聖なる水の神の国にて〜懐秋〜

 

  凍る心 2

 

「決めた。彼女にする」

「どれで御座いますか?」

「あの部屋の隅の長椅子に寄り掛かってる…ああ、今欠伸をしたな」

「はあ…あれで御座いますか…?」

「何か問題でも?」

 何処か歯切れの悪い館の者に、流星(りゅうせい)は問い掛ける。

「…いえ、お客様にはもう少し若い女が宜しいかと思いまして…あれは年季が入っている分、少々難しい女でして……

いや、しかし、お客様がお望みでいらっしゃるなら…」

「お望みだ」

「は…では、呼んで参りますので、少々お待ち下さいませ……」

 少々意地悪く応えてやると、館の者は恐縮して、準備を整えるために下がっていった。

 

 

 やがて、出迎えに再び現れた彼に導かれ、流星は先程の女が待つ部屋へと案内された。

「あら、貴方のような若いお客様は久し振り」

 部屋に入ってきた流星を見て、娼婦は驚いたようにそう言った。

「こんな若造は相手にならないか?」

「いいえ、貴方みたいにいい男なら幾つでも大歓迎よ。でも、大丈夫なのかしら?私は高いわよ」

 遠慮のない女の口調に、案内をした者は、はらはらしているようだった。

 しかし、流星はその女の口調がそれ程気にならなかった。

 むしろ、気になるのは自分を見る彼女の視線だった。

 

 何かを聞きたそうな…いや、流星を通して、何かを懐かしんでいるような…

 

 手振りで案内のものを下がらせながら、流星は女の言葉に軽い口調で応える。

「お気遣いどうも。もし、お代が払えなかったら、是非俺をあんたの世話係に雇ってくれ」

「まあ、それなら貴方のお財布を隠してしまおうかしら」

 女が面白そうに笑う。

このような応酬は、流星にとっては馴染み深いものなのだが、

館の者の反応から察するに、ここではあまりないことらしい。

控えの間にいた娼婦たちは、この女を除いて皆、

華やかでありながら控えめな、良家の子女のような雰囲気を漂わせていた。

身分の高い貴族を相手にする館は、恐らく皆こうなのだろう。

ならば、この無遠慮とも言える口を利く女が館の者から少々煙たがられているのも分かる。

 

 

部屋で二人きりになると、流星は帳の巻き上げられた寝台に腰掛けた。

女は、卓に置かれた硝子瓶から二つの銀の杯へと酒を注ぎ、一方を流星に手渡す。

そうして、もう一方の杯を手にして、流星と向かい合う形で置かれた椅子に腰を下ろした。

「貴方、この館は初めて?」

「ああ」

「こうして二人きりになったのに、何もしないの?」

傍らの卓に肘を乗せながら、杯の酒を口に含み、女はくすくすと笑う。

「それとも、される方が好みなのかしら?」

 それならば、と杯を片手に、すい、と立ち上がると、空いている手を流星の肩に載せる。

 撫でるように触れてくる白い手を横目にしながら、流星は笑み混じりに応える。

「こういう高級娼館では、まず、最初は娼婦との会話を楽しむもんだ。違うか?」

「あら、ご存知なのね」

「それに…どうやら、あんたは俺を「男」としては見てくれていないらしい」

 そう言って、傍らの女を見上げると、彼女は表情を凍りつかせた。

 それから、浮かべていた商売用の笑みを滑り落とし、溜息をついた。

「驚いたわ。貴方、意外に勘が良いのね」

 彼女は、流星の傍らに腰を落として、彼の手を優しく握る。

 先程とは全く違う触れ方だ。

「それなら、今夜は話しましょう。良かったら私の話を聞いて貰っても良いかしら?」

 慈しむかのような彼女の微笑みと手の温もりに、少し戸惑いながらも、流星は頷いた。

 


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