哀恋
哀恋 14
「お蔭で今日は十分な稼ぎになった。本当に助かったぜ。ほら、これが分け前だ」 「そう言えば、ハルディン。お前はこの国出身だという話だが、今話している共用語はどうやって習い覚えたものだ?」 金貨の入った袋を受け取りながら、桜花がそう訊ねると、ハルディンは不意を突かれたように目を瞬いた。 「どうやってって…外国を旅してる間に、自然に身に付けたものさ。生憎まともな教育は受けられない身だったもんでね」 「さくら?」 唐突な問いに傍らの砂月も思わず怪訝そうな声を上げる。 それに桜花は、少し微笑んで見せた。 「いや、それにしては、流暢だと思ってな。大したものだ」 「……そうだろう、そうだろう!もっと褒めてくれてもいいんだぜ?」 ハルディンは相変わらず、ふざけた口調で言いながら、ふんぞり返って見せたが、 そう応えるまでに一瞬の間があったことに、砂月は気付いた。 桜花ももちろん気付いているだろう。 しかし、桜花はそのことを追求することなく、会話を続けた。 「別にそこまで褒めるつもりはない。この金も半分でいいぞ」 「つれないねえ、お姫さまは」 半分残った金貨の袋を胸元に押し付けられ、ハルディンは軽く肩を竦めた。 「お前と違って、俺はこれで生活してる訳じゃないからな。それに今は、本職の方で懐もそれなりに温かい」 「へいへい。それじゃお言葉に甘えさせていただくぜ」 それから、三人で連れ立って宿へと戻ることになる。 道すがら、砂月が低めた声音の彩和国語で、 「さくら。今のは…?」 と、訊ねると、桜花は先程と同じように少しだけ桜色の唇を綻ばせた。 「ああ、ちょっと確かめたかったんだ」 「確かめるって…」 「おぉい、何こそこそ話してるんだあ?」 他ならぬハルディンの共用語が割って入り、ふたりは口を噤む。 「この後、時間に余裕があったら話す。まあ、それほど大したことじゃない」 「…そうなると、話を聞ける可能性は低いね」 何せ、今夜が正念場だ。 あまりゆっくり話す暇は得られないことだろう。 砂月は肩を竦めて、傍らの細い肩にやや乱れて振り掛かっている青銀の髪を梳き整えながら背に流してやる。 「…なぁんだ。また、いちゃついてんのか。取り敢えず、もう痴話喧嘩だけは勘弁してくれよな」 ふたりの様子に勝手に納得して、勝手なことを言ってから背を向けたハルディンに、ふたりは苦笑する。 …だが、この一見明るくて人当たりのいいハルディンが何事かを隠しているのは確かだ。 桜花が「大したことではない」と言うからには、 ハルディンの隠し事が自分たちの身辺に悪影響を及ぼすものではないと桜花は判断したのだろうが、 そういったものは状況次第で幾らでも変わる。 注意をしておくに越したことはない。 そう考えながら、砂月は前方をのんびりとした足取りで歩むハルディンの背中を見た。
やっと資格ある存在を見付けたと思った。 しかも、この自分と同じ火の能力を持っている。 ならば、与え与えられる血の能力も、きっと今までの誰よりも馴染み易いことだろう。 ようやく求めていたものが得られる…そこに、思わぬ邪魔が入った。 ……忌々しい。 あの邪魔に入った者も、普通の人間ではないようだが…… こちらとは相反する水の能力を持つ者。 しかも、こちらが作り上げた領域に入り込み、獲物である青年の能力を借りた上ではあったが、 あの領域から自分を弾き出し、誰も傷付けることなく、空間だけを崩壊させた。 …強い能力を持つ者。 あれが傍にいる限り、かの青年を得ることは容易いことではないだろう。 ならば、敢えて危険を冒さずとも、また資格ある者が現れるまで、待てば良い。 しかし、今回だけはそのように見限ることは出来なかった。
それはあの青年がかの方に良く似ているからなのか。 美しく強い火の能力を持つ、焦がれずにはいられない、しかし、触れること叶わぬ遠いお方。
そう言えば…自分の作り出した空間から弾き飛ばされる一瞬感じた強い能力は、 かのお方に通じるものがあったように思う。 それが、今回の件に、自分が真に拘る理由なのかもしれない。
そう考えながら、女は闇に浮かぶ紅い月を見上げた。
今まで自分を通り過ぎていった資格なき者たちのことは殆ど憶えていない。 多くは目の前で息絶えた。 そうなる途中で見限った者もいたが、彼らの辿る運命も同じものであったろう。 あの青年の前に、資格を試した男はどうであったか、また、どのような容貌であったかすらも、今は既に憶えていない。
そのとき、ふっと紅い月が背高い人影に切り取られた。 滑るようにこちらに近付いてくる。 女の紅い瞳が張り裂けんばかりに瞠られた。 「あ…あ……貴方は………!」 畏怖と歓喜の入り混じった震え声を発した彼女は、崩れるようにその場に跪き、恭しく頭を垂れた。 突如現れた人物はそんな彼女の目前で立ち止まり、低い笑み声で語り掛けた。 「こうして、お前と会うのは初めてだが…私のことは知っているだろうな」 「…もちろんで御座います…!貴方様の存在は、常に私の脳裏に…魂に刻み込まれておりまする…!!」 女はひれ伏したまま、震え声で言葉を続ける。 「さしたる能力を持たぬ私の前に、このような御降臨があるとは…思ってもおりませんでした。まさに身に余る至福…」 「何故だと思う?」 「…は?」 「こうして、取るに足らぬお前の前に私が在るのは何故だと思う?」 「…申し訳御座いませぬ。私なぞにはとても…」 「分からぬか」 「…は」 「良かろう、顔を上げよ」 「は…しかし、そのような恐れ多い……」 事実、目前に佇む人物の圧倒的な存在感と気迫に打たれた女の身体は、 震えが治まらず、とても自由に動かせそうになかった。 「顔を上げよ、と言ったのだ。私の言葉に従えぬか?」 「いいえ…!」 女はどうにか頭を起こし、相手の顔を見上げた。 「…ああ……」 …美しい。 禍々しい月の光に冷たく輝く金の髪。 白い肌。 紅蓮の炎を宿す両の瞳。 彼女は恍惚として、見上げる相手の美貌に見惚れ、酔い痴れる。
彼は彼女にとって絶対の神だった。
その神の白い手が伸ばされ、彼女に触れた。 触れることさえ出来ぬと思っていた彼の手が今、自分の両目を覆うように触れている。 「ああ…!あ…ぁああああッッ!!!」 歓喜に震える声はしかし、途中で苦悶の悲鳴へと変わる。 両目を覆う掌から、熱が流れ込んでくる。 焼けた鉄よりも熱い熱が両目に流れ込み、頭を、そして、身体中を巡り、満たしていく。 突如として、痛みを伴う激しい熱に全身を浸された彼女は、そのまま気を失った。
気が付くと、紅い月はまだ夜空を覆うように輝いていた。 …先程のことは……夢か幻であったのだろうか。 触れられた両目の辺りに、恐る恐る指を触れてみる。 そこには、熱を受けた痕跡は何も残っていなかった。 「……夢…か」 女は自嘲の笑みに紅い唇を歪める。 だが、その笑みは瞬時に滑り落ちた。 常どおりの蠱惑的で傲然とした微笑みを美しい顔に浮かべて、女は呟く。 「では、行くか」 この夜が明けないうちに。
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