哀恋

 

   哀恋 3

 

「謝れって言ってんのが聞こえねえのか?!」

 荒々しい声に振り返ってみれば、堅気ではないと一目で分かる人相の悪い男たちが数人で、ひとりの男を取り囲んでいた。

 取り囲まれているのは、身なりの良い若い男。

 周りの男たちに交互に突き飛ばされるまま、痩せた身体をよろめかせている。

「…おかしいな」

 覚束ない足取りで佇む青年の姿に、桜花(おうか)が目を細めて呟いた。

 青年の様子は、夢遊病患者のそれに近い。

 家人が目を離した隙に、屋敷から彷徨い出てきたのだろうか。

 そうして、通りを歩むうちに、取り囲む男のひとりに、あの青年がよろけてぶつかったのか。

青年の様子が尋常でないことは気が付いているだろうに、

彼を取り囲み、罵倒する男たちは、全く手控えをする様子がない。

恐らく、何かと難癖を付けて、良家の子弟風の青年から金目のものを巻き上げようとの魂胆だ。

その様子を見守る周囲の者たちは、強面の男たちを恐れて、何もできない様子である。

「何処にでも、あのような輩はいるものなんだな」

 砂月(さづき)が思わず呆れたような言葉を洩らす。

 座っていた桜花がすい、と立ち上がった。

「行くのかい?」

「ああ」

「僕も行くよ」

「おいおい、お姫さま。まさか、あいつらを止めに行く訳じゃないだろうな?止めときなよ、危ないぜ?」

 楽師の青年が引き止めるが、桜花はもう歩み出していた。

「止めなって!綺麗な顔に傷でも付いたら大事だろ?ああいうのは見て見ぬふりが一番だ」

「見て見ぬふりができないのが桜花なんです」

 身を乗り出すようにして更に引き止める楽師を留めるように、砂月が応える。

「心配は無用です。さくらはああ見えても、強いですから」

 それに、いざというときは自分が守る。

 微笑んで、きっぱりと宣言してから、砂月も桜花の後を追って身を翻す。

 

 桜花たちが現場に辿り着く手前で、周囲にいた女性たちの悲鳴が上がる。

「詫びの言葉も品もなしかよ!冗談じゃねえぜ!!」

 どんなにどついても反応を見せない青年に焦れたのか、取り囲むごろつきたちが刃物を持ち出したのである。

「まずいな」

 その様子を見て取った桜花が、眉根を寄せて呟く。

それからすぐに駆け出した。

 砂月もすぐさま後を追う。

「すまないが、借りる」

 駆けながら、屋台の脇に置いてあった、つっかい棒のようなものを拝借した桜花は、

そのまま囲みの真中へと突っ込んでいった。

 砂月はその手前で立ち止まり、何かあったときにはすぐ助けに入れる位置で様子を見守ることにする。

 

「全く、いかれた野郎だぜ!」

 周囲の様子さえ把握できない様子で朦朧と立ちすくむ男へ向かって、ごろつきのひとりが舌打ちする。

次いで、その目を手にした刃物のようにぎらつかせた。

「だが、きっちりと寄越すもんは寄越してもらおうか!覚悟しな!!」

言い放って刃を振り下ろす。

先程より更に高い女たちの悲鳴が上がった。

次の瞬間、振り下ろした刃が横に強く薙ぎ払われて、勢い余ったごろつきが思わずたたらを踏む。

「な…?」

「乱暴はそこまでにしておくんだな」

 状況を把握する前に耳に届いたのは、涼やかで澄んだ声。

 見ると、傷付けようとした青年を庇うような形で、小柄な人物が目の前に立っていた。

 薄布に遮られて、顔は分からない。

 しかし、目の前に掲げられた細い手の白さや、布の蔭から覗く髪の色から旅人であることは充分に察せられた。

 また、その口調と仕種から少年であろうということも。

 その白い手に構えられているのが、身の丈ほどはあろうかという長い木の棒で、

恐らくそれが振り下ろした刃を払ったのだろうが、とても信じられなかった。

「何だ、お前」

 向かい合う相手のあまりにも華奢な様子に、先程のことを不意を付いたまぐれだと判断したごろつきが物騒に笑う。

「余所者が余計な手出しをするもんじゃないぜ。怪我をしたくなかったら引っ込んでな、お嬢ちゃん」

「お前たちが手を引くなら、俺も手を引こう」

「なめた口を利くんじゃねえ!」

 一歩も引かない相手に、男が脅しのつもりで刃を振るう。

 周囲から上がる甲高い悲鳴。

 鋭い刃が、被っていた布を切り裂く。

 しかし、次に来る筈の手応えがない。

 それを訝しく思う前に、

「うわ!何だこれは?!」

ふわりと舞った紅い薄布が視界を遮った。

手にした刃物を滅茶苦茶に振り回し、やっと、顔に纏わり付いた布を引き剥がしたと同時に、背後に気配。

「暫く眠っていてくれ」

 耳元に澄んだ声を聞いた、と思った瞬間、急所を打たれ、ごろつきのひとりが気を失う。

 

 新たな悲鳴とも歓声ともつかぬ声が沸きあがった。

崩折れた男の背後に佇むのは、薄布を取り払われ、陽の下に露わにされた旅人の姿だ。

無論、桜花である。

陽の光を吸い込んだかのような煌きを零す青銀の髪が、その身のこなしと同じほどの軽やかさで細い背を覆う。

次いで、東方の最高級の磁器を思わせる白く滑らかそうな張りのある肌が、目を惹く。

その白い顔に、絶妙の配置で収まった澄んだ大きな水色の瞳、通った細い鼻筋、柔らかい花弁のような薄紅色の唇。

少年とも少女ともつかぬ美貌である。

しかし、ただ、美貌の主であるというだけではない。

 細く儚げな容姿(すがた)から、醸し出される艶とそれに相反するような凛とした雰囲気に到るまで、

全てが見る者に溜め息を付かせずにはいられない。

 それに加えて、このちょっとの衝撃でも壊れそうな風情の華奢な少年が、薄布を目隠しに、敵の刃を交わすと同時に、

手にした棒を助けに身軽に男の頭上を飛び越えて敵の背後を取り、瞬く間に伸したのである。

 一連の動作は羽根のように軽やかだった。

 その鮮やかな手際と、何よりも明るい陽の元に晒された姿に対する驚きと感嘆のどよめきが一帯に満ちる。

 それはごろつきたちも例外ではなく、暫し呆気に取られて、桜花の美貌に見入っていたが、我に返って気が付くと、

自分たちの獲物であった青年は、いつの間にか輪の中から連れ出されていた。

 未だに夢うつつのような状態で座り込む青年を守るように、傍らに砂月が付いている。

 敵の刃を切り抜ける手前に桜花に寄越された目配せの意味を、砂月は明確に読み取り、

ごろつきどもが桜花に気を取られている隙に、素早く青年を助け出したのだった。

「ちきしょう!」

 いきり立った男たちが、次々に刃を持ち出し、その場は再び緊迫した雰囲気となった。

「助けに行かなくていいのかい?」

 いつの間にか、楽師が己の楽器を携えたまま、砂月の隣に立っていた。

「危険だと思ったらすぐに助けに入るつもりですよ。でも、さくらのあの様子なら、大丈夫かな」

 余計な手出しは却って危険、と砂月は穏やかに微笑む。

 しかし、視線は桜花から離すことはない。

いざというときの為に、注意深く状況を見極める必要があるからだ。

「お前の邪魔のおかげで、せっかくの獲物を逃しちまった。それなら、代わりにお前に、償ってもらおうじゃねえか!

たっぷり可愛がってやるよ」

ひとりが脅しつけるように言い放ち、残りも野太い掛け声と共に、桜花へ襲い掛かっていく。

男ひとりを不意打ちにした先程とは違う。

華奢な割には勇ましい少年だが、幾らなんでも見るからに屈強そうな男たちを複数相手にすることなど、

とても不可能に見えた。

「うわ!」

「危ない!」

「逃げろ!」

 様子を見守る野次馬たちの数人が、緊迫した声を上げる。

 思わずといったように、肩を竦め、目を瞑る者もいる。

 しかし、次の瞬間、周囲に響いたのは、少年の悲鳴ではなく、男たちの野太い悲鳴だった。

 桜花は、手にした棒を縦横無尽に振り回し、襲い掛かってくる刃を次々に跳ね飛ばした。

苦し紛れに組み付いてこようとする腕を身軽に躱す。

くるりと細い身体を旋回させ、次の瞬間には、再び棒を使ってふわりと舞い上がり、

右往左往する敵の首に容赦ない蹴りをお見舞いする。

その脚が地に着く前に、棒を振るい、掴み掛かろうとするふたりの男の脇腹を立て続けに打ち据える。

そうして、地面に降り立ったかと思えば、その細い身体はまた、宙を舞っている。

変幻自在の動きに、ごろつきたちは翻弄され、

数人掛かりでもその華奢な身体を捕まえるどころか、触れることさえままならない。

 たったひとりであくどい顔付きの男たちをあしらう桜花の動きは鋭く、また、それ以上に優雅でもあった。

まるで、珍しくて見事な舞を見せられているようだ。

「…へえ、これは」

 野次馬と一緒になって見惚れていた楽師の青年が、ふいに、にやりと笑う。

 すると、彼の指が楽器の絃を次々に爪弾き、弾むような軽快な旋律を紡ぎ始める。

 何事かとざわめく周囲を尻目に、旋律は桜花の舞うような動きを追い掛けていく。

 そのとき、ちらりと桜花が楽師の方を見遣り、僅かに口元を綻ばせる。

 次の瞬間、楽師の紡ぎ出す音は、桜花の動きとぴたりと重なった。

 旋律に合わせて、踏み出される脚と、繰り出され、旋回する棒。

 次から次へと打ち倒される男たちの動きさえ、その旋律に従うようだ。

 棒を旋回させる桜花の白い腕が眩しい。

流れるような動きに合わせて舞う輝く髪と衣装の裾のひらめきも目に鮮やかで、次第に野次馬たちは喧嘩ではなく、

ちょっとした舞台を見ているような気になってきた。

 目を輝かせて桜花の動きに見入り、旋律に合わせて手拍子を入れる者さえ現れ始めた。

 ごろつきたちが、石畳の道に転がされる度に、歓声が上がる。

 

「…ひかり…銀色……月?」

 虚ろな目をしてただ座り込んでいた傍らの青年の呟くような声に、砂月は振り向く。

「大丈夫ですか?」

 声を掛けてみるが、青年は応えない。

 しかし、僅かに光が宿ったような目は、桜花の姿を、陽に煌く青銀の髪を追っていた。

 

 いつの間にか始まった舞台の道化役を振られてしまったごろつきたちは、当然面白くない。

「見せもんじゃねえぞ!!」

 ひとりが噛み付くような勢いで周囲を一喝するが、効き目はない。

桜花に殴り掛かっていっても、軽く躱され、逆に叩きのめされる。

すっかり頭に血が上っている彼らではあったが、今の状況を理解できるほどの理性は残っていた。

狙った獲物は逃げてしまい、代わりの獲物と見定めた少年も思いの他強い。

何よりも少年の振る舞いに魅せられて、先程よりも多くの人間が集まり始めている。

元々後ろ暗い所業を常としている彼らにとって、目立ち過ぎるのはご法度だ。

「引き揚げるぞ!」

 悔しげに歯軋りしながら、集団の主格と思われる男が言い放つと同時に、桜花の動きが止まる。

彼の動きを彩っていた旋律も途切れた。

「命拾いをしたな、小僧。今回はお前の言う通り、手を引いてやろう。次があったら覚えておけよ!」

忌々しげにありきたりの捨て台詞を吐いて、男は人の輪を蹴散らすように去っていく。

他の動ける男たちも慌ててその後を追い、倒れた仲間を引き摺るように立たせてから、

兄貴分に倣って陳腐な罵りの言葉を残しつつ、その場を去っていった。

 



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