永久の調べ
永久の調べ 22
数日後。
突然の大火により中断を余儀なくされたコンテストであったが、幸いにも出場者全員の演奏は終わっていて、残すものは審査とその発表のみとなっていた。
そして今、審査員の一人である劇場支配人の家の一室に、コンテストの審査員が全員集まっていた。
「いやはや、大変な大火でしたな」
「本当に。ここへ参る途中、焼け跡を見たが、酷い有様でした。劇場は跡形もなくなっておりましたぞ。…支配人には気の毒なことでしたな」
「それは…仕方ありません。しかし、焼け跡を見たところ、あれだけの大火で一人の犠牲者も出なかったようで。他の建物への延焼も無かったのは幸いでした」
「劇場は再建されるでしょうか?」
「そのことなのですが…今朝ほど中央から御使者が来て下さいまして…すぐにも劇場を再建して下さるとのお話、承りました」
「ほう、それは良かったではありませんか」
「ええ、しかし、正直不思議なのです、国立とはいえ、こんな小さな街の劇場です。無くなったからといって国には何の不都合も無い。再建は無理かと諦めておりましたのに、こんなに早く再建のお話が来るとは……どなたか中央に話を通して下さった方でもいらっしゃるのでしょうか…?」
一通り、先日の大火について、言葉を交わした後、ついに審査が始まった。
「…決まり、ですな」
話し合いの後、一人の審査員が言った。
「あれほどの才能、技量を埋もれさせておくのはあまりに惜しい」
もう一人の審査員も同意する。
「しかも、それらに溺れることなく、観客に訴えるほどの情感を込めて演奏できる。あの若さで」
「本当に曲の切なさが胸に染み入るほどだったよ。久方ぶりの新鮮な感動だった」
他の審査員も次々と件の若者を賛美する。
殆どの審査員がその若者を高く評価しており、審査はさほど時間を取られることなく終了した。
審査員の一人が劇場支配人へと話し掛けた。
「彼は支配人の知り合いであったな。この喜ばしい結果を貴方の口から直接伝えると良いのではないかな。あの若者、リューイガルドという青年に」
「元気で」
小さな荷物を肩に背負いながら、桜花はカトレーヌに言葉少なに別れを告げる。
「ええ…桜花様もお元気で」
こちらも言葉少なく応えたカトレーヌの目を桜花は真っ直ぐ見詰めることができなかった。
ルイが去った後、桜花は一人で焼け落ちた瓦礫の一部と化していたバーンスタイン、ウルリックの残された亡骸を埋葬した。緑豊かな森の中に。
あのままカトレーヌの罪の証となる彼らの、特にウルリックの遺体を残しておきたくなかった。同時に、あの荒れた場所に彼らを置いたままでいるのも忍びなかった。
彼らの亡骸だけでも清らかな自然に還すことで、彼らの抱く罪や悲しさが少しでも拭われるように。そうして、再び生まれ変わることができるように。そう、願いを込めながら、桜花は殆ど形を成していない彼らの遺体を森の土深く埋める。
ルイのいた痕跡は焼け跡の何処にも残されてはいなかったが、桜花は代わりに彼が最後まで立っていた場所の土を一掴み、持って行った。
灰混じりの乾いた土を森の湿った土と混ぜ合わせる。
これら全てが気休めにしかならないことは分かっていたが、自分にできる、自分なりのやり方で彼らを見送りたかった。
…自分を納得させるためにも。
桜花がたった一人で屋敷へ戻ってきたとき、カトレーヌは何も言わなかった。ルイのことを尋ねもしなかった。まるで全て分かっているかのように。
桜花はルイの最後の言葉だけは伝えた。
カトレーヌはただそれに頷いただけだった。
桜花はそれ以上何も言わなかった。言えなかった。
ルイが元気になったのを見て、あんなに喜んでいたカトレーヌ。
そんなカトレーヌの気持ちを結局桜花は裏切ってしまったのだ。しかも、自分が関わった所為で犯さなくても良い罪まで背負わせてしまった。
覚悟していたこととはいえ、やはり気持ちが沈む。まだまだ未熟な自分に舌打ちしたくなる。
目を伏せたまま、桜花は身を翻す。そのまま歩き出そうとするところを、
「桜花様」
カトレーヌの呼び掛けに動きを止める。しかし、振り返ることができない。
「私はとても長い夢を見ていたような気がしています。いいえ、きっと夢だったのですね。ルイ様がお元気になられて、お好きなヴァイオリンを再び弾くことができるようになって……」
カトレーヌは寂しげに微笑む。
「辛いこともありましたけれど…幸せな夢でした。夢の中のルイ様も…本当に幸せそうで……御病気になられる前よりもずっとずっと輝いていらして……」
カトレーヌは静かに次の言葉を継いだ。
「有難う御座いました」
その言葉に桜花はやっと振り向き、カトレーヌを見た。
彼の驚きに満ちてはいるが、相変わらず澄んだ瞳をカトレーヌは微笑んで見詰め返す。
「その幸せな夢を下さったのは、桜花様なのでしょう?ですからそんなお顔をなさらないで下さい。私も悲しくなってしまいますわ」
「カトレーヌ…」
ルイは別れのとき、後悔はしていないと言った。
その言葉が嘘だとは思わない。
それでも、考えてしまうのだ。
自分はカトレーヌやルイに見なくても良い余計な夢を見せたのではないか。
かえって傷付けたのではないのか。
桜花の声にならない問いを感じとったのか、カトレーヌは穏やかな表情で首を振る。
「この一ヶ月は私にとって夢のような一時でした。けれど…きっとルイ様にとっては紛れもない真実だったのだと思います。…大切で…掛け替えのない……決して不必要なものではなかった筈です。私は、そう思います」
「……有難う」
その言葉に桜花はやっと唇を緩める。
カトレーヌも微笑み返す。その瞳にはやはりルイを失った悲しみが垣間見えたが。
「お礼を言うのはこちらの方ですわ。ルイ様に生き生きとした時間を与えて下さって、こんな私に素晴らしい夢を与えて下さって、本当に有難うございます」
枝を揺らして、鳥が羽ばたく。
その音を合図にするように、桜花はカトレーヌを真っ直ぐに見詰めた。
「俺の方こそ本当に世話になった。身体に気を付けて、これからも長く元気に過ごしてくれたら、俺も嬉しい」
桜花の心からの言葉だったのだが、カトレーヌは声を立てて笑った。
「まあ、私はこんな年寄りですもの、そんなに長くは生きられませんわ。…でも頑張ってみます。気遣ってくださる桜花様のためにも…私の為を思ってこのお屋敷と土地を残して下さったルイ様の為にも」
カトレーヌは一旦言葉を切る。俯き、呟くように後の言葉を継いだ。
「それに…身勝手な考えかもしれませんが、犯した罪を見据えて、この先の残された生を精一杯生き続けることが、私の償いになるのではないかと思うのです……」
彼女の言葉は静かでありながら、誰にも翻すことができない決意が込められていた。
「私は許されない罪を犯しました。今もそのことを考えるだけで、恐怖と後悔が襲ってきます。けれど、もしも真実を知らないまま、ルイ様を殺める手伝いをし、見送ることになったなら……その方が私には耐えられない。私は真実を知って良かったと思っています。この罪は私が真実を知った所為ではなく、私の弱さが生み出したものなのです。他の誰の所為でもなく私自身の……」
「そんなことはない」
「…劇場の焼け跡からは誰の遺体も見付からなかったと聞きました……」
「……」
「あの翌朝、桜花様は泥だらけで戻ってらっしゃいましたね……」
「…ぬかるんだ道で転んだだけだ」
桜花の苦し紛れの応えに、カトレーヌは微かな笑い声を零す。
「…桜花様は優し過ぎますわ。泣きたくなるほどお優しい……けれど、貴方のその優しさに、私は少しだけ救われるような気がするのです…」
カトレーヌはやっと顔を上げ、桜花を見詰める。
強い意思と、またそれとは別の寂しさを内に覗かせる穏やかな微笑みに、桜花は言葉を封じられる。
桜花が去れば、これからカトレーヌはこの屋敷でたった一人となる。
それでも、桜花はカトレーヌの為にここに留まることはできない。だから、何も言えなかった。
「……何時か、もう一度こちらに立ち寄ることがありましたなら、是非お顔を見せて下さいませ。今度は夢の世界ではなく、現実の世界でまた、お会いしましょう」
カトレーヌの言葉に桜花は僅かに微笑み、頷く。
「ああ」
何時またここにやって来るかは分からない。
二度と来ることはないかもしれない。
それはきっとカトレーヌも分かっている。
それでも彼女はその言葉を口にした。
だから、桜花は約束した。
桜花はカトレーヌに背を向ける。
青銀の髪が翻り、陽光に煌めく。
ゆっくりと歩き出した。振り返ることはしない。
前方からやって来た馬車と擦れ違う。
その馬車の乗客は、見たことのある顔だった。確か…劇場の支配人だ。彼にも迷惑を掛けた。
桜花の淡く色付いた唇に僅かに自嘲めいた笑みが浮かぶ。
馬車に乗った支配人はこの道の先にあるルイの屋敷に用があるのか。
何か予感めいたものを感じた。
しかし、桜花はそれを確かめようとはしなかった。真っ直ぐに前を向いたまま、迷いなく歩を進める。
その途中、長い髪を煽る風に瞳を細め、耳を澄ませる。
こうすると、森を抜ける風に乗せて聴こえてくる旋律がある。
それは何時までも途切れることはない。
この森がある限り。いや、この風がある限り。
それは何時までも何処までも桜花の耳に響き続ける。
それは、永久の調べだ。
了
「永久の調べ」完結で御座います。 400字詰め原稿用紙に換算して、200枚を軽く超える(汗) こんなぬるくてくどい作品に最後までお付き合い下さいまして、誠に有難う御座います(平伏)。 お疲れ様で御座いました。 サイト開設からちまちまと連載していたこの作品、 こうして終わってみると何やら感慨深いものが御座います。 桜花とルイの別離なんかは自分で読んでて、思わずしんみりしゃちゃったり……(苦笑) …そうそう、ルイの最後に付いてですが、これを書いてた当初、実はもう一つ、 彼が何らかの形で(精霊になるとか)桜花の傍に残るというラストも考えておりました。 しかし、今後のお話の展開も踏まえ、色々と考えて、現在のラストを選択させて頂きました。 何より綺麗に終わりたかったので……(え?なってない…?/汗) この作品、心ならずも「死」、「期限付きの命」などかなり重いテーマを扱うことになってしまいまして、 本人かなりどきどきでしたが、そんな中で葉柳が一番書きたかったのは、「切ない片想い」だったんです、結局は……(苦笑) それでも、敢えてルイの想いにはっきりとした言葉(池を泳ぐ魚と同音異義のもの…)は与えませんでした。 言葉にしないまま、ルイが去っていく方が、綺麗じゃないかと思ったのです。 …この方法が成功しているのかどうかは不明ですが(汗)。 それとは別に、葉柳はこの話を書いていて、ここでは書ききれない(未熟故に纏まらない…)ほど色々なことを考えました。 御覧頂けた方にも、そんな色々なことを(葉柳が気付かないものも含めて)感じて頂けたら、これ以上幸せなことはありません(珍しく真面目な…)。 さて、実はこのお話、咲桜花が出てくるシリーズの番外編的な位置付けになっておりまして…… 次作からいよいよ、本編始動となります。 本編は桜花以外に、もう一人新たな主人公が登場します。 その人物と桜花の関わり合いを中心として物語は展開していくことになると思います。 桜花の抱える秘密も徐々に明らかにされていく筈です(筈…?)。 次作は現在執筆中です(今1/3くらい…/汗)。 この桜花シリーズ(?)、全体的にシリアス度高めなお話が多くなると思いますが(苦笑)、 連載開始されましたら、気が向かれた折でも構いませんので、お付き合いくだされば幸いです。 では、そろそろ締めを。 ラストまでお付き合い下さいまして、本当に、本当に有難う御座いました!!前へ 目次へ