聖なる水の神の国にて〜懐秋〜

 

   天使の宣告 2

 

 傷一つない、涼やかな風情。

間近で見た彼の姿に、流星(りゅうせい)は思わず息を呑む。

 

 …知っている。

 今年、首席で学院に入学したと噂の生徒だ。

 噂どころか、学院で起こる出来事の殆どに無関心な流星にしては珍しく、この少年のことは知っていた。

 それは、この少年が優秀な生徒のみならず、彼でさえ無視できないほどの、特異な雰囲気の持ち主だからであった。

 名前は確か、華王(かおう)・アルジェイン。

 ロゼリア国ではなく、他国からの留学生であったか…

 入学したときから、優秀さに加えて、稀有な美貌の持ち主だという噂だったが、

流星はもちろん彼の美貌を間近に見たことはなかった。

 それでも、その姿を遠目に見ただけで、美しいのだろうことが、容易に想像できた。

 いや、むしろ彼の持つ雰囲気そのものが美しかったのだ。

 学院内で一度だけ見た、少女のように華奢な後ろ姿が、不思議なほど印象に残っている。

 

 そうして、初めて間近に見た彼の美しさは、想像以上だった。

 制服の黒に埋もれることなく、艶やかな輝きを放つ漆黒の髪。

 彼の身動きに合わせて、髪に宿る光の輪が頭頂から、髪が降り掛かる細い肩、そして、胸に向かって滑り落ちる。

 眼鏡越しに見える灰色の瞳にも、澄んだ輝きが宿っていた。

 

 …これは、私服で歩いていても、目立つかもしれないな。

 

 そう考えつつ、流星は意外な感が拭えないでいた。

 自分とはまるで正反対の清らかな雰囲気を纏う彼。

 そんな彼には似つかわしくないこの界隈で出会ったことが意外だったのだ。

 

 華王は流星を通りすがりと見分けたらしく、す、と目を伏せて、横を通り過ぎようとする。

「華王・アルジェイン」

 気付けば、呼び止めていた。

 不審そうに振り返る彼に、煙草を咥えたまま器用に、にやりと笑ってみせる。

「ああ、やっぱり当たりか。神学院首席入学生の華王君」

「…あんたも神学院生なのか」

「あれ、知らない?結構有名だと思っていたんだけどなあ」

 おとなしげな外見にそぐわない言葉使いに内心驚きながらも、流星はおどけて肩を竦める。

「お前みたいな優等生の見本みたいな奴が、まさかこんなところをうろついてるとはね。

教官たちが知ったら卒倒するんじゃないか?」

「知らなければいいだけの話だろう」

「俺が報告するとは思わない訳?」

「思わない」

「そりゃまた、何故?」

「報告をすれば、俺だけではなく、あんた自身もこの界隈をうろついていたことが明らかになる。

そうなれば、あんたも困ったことになるんじゃないのか?それでも良ければ、好きにするといい」

「言うじゃないか」

 流星は思わず、煙草の煙と共に、笑み声を漏らす。

 ぞんざいとも取れる口調で話していても、彼の持つ清浄な雰囲気が全く損なわれないのが、不思議で面白かった。

この優等生と噂の少年、やはり、只者ではなさそうだ。

 

「分かった。今回のことはお互い見ない振りだ。それでいいだろ?」

「そうしてくれるなら有難い」

華王は一瞬目を伏せることで、謝意を示す。

素直に礼を言う辺り、噂通り真面目であることも確かなようだ。

伏せた睫の優美な長さ。

華王は静かに、流星の横を通り過ぎる。

「余計なことかもしれないけどな、今度出歩くときは、制服よりも私服の方がいいぜ」

 肩越しに振り返った華王が僅かに微笑む。

「御忠告感謝する」

 一言だけ応え、薫るような印象を残して、彼は通りを去っていった。

 

 あの口振りでは、このような外出は一度や二度ではないと見える。

 やはり、意外だ。

 

 それにしても、と流星は朝靄の中に溶け込む煙草の煙を眺めながら、他人事のように思う。

 華王を相手に、自分にしては珍しいほど随分と余計な話をした。

 彼の意外性に気を取られて、調子を狂わされたか。

「らしくなかったかもなあ…」

 眉を顰めつつ、目の上に降り掛かる金髪を掻き上げた。

これ以上、調子を狂わされるのは、少々煩わしい。

出来るなら御免蒙りたいところだ。

 しかしまあ、お互い見ない振りをすることにしたのだ、華王との関わりはこれきりだろう。

 ならばいい。

 

 流星はそう結論付けたが、強い印象を残した華王との出会いは、忘れようとしても忘れられるものではなかった。

 

 また、彼との関わりはこれきりではなかったのである。

 


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