哀恋

 

  哀恋 4

 

この成り行きを見届けた野次馬から、わっと今までで一番大きな歓声が上がる。

「すごいよ、あんた!」

「そんなほそっこい成りして、強いんだねえ!!」

「舞みたいに綺麗な立ち回りだったぞ!!」

「それに、姿も何処ぞの舞姫みたいに綺麗だ!」

「もしかして、ほんとに舞人か何かかい?」

 興奮したように、口々に語り掛ける人々に、どう応えたものかと桜花(おうか)が一瞬躊躇っていると、

いつの間にか、傍らにあの楽師がいた。

 楽器を抱えたまま、群集に向かって恭しく一礼すると、

おもむろに小脇に抱えられるくらいの空の籠を取り出して掲げてみせる。

 それが、群集に対する応えとなった。

「やっぱり芸人だったんだね!」

「面白いものを見せてもらったよ!」

 賞賛の言葉と共に、青年の差し出した籠に、次々と硬貨や紙幣が投げ込まれる。

 それを礼を言いながら、悪びれることなく受け取る楽師の姿を、桜花は少し呆れて眺めた。

 

 流石と言うべきか、なんともまあ、ちゃっかりしている。

 

 殺到する人々は、楽師の青年に任せ、桜花は人込みの中に砂月(さづき)の姿を探す。

 ごろつきたちに絡まれていた男も気になる。

砂月は背が高いから、すぐに見付かる筈だ。

 しかし、周囲を見渡しても、彼の姿は見付からなかった。

 

 

 一方、砂月も離れた場所で、桜花の傍らでちゃっかり金集めをする楽師の様子を呆れて眺めていた。

 しかし、桜花の立ち回りは見事なものだった。

 砂月もまた、多くの見物人たちと同様に、彼の立ち回りに見惚れた。

 舞と一体になったそれは、華やかで鮮やか。

 多くの人々の目を奪うと同時に、確実にごろつきたちをも打ちのめす。

 とても、一朝一夕でできるものではない。

 舞踊を生業とする本職の芸人でさえ、ここまではできないのではないか。

桜花は一体何処でこれほどの技を習い憶えたのだろうか。

「全く、謎だらけだ…」

桜花と行動を共にするようになって一ヶ月経つが、彼に対する謎はますます増えていくようだ。

 その桜花は、今だ、大勢の人々に囲まれている。

人が引くまでにはもう少し時間が掛かりそうだ。

笑み混じりの溜め息を付いて、腕を組んだとき、傍らの青年がふらりと立ち上がった。

「大丈夫ですか?」

 先程と同じ言葉を掛けてみるが、一向聞こえない様子で、青年は覚束ない足取りで歩き出す。

 覚えたばかりの現地の言葉なので、通じていないのかもしれない。

 とにかく、ふらつく身体を支えてやろうと腕を伸ばすが、肩に触れたその手を青年はゆっくりと振り払う。

 しかし、拒まれたからといって、この如何にも危なっかしい青年を放っておく訳にはいかない。

 正直なところ、見るからに裕福そうなこの青年が危ない目に会おうが、砂月は一向に構わないのだが、桜花が気にする。

 桜花に悲しい顔をさせないためにも、この青年を放っておくことはできなかった。

 青年はふらふらと通りを歩む。

 通り過ぎる人が怪訝そうな顔をして振り返っても、やはり無反応だ。

 その青年の後を、砂月が付かず離れず歩いていく。

 すると、間もなく、通りの向こう側からバタバタと慌しく青年に向かって駆け寄ってくる者があった。

「……様!良かった!お探ししましたよ!!何処かお怪我は御座いませんか?」

 そう叫んで青年の肩を支える男は身なりからして、彼の家の使用人のように見えた。

 早口で語られる現地の言葉は聞き取りにくい。

 それでも、砂月は彼の言葉に注意深く耳を傾けた。

「取り敢えず、ご無事で良かった。さあ、帰りましょう」

「…しかし、私は探さねばならないのだ……を……月が…ている間に……」

「それは夢のお話ですよ。さあ、帰りましょう」

 青年の頼りない言葉を遮るように強く促した男は、そこでやっと、砂月の姿に気付いたようだ。

 そのすらりとした立ち姿に一瞬息を呑んだものの、改まった口調で話し掛ける。

「もしや、うちの若様が貴方様に御迷惑をお掛けしたでしょうか?」

 こちらを旅人と見てか、公用語での問い掛けだった。

「いいえ。僕は(・・)何もしていません。ただ、頼りない足取りで歩いていらしたので、気になりまして」

 微笑んでこちらも公用語で応えると、使用人はそのしっかりとした優しげな口調に安心したらしい、深々と頭を下げた。

「これは…お気遣いいただきまして、有難う御座いました。私は、こちらの方の家に仕える者です。

後程、改めてお礼を差し上げますので、宜しければお名前とお泊りの宿の名を…」

 そう丁寧に申し出ながら、男は砂月と目を合わさぬように俯いたまま、しきりにそわそわしている。

 これ以上目立たないうちに、若君を連れて、一刻も早くこの場を立ち去りたい様子である。

 砂月は苦笑した。

「いいえ。本当に僕は大したことはしておりませんので、礼は不要です。どうかお気になさらずに」

 この若君の為に大したことをしたのは桜花だが、彼も礼を欲しいとは言わない筈だ。

「そうですか、それではお言葉に甘えまして…」

 砂月の言葉に、あっさりと申し出を引っ込めて、使用人の男は慌しくもう一度砂月に向かって会釈してから、

若君の背を支えるというより、半分押すようにしながら、そそくさと去っていった。

 

「砂月」

 遠ざかるふたりの姿が人込みに紛れて見えなくなったとき、名を呼ばれて砂月は振り向く。

「もう、騒ぎの方は落ち着いた?」

「ああ、一通りは」

 砂月の問い掛けに応えながら、桜花は小走りに近寄ってくる。

 陽に晒された青銀の髪が零す煌きに、砂月は思わず目を細めた。

「絡まれてた奴はどうした?」

「帰ったよ。さっき、使用人らしきひとが、迎えに来てね。引き止めたほうが良かったかい?」

「いや、無事ならいいんだ」

 彼らが去った方向を、立てた右手の親指で示しながら、問うた砂月に、桜花は首を振る。

 気遣うような眼差しで青年が去った方向を見遣る桜花に、砂月はまた苦笑する。

「さくらは優しいね」

 あの偶然出会った、しかも言葉すら交わしていない青年のことを、真剣に気に掛けている。

 桜花に密かに想いを寄せながら傍にいる砂月としては、少々面白くない。

 いささか、優し過ぎるのではないかとやや皮肉も込めて言ってみるが、桜花には通じない。

「俺は何もしてないぞ」

 きょとんとした顔で言い返された。

「俺はひとの弱みに付け込んで寄って集って、金を巻き上げようとしたごろつきたちが気に食わなかっただけだ。

だから、好きなようにした。それだけだ」

砂月を見上げて潔く言い放つのに、軽く溜め息を吐いてから砂月は笑う。

「そういうのが優しいというんだよ」

 首を傾げる桜花の様子には構わずに、そっと華奢な肩に振り掛かる滑らかな髪を撫でた。

 

「お!いたいた。待ってくれよ、お姫さま!」

 明るい呼び声に振り向けば、あの楽師が桜花の姿を見付けてやってくる。

「どうした」

 桜花が問い掛けると、被いた布の蔭から除く口元がに、と微笑んだ。

「手を出してくれるかい?」

「こうか?」

 素直に桜花が差し出した白い掌の上に、楽師は口を紐で縛った袋を置く。

「これは…」

 そのずしりとした重みと、中から僅かに零れた金属的な音に、桜花はその中味をすぐに察する。

「さっきの儲けの半分だよ」

「いいのか?」

問い掛けに楽師が頷くと、桜花は嬉しそうに笑った。

「有難う。助かる」

向けられた笑顔に照れたように、楽師は布を被った頭を掻く。

「そう正面切って礼を言われると何だかこそばゆいぜ。元はと言えば、あんたが集めた客だ。礼はいらねえ。

ほんとなら、儲けは全部あんたに渡すべきなんだろうが…こっちも生活が掛かってるもんでね、半分で妥協してくれよ」

「いや、これだけあれば充分だ」

 桜花から受け取った袋の重さを確かめて、砂月も頷く。

「これなら、今日の食事と宿くらいは確保できそうだね」

「何だ?あんたら、さっきまで金に困ってたのかい?」

 砂月の言葉を聞きとがめた楽師が問い掛ける。

「ああ。情けない話だが、この街に入る手前で、路銀が底を付いてしまってな」

 桜花の応えに、ふうんと相槌を打った楽師は、暫し考えるような素振りを見せた後、思い付いたように顔を上げた。

「それじゃあ、俺の馴染の宿に案内してやるよ。安いし、そこで出る食事も旨い。

俺が直々に宿の主人に掛けやってやるから、あんたたちみたいな旅人でも危険はない筈だ。

さっきの俺の礼代わりってことで。どうだい?」

「どうだ?砂月」

「さくらが良いと思うなら僕は構わないよ」

「そうか。なら、お願いしようか」

 もとより選り好みできる立場ではないのだ。

 楽師の提案に桜花が頷くと、楽師は嬉しそうに手を打つ。

「よし。そうと決まれば、善は急げだ。あんたら、これから用事があるかい?なかったら、今からその宿へ案内してやるよ」

「頼む」

「さくら、ちょっと待って」

 楽器を抱え直して歩き出した楽師の後に続こうとした桜花を、砂月が呼び止める。

 桜花は気付かないようだが、先程から自分たちは注目の的だ。

 特に、先程の騒ぎを知っている者も含めて、通りを過ぎるあらゆる人々の視線が、桜花に集中している。

 好奇の視線だけならともかく、そこに好色そうな視線が混じっているのが我慢ならない。

 そこで、砂月は自分の被っていた薄布を滑り落とし、桜花の頭へとふわりと掛けた。

 これで少しは桜花へ向けられる様々な視線を防ぐことができる。

 が、今度は、代わりに露わにされた砂月の容貌に、通りを行く人々の視線が釘付けになってしまう。

 桜花と同様、一分の隙もないほど整った繊細とも言える目鼻立ちだが、

桜花の持つ輪郭の柔らかさ、優しさの代わりに、その鋭さが際立つ砂月の美貌である。

 陽に照らされたその髪色は桜花と同じ銀。

 しかし、それは、僅かに青味を帯びている桜花の髪とは違い、混じり気のない純粋な銀色だ。

 その肩に届くほどの長さの純銀の髪が、光を弾いた。

桜花の中性的な美貌とは異なる、しかし、それと同じほど周囲を惹き付ける美貌に、

楽師も驚いたように目を丸くしている。

「…いやはや、想像はしてたが、兄さんも相当な色男だね」

「恐れ入ります」

 微笑んで、砂月が目の上に振り掛かる髪を掻き上げる。

 すると、少し離れた場所で女性の悲鳴らしきものが上がった。

 しかし、楽師は砂月が髪を掻き上げた瞬間に見えた、彼の瞳に思わず息を呑んだ。

 こうして近くで見なければ分からないが、左右の瞳の色が違う。

 左は翠色、そして、右が血よりも炎よりも濃い…紅。

 その禍々しさを感じさせるほど鮮烈な右目の色が、この美貌の青年が醸し出す鋭利な雰囲気を助長しているようだった。

 楽師と目が合い、微かに見せた狼狽に気付いたのか、砂月がにっこりと笑う。

 すると、その意外なほど優しい笑顔が、彼の美貌が本来持つ鋭さを和らげた。

「引き止めてしまった僕が言うのも何ですが、早く宿へ御案内いただけますか?

このままここにいると、また、別の騒ぎを拾ってしまいそうなので」

 やんわりと乞われて、楽師は我に返る。

「ああ、悪い悪い。兄さんの美貌にびっくりしちまって。確かに、このままここにいたら、まずいよな。

さっさと行くぜ。しっかし、目立ち過ぎる旅人だなあ、あんたら」

 その美貌では、行く先々で拾わなくてもいい災難に巻き込まれただろうに、

と呆れたような口調で問われ、楽師の後に従って歩き出した砂月は、僅かに肩を竦めて笑う。

「ご想像にお任せします」

 砂月のくれた薄布をおとなしく被り、隣を歩む桜花が首を傾げた。

「旅をするようになってから、随分経つが、人並みの災難にしか遭っていないと思うぞ、俺は」

「…おい、お姫さまはもしかして天然か?」

「……」

 楽師の問いに、苦笑だけで応える砂月だった。

 



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