らを彩和へと連れ去った人物を突き止められなかった公爵は、僅かに眉を顰める。
「それは皮肉か?」
砂月は端正な口元に笑みを浮かべる。
それは品良く、美しい笑みだったが、底が知れない。
「いいえ。思ったままのことを申し上げただけです」
公爵はそんな彼を一瞥すると、言葉を続けた。
「我々が突き止められなかったその謎の人物によって、お前たちは彩和へと渡り、偶然か必然か、姉弟別れ別れになることなく、資産家である貴城家へと引き取られた。そして現在、お前たちの養父母は既に亡く、残された資産はおまえたちのために残された一部を除いて、養父の行っていた事業と共に、全てその弟に引き継がれた。…お前は桜花のように家の名を継いでいる訳ではない。ならば、ブランシエルを継ぐのに、何の不都合もない筈だ。それとも、単なる好き嫌いだけでお前は跡継ぎとなることを拒否しているのか?」
公爵の問いに、砂月は穏やかな笑みを心持ち変化させ、何処か困ったような表情を作った。
しかし、本当に困っている訳ではない。
「困りましたね…僕がこの家の跡継ぎとなることを拒否する一番の理由は、貴方が「単なる好き嫌い」と仰ることに尽きるのです。いや、もしかしたらもっと酷いかもしれないな」
「どういうことだ」
再び穏やかな微笑を取り戻して、砂月は公爵を見る。
しかし、色付き眼鏡の奥から覗く瞳には、笑みの気配は一欠けらもない。
「僕たちは実母だと言う方に対するのと同じ気持ちを、この家に対して抱いています。…昨日、緑真が僕と初めて会ったとき、実の母と祖父だという人に似ていると言いました。確かに僕たちは血が繋がっていて、似ているのかもしれない。しかし、僕はそのことに何の感慨も憶えなかったんです。それと同じように、この家のことにも何の感慨も憶えない。僕はこの家の存続に全く興味を持っていません。そんな人間が跡を継いだところで、果たしてこの家を盛り立てていくことが可能なのでしょうか?」
容赦ない物言いに、公爵は思わず苦笑したようだった。
「それはこれから私が判断する。取り敢えずお前たちの言い分は理解した。中には判断の材料となるものもあるかもしれない。しかし、あくまでもそれは材料の一つにしかなり得ないものだということをここで言っておこう」
あくまでも、公爵の目で見て判断することが最優先という訳だ。
「話は終わりだ。先程も言ったように、お前たちには余程危急の事態が訪れない限り、最低でも一週間はここに滞在してもらう。お前たちがブランシエル家に対してどんな思惑を持っているにせよ、一族の血を引いていることは否定しようのない事実だ。せめてその事実に見合うだけの義務を果たせ」
公爵はそう会話を締め括り、緊張した面持ちで、会話を聞いていた緑真に言葉を掛ける。
「緑真、明日桜花を、砂月と共に再び翡翠の元へ案内するように」
「畏まりました」
緑真の返事を聞くと、公爵は彼らに背を向け、執務机へと戻った。
彼の秘書も兼ねている第一執事から手渡される書類に目を通し始める。
部屋にまだ残っている砂月たちにはもう見向きもしない。
もう戻っていいということだろう。
砂月がちらりと桜花を見遣ると、彼は少しばかり華奢な肩を竦めた。
「桜花はどうするつもりだい?」
公爵にも聞こえるくらいの声で、砂月は問い掛ける。
桜花も声を潜めることをせずに応えた。
「正直、あまり長く引き留められたくはないんだが、仕方ない。ブランシエルの血を持つ者としての義務を果たせとは、いい理由もあったものだ。まあ、幸い危急の用事もないし、最低限の義務は果たすことにする」
「そうだね。僕もそうすることにしよう」
「桜花様、砂月様、どうぞこちらへ」
桜花の言葉に頷いた砂月は、緑真に促され、桜花と共に、戸口へと向かう。
書類にペンを走らせながら、顔を上げようともしない公爵に簡単な辞去の挨拶を述べて、二人は部屋の外へと出た。
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