聖なる水の神の国にて〜懐秋〜 引き摺る影 5 「全く…とんだとばっちりだ」 寮の自室へと向かいながら、流星は悪態を吐く。 このロゼリア王国では、貴族の位や、遺産は長子相続。 侯爵家を代表するティーンカイルも例外ではない。 徹底した長子相続を貫く一族の中では、例え、当主の実の子であろうとも、長子以外の子は皆、傍系となる。 流星の血筋は、もともとそういった傍系だった。 それが、こうして一族当主の座を引き継ぐ直系となったのは、先代当主のときからだ。 当時の直系の跡継ぎが、不慮の事故で亡くなったのである。 まだ若く、結婚さえしていなかった彼には、子もおらず、結局、傍系であったその弟、 つまり、流星の祖父が跡を継ぐこととなった。 その跡継ぎが亡くなった不慮の事故とは、狩の最中の落馬であったらしい。 しかし、事故が起こった現場の目撃者はおらず、真偽は定かではない。 いや、事故は確かにあったのかもしれないが、まず間違いなくそれは不慮のものではなく、人為的なものだったのだろう。 おそらく、祖父の。 或いは、祖父に爵位を継がせたかった一族のうちの誰か。 そして、そのことを祖父や父は知っている。 数えるほどしか会ったことの無かった祖父の何かに怯えるような様子や、 父の強迫的なまでのティーンカイル家への執着が、それを示している。 しかし、曰く付きの直系の交代は、過去にも幾度か繰り返されており、それ自体は珍しいことではない。 それが侯爵家にとって大きな変化となったのは、祖父が跡継ぎであったひとの異母弟であったからだ。 それまで、直系の交代は同腹の兄弟姉妹間のみで行われてきた。 しかし、そのとき先々代の跡継ぎには同腹の兄弟がいなかった。 散々に揉めた末に、異例の異腹、しかも側室腹の跡継ぎ誕生となったのである。 正室腹ではないことへの負い目も重なっての祖父の怯えよう、父の家への執着となったのだろうかとも思う。 そして今、侯爵家の跡継ぎとされている自分もまた、祖父同様、側室、しかも娼婦の子だというのだから皮肉なものだ。 しかし、幾度も流星とぶつかりながら、父が彼を跡継ぎに定め続けているもまた、 やっと安定してきた「直系」の血統を何とか守りたいという執着があるからなのだろう。 結局、侯爵家の者たちは、元は同腹であろうが異腹であろうが、 それまでの直系を抹殺することで、一族の頂点に立つ「血筋」を得てきた。 そうして、常に追い落とした者たちの報復を恐れ、死へまでも追いやった者たちの恨みを恐れる。 実際に、そのような報復を受けた者もいるが、全く別の誰かから追い落とされる不安に駆られ、自滅していった者もいる。 その度ごとに直系は入れ替わり、欲望と恨み、恐怖は連鎖していく。 …繰り返される。
ティーンカイル侯爵家当主という地位。財産。 それは、誰かを、そして己までをも犠牲としてまで、手にしたいと思い、しがみ付いていたいと思うものなのか。 しかし、今現在、侯爵家跡継ぎと目される流星には、それは全く魅力のないものと映っていた。 「余りに下らな過ぎて、笑いさえ出てこない」 投げ出すように呟く。 込み上げる息苦しさを紛らす為に、一度大きく息を吸う。 「まあ、侯爵家の実態の方はひとまず置いて、だ」 振り切るように、声を出して自分に言い聞かせる。 自分に取り憑いているのは、元は跡継ぎであった祖父の兄なのであろうか。 可能性としては一番高い。 あまりに古い霊では、ひとに直接的な影響を与えることは出来ないからだ。 寝台の上に身体を投げ出し、流星は組んだ手を枕に天井を見据える。 確信を得る為には、跡継ぎの不慮の事故が人為的なものであったかどうかを知る必要がある。 しかし、事件の張本人だろう祖父は既に亡くなっている。 そうなれば、父を問い質すのが一番手っ取り早い方法だが…… 流星にはどうしても、父と顔を合わせることに抵抗があった。 問い質す前に、常どおりの言い争いになることは目に見えている。 「まずは、親父がいないときを見計らって、本家に出向いてみるか…」 取り敢えずの次の行動を決め、一つ息を吐いてから、流星は瞳を閉じる。
眼裏に蘇ってくる面影がある。
病みやつれた頬を歪め、唇を震わせて泣く娼婦の顔。 こどもに会いたい。 叶わぬ願いを唱える声。 その顔が、声が誰かの面影と重なる。 これは、義母か? それとも、見も知らぬ母なのだろうか……? |
前へ 目次へ 次へ