面影


   面影 10

 

 砂月(さづき)桜花(おうか)は屋敷三階廊下の突き当たりにある公爵の執務室にて、現公爵であり、そして砂月たちの母方の祖父である(らん)・ブランシエルと対面した。

 現ブランシエル公爵である藍は、実はブランシエルの血は引いていない。

先代公爵の娘婿としてこの家に入った人物である。

 何故、ブランシエル直系ではない彼が爵位を継げたのか。

彼は先代国王の弟である。

 つまり彼はブランシエル家の高貴な血を凌ぐ王家の血を引いているからこそ、爵位を継ぐことができたのであった。

 また、元を辿れば王族の血の引くブランシエル公爵家と王家の繋がりは深い。

 現在も政界で活躍しているブランシエル公爵は、年齢を感じさせない、整った顔立ちをしていた。

しかし、その顔立ちは厳格な印象を与える。

 

「相応しい姿ではないな」

彼はその顔を少しも崩さずに、現れた孫たちに最初の言葉を投げ掛けた。

 取り成そうと口を開きかける緑真(りょくしん)を制して、桜花が口を開く。

「相応しい姿とはそちらが用意した服を纏った姿ということか?」

「そうだ」

「孫が実の祖父に会うだけのことだ。それぞれ好きな姿で会えばいい。それに相応しい格好などあるものか」

 公爵は馬鹿にしたような溜息を吐く。

「労働者階級の家族が会うのとは訳が違う。公爵家の血族が顔を合わせるのだ。屋敷にいても、使用人はもとより、様々な人の目がある。そのことを常に考えて、ブランシエルの名を貶めぬよう、振舞わなければならない。服装もその一環だ」

「随分と窮屈な生活だ。俺はそんなのは御免蒙る」

 挑戦的とも言える桜花の態度に、公爵は眉を顰める。

「桜花。お前は私が何の為にお前たちを呼び寄せたのか、分かっているのか?」

「表向きは具合の悪い叔母の様子を診る、ということだった筈だが。あんたが言っているのは裏の目的のことか?」

 公爵を相手に「あんた」呼ばわりである。

 遺憾なく口の悪さを発揮する桜花を少々意外に思いながらも、砂月は二人の様子を興味深げに観察する。

 如何にも不愉快そうな公爵の様子とは裏腹に、桜花の澄んだ瞳は生き生きとした煌きを放っている。

 

 この挑戦的な態度は技とだ。

 桜花はおそらく公爵がどのような人間か見定めようとしているのだろう。

 

 砂月には桜花のこの態度の意味を察することが出来た。

 公爵も余程頭が悪くなければ、察することができる筈だ。

 それは全て公爵の応えに掛かっている。

 

 公爵は苦い表情もそのままに口を開いた。

「桜花。お前はブランシエル家を継ぐつもりはないと言いたいのか?」

 その的確な言葉に桜花は薄紅色の唇を笑みの形に僅かに吊り上げた。

「その通りだ。話が早くて助かる。まず、このことを理解して頂けるなら、話だけは伺おう」

 桜花の口調がやや改まった。

 もし、ここで公爵が呼び出した理由を初めから話し出したのなら、桜花はすぐさまこの部屋から、いやこの屋敷から出て行ったことだろう。

 目前の老紳士が本当に国の中枢を担い切れるほど、有能な人物であるかどうか先に見極めてからでなければ、話をすることはできない。

 そう、桜花は考えたのだろう。

 砂月も全く同感だった。

 

 公爵は桜花から砂月へと視線を移す。

「桜花が継がぬと言うのならば、砂月だが。どうやら、お前も桜花と同じ応えのようだな」

「御理解頂けて光栄です」

 公爵の言葉に砂月は軽く目礼して応える。

 自分たちの祖父は頭の悪い人間ではない。

 

星砂(せいさ)はどうした」

彩和(さいわ)に。彼女も僕と同じ気持ちですよ」

「元より、女子には爵位を継ぐ資格はない。しかし、実の母親に会わないままでいて良いのか?砂月、お前はもう会っただろう?あれはもう長くはない」

「星砂の気持ちを尊重しましたので」

「実の母親に会いたくないと?」

「ええ。自分達を捨てた母親が、もう長くないと聞かされたところで、何の感慨も憶えない、と。貴城(きじょう)の、つまり僕たちを引き取った養母こそが「母親」だ、と。僕の気持ちもほぼ彼女と変わりないものです」

 貴城の養母を「母親」とは思えないことを除いて。

 砂月はそっと心の中で付け加えた。

「砂月はもう叔母に会ったのか?俺はまだなんだが」

「ああ、会ったよ。今日、午前中に」

 口を挟んだ桜花に、砂月は頷く。

 ブランシエル公爵が、桜花の言葉にうるさげに眉を顰める。

「そんなに会いたいのならば、この後にでも会うがいい。それよりも…」

 一旦言葉を切った公爵の顔を砂月は真っ直ぐ見詰める。

「もう既に翡翠(ひすい)に会ったのならば、分かるだろう?あれが自らお前たちを捨てた訳ではないと」

「ええ、そのようですね」

「ならば何故、お前たちが生まれてすぐこの家から出されたのか、その理由も気付いているのではないか?」

「ええ。薄々とは」

 砂月は公爵の言葉に薄い笑みさえ浮かべて応えた。

 

 公爵は机の上から数枚の書類を取り上げた。

 その書類の上に砂月の顔写真が印刷されているのが垣間見えた。

 自分達のことについて記された調書だ。

 どうやら、公爵は事前に砂月たちの身辺を調べさせていたらしい。

 公爵は調書を眺めつつ、言葉を継いだ。

「お前たちにブランシエルを継ぐ気がないのなら話をしても仕方がない。しかし、事体は切迫してきている。是が非でもお前たちのうちのどちらかにこの家を継いで貰わねばならない」

「それならば、桜花ですね。僕は何処の馬の骨とも知れぬ男の子供ですから」

 淡々と言った砂月の言葉に、

「おい、勝手に決めるな」

と、桜花が不満げな声を上げた。

「俺は(さき)一族だ。このロゼリア王国では異端とされている一族なんだぞ」

「異端?」

 砂月の意外そうな言葉に桜花は頷く。

「ああ」

 彼は簡単にこのロゼリア王国と咲一族との関係について説明した。

 

 ロゼリア王国には医師はいない。

 この国で医師に近い役割をするのは薬師(くすし)だ。

彼らの治療法は患者に合った薬を調合し、服用させることのみである。

 砂月の育った彩和国でも、日常的に行われている外科的な手術はこの国では一切行わない。

 逆に、手術は患者の身体を刃物で切り刻む野蛮な行為として忌み嫌われているのだそうだ。

 最先端の医療を行う医術師である咲一族は、必要とあればもちろん、外科手術も行う。

そんな野蛮な行為を成し、更には怪しげな呪術まで行うということで、この国において咲一族は異端扱いされているのだと言う。

 

「だから、真珠(しんじゅ)…俺の母は父と駆け落ちしたんだ」

 桜花の言葉を聞いていた公爵は苦々しげに言葉を紡ぐ。

「あのときは思い出すのも忌まわしいほどの大変な騒ぎだった。真珠は気の強い娘だったが、生まれつき身体が弱かった。外を長く出歩くこともままならないほどだったのだ。そんな娘が家を飛び出し、よりにもよって異端の咲一族の若者と駆け落ちするなど。そうして、その騒ぎが収まり切らぬうちに、今度は翡翠が、誰のものとも分からぬ子を身篭り、あのような状態になった」

「それ程、咲一族の血と身元不明な血を疎んでいるのなら、僕たちの内のどちらかに家を継がせようとするのはおかしくありませんか?」

 当然の疑問に公爵は苦々しげな表情のまま、応えた。

「私も出来得るなら、お前たちを呼び戻すことなく、ブランシエルに残っている者たちの中から跡継ぎを定めたかったが、私にはお前たちの母親以外の子がいない。ブランシエルの血を継ぐ直系男子はお前たち以外にいないのだ」

 そこで、公爵は一旦深い溜息をつく。

「私は長い間、公爵として国家を支える役目を務めてきた。力の及ぶ限り、ロゼリア王家を盛り立て、ブランシエル公爵家を盛り立ててきた。しかし、私ももう歳だ。この役目を次代に任せる準備をしなければならない。つまり、跡継ぎの決定だ。だが、困ったことに傍系も含めて一族中を捜しても、跡継ぎに相応しい人物がいない」

「継ぎたいという者もいないのか?」

「継ぎたいという者だけは多い。しかし、そういう者は皆、ブランシエルの富と権威を手に入れたいという欲望のみ抱き、公爵家や王家を盛り立てて行こうという気概がまるでない。そのような者に跡を継がせては、ブランシエルは滅びる」

「それで、俺たちにお呼びが掛かった訳か…」

 桜花は組んだ腕の片方を立て、細い顎に軽く握った手を当てて、考えるような仕草をする。

 砂月は僅かに肩を竦める。

 

 現在のブランシエル公爵家は有能な人手不足。

 そして、どうにか探し出した跡継ぎ候補は、自分と桜花の二人だけ。

 自分が思っていた通りの展開だ。

 しかし……



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