「いらっしゃいませ、花路(ホワルー)の頭(トウ)

ふいに訪れた客に、千雲(チェンユン)は帳簿を付けていた手を休めて立ち上がった。

昼日中であるからだろうか、戸口に佇む彼は、花路の美麗な刺繍入りの黒い袍(パオ)姿ではない。

肩や裾の辺りに柔らかな色合いの花鳥の縫い取りのある白い袍を纏い、

艶やかな黒髪は首の後ろできっちりと束ねられている。

とても花路一の猛者とは思えない細身と、すっきりと品のある整った顔立ちも手伝って、

何処の良家の子弟かと見紛う姿である。

昼は世話になっている茶房の給仕をしていると聞いたから、その使いの最中にこちらに立ち寄ったのかもしれない。

「取り込み中のところをすまない。邪魔をしてもいいだろうか」

「どうぞ。あいにく李(リー)は沖へ出ていて、留守をしていますが」

ほんの一瞬、相手の姿に見惚れたことを悟られないほどの間で、千雲は微笑み、客人を迎え入れる。

椅子を勧め、茶の支度を始めようとする彼を、客人、飛(フェイ)は首を振って止めた。

「気を遣わないでくれ、千雲大人(ターレン)。俺はただ、あんたの様子を見に来ただけだから」

「私の…?」

てっきり、飛はこの家の主である李に用があるのだと思い込んでいた千雲は、その言葉に目を丸くする。

それに、優しい微笑みを向けておいて、飛は立ったまま、卓子の上に置いたままになっている帳簿を見遣る。

「もう、李の仕事を手伝っているのか」

飛の目線を追って、帳簿を目にした千雲は、それに微笑んで頷く。

「ええ。私はこのように、李の家に居候の身ですし、彼は…最後まで私の心を信じてくれました。

ですから、彼のためにできることは何でもしたいのです。それに…」

一度言葉を切って、千雲は相手の漆黒の瞳と視線を合わせ、苦笑する。

「ただ、ここで李の帰りを待っているよりも気が紛れるのです。余計なことを考える時間も減りますしね」

「そうか」

応える澄んで強い瞳が僅かに揺らめいた。

 

大船主、祥船(シャンチョアン)の跡取りが、隣市、青龍(チンロン)と結んで、白龍(バイロン)を危機に晒した咎で、

祥船店里(ティエンリー)が取り潰しとなってから一月。

斬罪を言い渡された跡取りは、断罪の場へ赴く途中で行き会った花路の頭に刃を向け、

その返り討ちとなって死んだとされていた。

 

その跡取りであった男が、今、飛の目の前に佇む千雲である。

飛が一芝居を打ってくれたおかげで生きてここにいる千雲だったが、死んだ筈の人間が街を出歩くのはまずい。

この一月の間は殆ど外へ出ることなく過ごしていた千雲だった。

「不自由な思いをさせてすまない」

「いいえ。貴方の機転がなければ、私はこの不自由を感じることさえ出来なかったのですから」

「だが、もう暫くの間はこうして我慢してもらうことになると思う」

僅かに柳眉を顰めて見上げる飛に、千雲はくすりと笑みを零す。

「もしかして、貴方は私の不満を聞くためにいらっしゃいましたか?」

問うと、相手は苦笑する。

「ああ。今の俺にはこんなことぐらいしかできない」

 

そんなことはない、と千雲は内心思う。

思えば、出会ったときから、自分は彼に救われていたのだ。

 

「もし、今、胸に蟠るものがあるなら、存分にぶつけて欲しい」

「不満などありません。ですが…今、貴方には私の不満を聞いていただけるだけの時間があるということでしょうか?」

問い掛けに相手が頷くのを見て、千雲は微笑む。

「では、暫く茶を付き合ってはもらえませんか?」

そう言って、椅子を勧める。

それに微笑み返して礼を言い、飛は今度こそ、椅子に腰を掛けた。

 

「そうですか、一星(イーシン)が父の元へ…」

「ああ、また一からやり直すのだと言っていた。

一星のやる気に押されて、頭領高浪(カオラン)も、少しずつ立ち直ってきているようだ」

「そうですか、良かった……」

裏切り、置き去りにしてきてしまった家族の現状を聞き、安堵の息をつく。

「一星が戻ったならば、祥船もきっと元通りに、いえ、以前よりももっと良くなるでしょう」

 

私がいなくても……

 

その心の呟きを読み取ったかのように、飛が静かに口を開いた。

「だが、頭領の大事な息子を失った悲しみは消えることはないだろう」

「……」

「千雲大人。近いうちに必ず、あんたを明るい陽の下へ連れて行く。

必ず、白龍の港を想うあんたの心に見合うだけの光を。待っていてくれ」

「花路の…貴方は……」

きっぱりとした強い言葉に千雲は一瞬、絶句する。

やがて、ひたと見据えてくる澄んだ漆黒の眼差しから目を逸らした。

 

それは口で言うほど簡単なことではない。

なのに何故、このひとは迷わずに、成し遂げると誓うことができるのだろう。

しかし、今の自分は彼の言葉を信じることができる。

彼は必ず、言ったことを成し遂げるだろうと。

 

「有難う御座います」

顔を上げて微笑むと、自分と負けず劣らず白い顔が優しく微笑み返した。

花のような、と思う。

胸が春の陽だまりに包まれるように温かくなる。

潔く、強く、優しい。

花路の若者たちが慕い、李が惹かれるのも無理はない。

 

しかし、その微笑みに僅かに疼くような胸の痛みを憶えるのは自分だけだろうか。

 

「今日は清々しい陽気だな」

飛が明るい窓辺を見遣りながら言う。

「ええ、これから徐々に秋らしくなってくるでしょう。夏も…終わりですね」

「ああ」

開け放した窓から舞い込んだ微風が、穏やかに頷く飛の漆黒の髪を僅かに揺らす。

その様に見入っていた千雲は、そこでやっと向き合う相手の顔色があまり良くないことに気づく。

「花路の頭。もしやお疲れではありませんか?」

「え?」

不意を突かれた飛の瞳が丸くなる。

そんな表情をすると、彼はいつもよりあどけなく見える。

改めて、彼が自分よりも幾つか歳下であることに気付かされる。

一方で、僅かに痩せたように見える頬や、細いからだが痛々しく感じられた。

「あまりお眠りになってはいらっしゃらないのではありませんか?」

「そんなことはない。いつもどおりだ」

「では、いつもあまり眠っていらっしゃらないのですね?」

「街を守るべき花路の頭が惰眠を貪る訳にはいかない」

「その街を守るべき花路の頭が、疲労で倒れては元も子もないでしょう。

そんなことになったら、花路の方々がどれほどご心配なさることか。花路だけではありません。

李や燕(イェン)も、そして…」

自分も、と言い掛けて、千雲は言葉を切る。

慎重に次の言葉を口にした。

「何よりも山の手の方がお気になさるでしょう」

 

おかしい。

自分も皆と同じくらい、貴方のことを案じていると。

そんな簡単な気遣いの言葉さえ素直に口に出来ないでいる。

 

千雲の言葉に、飛の深い色合いの瞳に、僅かな翳りが走る。

「さあ…恐らく、『白龍』は俺の不調を悦びはしても、心配はしないだろう」

苦笑する飛の声音に、僅かに鋭いものがある。

 

『白龍』との間に何かあったのだろうか。

 

しかし、そんな彼の様子には気付かぬ振りで、千雲はその背後の長椅子を指し示した。

「もう少し、お時間はあるのでしょう?ならば、そこで一休みなさっていってください」

「いや、それは…」

やや驚いて、伏せた目を上げ、断ろうとする飛を千雲は真っ直ぐ見詰めて言った。

「どうか、休んでいってください。私の不満を聞く代わりに」

その言葉に、飛はまた苦笑だ。

「あんたは優しいな」

 

 

優しいのはあなただ。

 

長椅子に身を横たえる飛を見詰めながら、千雲は思う。

身を犠牲にしてでも、白龍の港から膿を出し尽くそうと、自分が青龍と手を組んでいたときも。

自分の所業に薄々気付きながらも、彼はそれを否定してくれようとしていた。

あくどい企みを持っているようには見えないのだときっぱりと言ってくれた。

思えば、彼は最初から自分の本心を見抜いていたのだ。

そのときの自分は、彼のその優しさが、清らかさが妬ましくて、わざと露悪的な行動を取った。

自分の目的を果たすためにそうしたつもりだったが、内心、彼への反発のような気持ちがあったことも否めない。

 

そのときから…惹かれていたのかもしれない。

 

そうして、彼は満身創痍となりながらも、最終的に自分を救ってくれた。

何故、そこまで自分に一生懸命になってくれたのか。

幼馴染みの李とは違う。

さして親しい間柄でもなかったのに。

 

しかし、それが彼なのだろう。

彼は、白龍という街をそこに住まう人々ごと、愛しているのだ。

自分に注がれた優しさは、特別なものではない。

 

彼の白い頬に長い睫が影を落としている。

強い光を放つ瞳が閉ざされた今は、凛々しさよりも儚さが際立つその姿に、胸が痛くなった。

 

彼の優しさだけではない、喜びも怒りも悲しみも、彼が抱く全ての感情を得たかった。

しかし、彼がひととおりでない様々な感情をぶつける相手は、自分ではないのだ。

そんな特別な存在にはなれないことは、痛いほど理解している。

 

そっと手を伸ばし、滑らかな頬に触れてみる。

少し冷たい。

かすかな呼吸を繰り返す仄かに紅いくちびる。

気付けば、引き寄せられるように頬を寄せていた。

それでも、止まろうとは思わなかった。

せめて今ひとときだけでも、と願う。

 

あなたが今、ここで目を覚ましたら。

 

どんな表情(かお)をするのだろう。


ぶっつりと終わります(苦笑)。
ついに、やってもうた…な、四龍島初パロディ。
ちなみに、タイトルはこっぱずかしいので、敢えて本文から外してます。
ページタイトルを見れば、明らかですがね(笑)。
いやあ、やっぱり、原作が小説ものを文章でパロる(?)のは難しいですね!
つい、原作の素晴らしさと比較してしまい、自己嫌悪に陥るというか…(苦)
真堂さん流の文章の創り方は、
真似しようとしても上手く出来るものではないので(出来てしまう尊敬すべき方もおられますが!)、
もう、開き直って自分流で書いてみました(逃)。
しかも、とことんまで王道を外したカップリングを捏造してしまうひねくれ者のわたくしです(笑)。
正確には、千雲ひっそり片想いでカップリングは成立していない感じですが。
そして、時期的には、『龍は群青を呑む』と『龍は飢える』の間を狙って(?)ます。
ちょうど、飛くんがマクとギクシャクしてきた頃ですね!
しかし、千雲×飛なんて、マク飛以外のカップリングも語られる(笑)真堂さんでさえ、
触れておりませんよ!
…しかしながら、展開的にありうるカップリングだと私は思うのですが、如何なものでしょう?(汗)

取り敢えず、四龍島れびゅをしている最中の妄想ネタはこれで消化できました!(自己満足)
次があるかは、神のみぞ知る?

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