哀恋

 

   哀恋 13

 

 何処となく沈んでいる様子の桜花(おうか)に、()(づき)がどう言葉を掛けようかと躊躇たのは一瞬だった。

 しかし、その一瞬の間に、桜花は頭を切り替えたらしい。

「まあ、それはそれとしてだ」

 砂月が口を開く前に、俯けていた顔を上げて、澄んだ水色の瞳を厳しく煌かせた。

「もう、無理はしないとあの男は言ったが、それをそのまま信じる訳にはいかないだろうな」

 ひとまず桜花に対する懸念を脇に置いた砂月も表情を引き締める。

「そうだね。彼の動向には今後も気を付けていた方がいいかもしれない」

 そう言った砂月はふと秀麗な眉を寄せる。

「でも、彼を留めることが彼自身にとっての幸せになるかどうか……」

 思わず零した言葉に、桜花の瞳が再び揺れる。

 暫し考えるような間を置いた後、桜花は細い首を振った。

「それはそうかもしれないが、あの男を留めなくては、周りに害が及ぶことになる。放っておく訳にはいかない」

 きっぱりと言った桜花に、砂月は頷いた。

 

 

「あの女吸血鬼は、また僕らの前に現れるかな?」

 件の貴族から貰った報酬で懐が暖かくなった桜花と砂月は、必要なものを買い揃える為、市に寄った。

 雑踏をすり抜け、店先を覗きながらも、物騒な会話は続く。

 

もし、あの女吸血鬼が、伴侶を得るために、あの青年にしたようなことを繰り返しているとするならば、

これもまた放っておくわけにはいかないのではないだろうか。

 彼女に狙われた砂月としても、他人事ではない問題である。

 桜花は例え、砂月がこの件に関わっていなくとも、動くに違いないのだが。

 桜花の中には「他人事」という言葉はない。

 どんな事柄でも、それを知った時点において、桜花にとっては「自分に関わること」となるからだ。

 

 砂月の問いに、ちらりを桜花は目線を上げる。

「あいつにとってどうしても逃したくないと思えるほどの魅力がお前にあるなら、出てくるんじゃないか?

すまないが主人、この衣裳をひとつくれないか?」

 前半は母国語で砂月の問いに応え、後半はこの国の言葉で店の主人に声を掛ける桜花に、砂月は苦笑する。

「魅力ね…さくらはどう思う?」

「出てくる可能性は高いと思う。あいつとはあまり話さなかったが、それでもかなりお前に執心なのは見て取れたからな。

お前、何かしたか?」

「何もしてないよ。何かするような時間もなかったしね。なんたってあのときが初対面だ。でも…」

 確かにあの女は、初対面にも拘らず、異常に自分に執着しているように見えた。

 砂月自身に、ではない。

 恐らく砂月の持っている何かに執着しているのだ。

 そういえば、彼女は言っていなかったか?

「僕はあの女の知っている誰かに似ているらしい。きっと彼女が執着しているのはその誰かだ」

 顔を合わせた後、彼女は砂月の持っている能力や態度にも興味を持ったようだが、

結局のところ、彼女が最も執着しているのは、その誰かと似ている砂月の容姿なのだろう。

 そう口にしてから、砂月は思わず眉を顰める。

 あまり触れたくない苦い記憶が甦ったからだ。

 最もそれは、常に頭の片隅にある忘れようのない新しい記憶だ。

 そんな砂月の様子を眺め、桜花はすいと視線を前方に戻しながら相槌を打った。

「…そうか」

「何だよ、その気になる間は…何か心当たりでもあるのかい?」

 耳聡く指摘する砂月に、桜花は嫌そうな顔を向ける。

「心当たりはあるが、あまり言いたくはない」

「どういう意味だよ?」

「…必要だと思えば、いずれ話す」

 だから、それ以上訊くなと言わんばかりに、桜花はすたすたと歩き出す。

 この様子では、こちらがいくら言葉を重ねて問い詰めても、頑として口を開かないに違いない。

 砂月は溜め息を吐き、

「何だか最近、溜め息が増えてきたな」

と、気付いて苦笑する。

 しかし、その分笑うことも増えたのだから、釣り合いは取れているか。

 そんな風に考えながら、砂月は桜花の後を追う。

辿り着いた店先で、桜花はちょうど装飾品を扱う店の主人が熱心に髪飾りを勧めてくるのを断っているところだった。

主人が勧めていたのは、恐らく本物ではないだろうが、

黄金の花弁に真珠の花芯があしらわれた細工の美しい髪飾りだった。

「買わないのかい?似合いそうなのに」

 正直な気持ちでそう言うと、桜花は朗らかに笑う。

「そういうことは好きな子に言ってやれよ」

「……」

 だから言っているのだが。

 ここまで気持ちが通じないと、切ない気分になってくる。

「どちらにしろ、こういうのは俺の柄じゃない。すぐ壊しそうだしな」

 砂月の気持ちには気付かないまま、惜しげもなくそう言うと、桜花はその店から離れた。

 これだけの美貌を備えていながら、桜花は自分を飾ることに全く興味を示さない。

 何となく勿体無い気がするが、本人が気乗りがしないものを無理に勧める訳にもいかない。

 それに、こんな飾りが無くとも、桜花が美しいことには変わりないのだから。

 …と、己を納得させ、砂月も桜花と並んで歩き出す。

 そうして、ふたりは買い物を続けながら、今後の行動について手早く纏める。

 女吸血鬼に関しては、あの様子では、こちらで探さなくとも、

再び砂月の前に現れるだろうと踏んで、貴族の青年を見張ることに専念することに決めた。

 まだ諦め切れないのなら、青年は今夜から動き出す筈だ。

 青年が何か取り返しの付かないことをしようとしたなら、それを留める。

 また、彼の動きに応じて、あの女も姿を見せるかもしれない。

「悪くすれば、あの吸血鬼と正気を手放した男のふたりを相手にしなければならない可能性もある。

気を引き締めていこう」

「分かった」

 頷く砂月に、頷きを返し、桜花は気付かれぬよう微かに眉根を寄せる。

 

 あとは、コウが気紛れを起こして、事態に割って入ることがないよう願うばかりだ。

 しかし、その願いが儚いものであることも充分承知していた。

 

「…こんな雑踏の中で、物騒な相談ごとかい?」

「…っ!!」

 ふいに割って入った声に、桜花と砂月は思わず硬直する。

 声のしたほうに振り向くと、相変わらず襤褸のような布を被ったハルディンが、楽器を脇に抱えて笑っていた。

 ここでは自分たちの国の言葉は通じまいと油断していたのが裏目に出たか。

「何を聞きました?」

 内心で歯噛みしながら、押し殺すような声音で砂月が問いを向けると、楽師の青年は大袈裟に目を丸くした。

「何だよ、当たりかよ?…って、おいおい、そう睨むなって!内容は知らねえよ。

あんたたちがさっきまで話してた言葉だって分からなかったんだからな。ただ、深刻そうな顔してたから鎌かけただけだ」

 嘘は吐いていないように見える。

 だが、安心は出来ない。

「この人混みでよく俺たちが分かったな」

 桜花がそう問うと、問われたハルディンのみならず、砂月も妙な顔をした。

「やれやれ、自覚が無いのもここまで来ると呆れるぜ。砂月は分かってるみたいだが。

いいか、そもそもあんたたちは雰囲気からしてそこいらの奴らとは違うんだ。

薄布を被ってたって無駄だぜ、どんな雑踏の中でも目立つことこの上ない」

「?そうなのか?」

「う〜ん、少なくとも周りからの視線は感じるよ」

 不思議そうな顔で、確認するように問う桜花に、砂月は曖昧に笑って応える。

 そこで、桜花は薄布の端を持ち上げ、ぐるりと周囲を見渡す。

「…見られてるようには思えないぞ」

 桜花は怪訝そうに眉根を寄せたが、それは当たり前だ。

桜花が見渡したそのときには、彼らを盗み見ていた者たちは、それとなく視線を逸らせているからだ。

「まあ、気にならないならいいけどよ」

 言いながら懐から何かを取り出したハルディンが、振り向いた桜花に手を伸ばす。

「?!」

 突然薄布の下から手を入れられ、桜花は驚いてその手を振り払った。

 その拍子にふわりと薄布が滑り落ちる。

 その髪に飾られていた黄金の花に、砂月は目を見開く。

「それは」

「そ。さっき、お姫さまが勧められてた髪飾りだよ。う〜ん、あの店の親爺、なかなか見る目があるんじゃねえ?」

 確かに煌々と陽に輝く黄金の花を象った髪飾りは、透けるように輝く桜花の清流のような青銀の髪と絶妙に映り合う。

「どういうつもりだ」

「別に特に意味はねえよ。あの店での様子を見てて、俺もこの髪飾りはあんたに似合うと思ったから、買っただけ。

あんたのお蔭で懐にも少し余裕があったしな」

 この男は一体いつから自分たちの様子を見ていたのか。

 どうにも油断ならない。

 何となく先を越されたような感もあって、砂月は思わずハルディンを睨みつけてしまう。

 それに、ハルディンは技とらしく肩を竦めてみせる。

「おお、怖。砂月は見掛けによらず悋気持ちだよな」

「余計なお世話です」

 砂月はきつい口調で言い返す。

 一方、桜花は、

「悪いが、特に意味もなくこんな物を貰うわけにはいかない。返すぞ」

淡々と言って、髪飾りに手を掛ける。

 それをハルディンが慌てたように留める。

「ちょっと待った!いや、実はさ…それを付けてまた、協力して欲しいんだよ」

 言って、小脇に抱えた楽器を叩く。

 桜花は呆れたような溜め息を吐いた。

「それが目的か…」

「今日は稼ぎがいまいちでね。その髪飾りは謝礼の一部を兼ねてるってことで。

尤もそれは前払い分で、あとは稼ぎに応じて支払うってのはどうだい?」

「俺はこんなものはいらない」

「そこを何とか」

 片手を拝むように立てて、頼み込む姿にはいささか真剣味が足りない。

 もし、自分が桜花だったら、こんな信用のならない男からの頼みは、容赦なく突っぱねているだろう。

 しかし、桜花はそうしなかった。

「この髪飾りはいらないが、協力しないとは言っていない」

「お!それじゃあ…!」

 顔を上げて、明るい声を発するハルディンに笑みを返して、桜花は滑り落ちた薄布を肩に掛け直す。

 頼みを聞き入れられたハルディンはうきうきと歩み出す。

「この道の先にちょっとした広場があるんだ」

「さくら」

「大丈夫だ」

気遣わしげな砂月にも花のような微笑を向けて、桜花は先を行くハルディンを追って、その細身を翻す。

空気の動きに舞う薄布は、羽のようにも見える。

周囲の人々の好奇と期待に満ちた視線が、あからさまなものに変わる。

ちらほらと彼らの後を付いてくる者の姿も見える。

それらを意に介することなく(実際は気付いていないだけだが)歩む桜花が、

ふと思い付いたように前を行くハルディンに話し掛けた。

「そうだ、物騒な話と言えば…ハルディン。

旅の楽師と言うからには、お前はこの国だけではなく、周辺諸国も巡っているんだろう?

最近何か、物騒な…いや、そうでなくとも、変わった噂は聞かなかったか?」

「変わった噂?そうだなあ…ああ、そう言えば、幾つかの国で妙な噂を聞いたっけな。

夜出歩くと、化け物に襲われるってな。

身体中の血が抜かれた惨い死骸が幾つも見付かったって言うぜ。

狙われたのは揃って容姿の美しい人間ばかりで、この通り色男な俺も、

暫くの間、夜は宿に引き篭もって、外出を控えたもんさ」

「暫く?」

「一二週間もすると、事件が起こらなくなるのさ。

しかし、不思議なことに、次に入った国でも同じような事件の噂が流れて、一二週間すると収まるんだ。

結局は一つの事件の噂に尾ひれが付いて、周辺諸国に広まっただけなのかもな」

「だが、この辺りの国々で、同じような事件が幾度も繰り返されている可能性もある」

 噂の出所が一つではなく、複数あるのだとしたら。

「おいおい、物騒なことを言うのは止めてくれよ、お姫さま。そんなんじゃ怖くて、また、夜出歩けなくなっちまう」

 冗談めかしてからからと笑ったハルディンは、のんびりと付け加えた。

「そう言えば、最近はこの国でもその噂を聞くようになったなあ…」

「そうか。すまなかったな、妙な事を訊いて」

 そう言って、桜花は砂月と素早く互いの目を見合わせた。

 

 周辺諸国で次々と似たような事件の噂が流れ、暫くすると収まる。

それがあの女吸血鬼の軌跡を現すとしたなら。

 桜花と砂月が知っているあの貴族の青年の他にも、女吸血鬼に血を与え、与えられた男たちがいるということか。

 その男たちはどうなった?

 

 その疑問はすぐに解ける筈だ。

 

早ければ今夜、あの女が再び姿を現せば。

 



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