聖なる水の神の国にて〜涼夏〜
涼夏
「……如何でしたでしょうか?」
穏やかな笑みを浮かべた神官長がゆっくりと目の前の人物に問い掛ける。
「何故それをこちらに訊くのか、逆に尋ねたいところだな」
素っ気無い応えに神官長は笑みを深くする。
「貴方ですからお尋ねしているのですよ」
「どうやら貴方はこちらを誰かと勘違いしているらしい」
「勘違いなどではありませんよ。確かな確信を持っております」
「大した思い込みだ」
「貴方があくまでもそうであることを否定なさるのなら私はそれに従いましょう」
「……」
黙り込む相手を余所に、神官長は再び問う。
「貴方の純粋な感想を伺いたいのです。今回の件に対する彼らの対処は如何だったでしょうか?」
「…充分頑張ったと思うが」
「彼らは貴方の役に立ちますでしょうか?」
「こちらは別に誰かの協力を必要としていない」
「これから先の話ですよ」
「話がそれだけならば、失礼する」
そう言って、返事を待たずに去っていく相手を神官長は静かに見送った。
「取り敢えずは合格……と致しましょうか」
深更。
少女を見送った後、三人はフローベル家へと戻った。
心身ともに疲れ切っていた風矢は、すぐに床に付いたが、流星はあてがわれた客室のバルコニーに佇み、見るとはなしに眼下に広がる緑と闇を纏う森を眺めていた。
その傍らには華王の姿がある。
流星と同じように、白い手摺に手を掛け、夜の景色を眺めている。
夜風に揺れる漆黒の髪が、月光を受けて煌く。
「合宿課題終了の件は、神官長に伝えた。早ければ明日の午後にはその返事が来る筈だ」
「…そうか」
華王の言葉に、俯けた顔を上げずに流星は応え、華王とは違う色合いの輝きを零す金髪を掻き上げる。
その様子に華王が首を傾げる。
「風矢もそうだったが、お前、さっきからおかしいぞ。何かあったか?」
「……この期に及んで、そう訊けるお前が俺には驚きだぜ」
「だから何なんだ?」
まだ、生々しい不快さが残っている流星は、その華王の質問に応えなかった。
代わりに、一つ気になっていたことに、話題を変えることにする。
「…なあ、覚えてるか?」
「何を」
「ティーンカイル先々代当主の跡継ぎのことさ」
「…ああ、あの落馬事故で亡くなった?」
流星の実家であるティーンカイル侯爵家。
今から百年程前の話だが、その先々代の跡継ぎだった青年が、突然の落馬事故で亡くなるという事件があった。
当時、侯爵家直系の跡継ぎは、その彼しかいなかった為、亡くなったときは大変な騒ぎになったのだという。
結局、爵位は当時の侯爵の弟が次いだ。
以後、ティーンカイルはその弟の血筋が正統となっている。
正統が変わる切っ掛けとなったという意味で、この跡継ぎの事件は、今でも、ティーンカイル以外の貴族の中でも有名な逸話となって残っている。
この落馬事故が爵位を継いだ弟の仕組んだものではないか、との当時の疑惑に満ちた噂と共に。
だが、その真相は同時期に起きた流行り病の騒ぎに紛れてあやふやになっていた。
華王と流星はその噂が真実であったことを知っている。
しかし、何にせよ、百年前の話だ。
明らかになったところで、もう遅過ぎる。
いや、例え、当時そのことを告発する者がいたとしても、新たな正統となった侯爵一族によって、その事実は容易に握り潰されたことだろう。
そんな事実を今更、告発したところで、意味がない。
百年の時を掛けて安定した侯爵家の正統は、最早揺るがないのだから。
該当家の人間である流星はともかく、貴族については詳しくない華王が、この事件を知っているのには、訳がある。
二人が知り合って間もなく、巻き込まれた幽霊騒動。
その遠因ともなったのが、この過去に起きたティーンカイルの事件だったのである。
「ティーンカイルの本家には、あの子の家のように、代々の直系一族の肖像画に飾られた部屋があるんだよ」
「そうか」
流星は相変わらず手摺に身を預けた姿勢のままではあったが、やっと傍らで相槌を打つ華王を見上げた。
目に落ちかかる前髪を再び掻き上げながら、にやりと笑う。
「そこに問題の跡継ぎの肖像画もある訳だ。俺は別宅で育ったから、実際に見たことはないんだけどな、見たことのある奴から言わせると、その跡継ぎの姿がさ、俺に似ているんだと」
「鈴音嬢の想い人がその跡継ぎだったのではないかと?」
一事を除いては、察しの良い華王が流星の言わんとしたことをいち早く読み取る。
「…推測の域を出ないけどな」
その繋がりが、夢という形であるにせよ、流星が彼女と出会った理由にもなるのではないか。
しかし、彼女は想い人と流星がそっくりだと断言はしていない。
最後には、似てはいなかったかもしれないとさえ言っていた。
もう一度確かめようにも、答えを知っている少女は、天へと還ってしまった。
彼女なりの真実を見付けて。
流星たちのしたことは何のことはない、彼女の話を聞いただけだった。
「やれやれ、随分と簡単な浄霊もあったもんだ」
流星が皮肉気に呟く。
誰かと正面から向きあって話すこと、それだけで彼女は納得することができたのだ。
逆を言えば、今まで彼女に遭遇した人々はそれだけのことさえしてこなかったということになる。
真実は何処にあるか。
それを気に掛け、憶測を巡らすのは、残された者たちの勝手であり、また、血眼になって答えを得るようなものでもない。
それでも、考えてしまうのだ。
もし、流星の推測が真実のものであったなら……
彼女もまた、跡継ぎであった青年と共に、ティーンカイル侯爵家の犠牲となった人間ということになりはしないか。
血統と権力欲に縛られたあの一族の……
「全く無駄な憶測だな」
笑みを零しながら、視線を再び前方へと向けた流星の様子を眺めて、華王も夜の景色へと視線を戻す。
「…もし、お前の推測が当たっていたとしても、何も問題はないんじゃないか?却って良かったのかもしれない」
「あ?何でだよ」
意外な言葉に、流星が目を見開いて華王を見遣る。
華王はそのまま夜の向こうを見据えるように、瞳を細めた後、ゆっくりと微笑んだ。
降り注ぐ月光に透けてしまいそうな、淡く美しい笑み。
「もし、鈴音嬢の想い人がその跡継ぎだったのなら、彼女は想い人に裏切られてはいなかったということになるじゃないか」
彼はきっと、最後まで彼女を迎えに行くつもりだったのに違いない。
そう言ってから、華王は軽く肩を竦める。
「まあ、これも残された者の身勝手な憶測だが」
そんな華王の様子に流星も笑った。
「そうだな…俺とは違って真面目で優秀な跡継ぎだったらしいしな」
「お前とそっくりな姿で真面目なのか。想像し難いな」
「悪かったな。この顔を不真面目の代名詞にしたのはどうせ俺だよ」
「謝るのは俺ではなく、先祖の墓の前で、だな」
「それは勘弁して……」
こうして、合宿最後の夜は過ぎていく。
どうにか少女の浄霊という合宿の目的を果たした風矢たちは、結果を知った神官長から合宿の終了と労いの言葉を得た。
そして、残りの休暇は自由に過ごすこととなった。
風矢は休暇をそのままフローベル家で過ごす。
実家には戻らないと言う華王、流星にも兄の空羽はフローベル家への滞在を勧めたが、二人は断った。
特に流星が強力に拒んだので、事情を知らない空羽は首を傾げていた。
風矢もその事情に関しては口を噤んだままだった。
いつも賑やかな言い合いを繰り広げる二人が、言葉を交わすことだけではなく、顔を合わせることさえ避けている。
「二人とも一体どうしたんだい?」
「ああ、ちょっとした諍いがあってな…お互い暫く離れて頭を冷やすことにしたいそうだ」
心配そうな空羽に、華王がこう説明した。
それでようやく、空羽も納得したようだ。
事実は違うのだが、暫く顔を合わせないでいる方が良いというのは確かだろう。
「全く。それほど大したことではないだろうに。二人とも大袈裟だな」
「…お前、いつか襲うぞ」
今日の朝になってやっと風矢たちの妙な態度の原因を知った華王ではあったが、やはり彼らの心境を全く理解していない。
そんな彼に思わず呟いたらしい流星の言葉が風矢の耳に聞こえた。
しかし、この呟き、幸いなことに華王自身には聞かれていなかったようだ。
いつもならすぐさま流星の言葉を批判する風矢も、このときばかりは何も言えず、そのまま彼らを見送った。
このまま学院寮に戻ると言う二人だが、流星辺りは鬱憤晴らしに途中で寄り道をするかもしれない。
とにかく、風矢たちの休暇はこれから始まる。
…筈であるのにこの疲労感は一体何であろうか。
休暇の初めから何とも涼しい夏を経験してしまった。
これから過ごす日々と強い陽光とが、涼しさを吹き払い、夏という時節を風矢の心にもたらしてくれるのだろうか。
そんなことを何とはなしに浮かべていた心の片隅に、少しの暖かさがある。
耳に蘇るのは、還っていった少女の愛らしい声。
彼女が永い歳月の最後を穏やかに迎える手助けができた…
そんな感動とある種の達成感のようなものが残した暖かさが胸にある。
この暖かさだけはこの休暇中も、休暇が終わった後も、抱き続けていければ良い。
徐々に光の強さを増していく太陽を、手をかざして見上げつつ、風矢はこれまた何とはなしに思ったのだった。
(終)
はい、お疲れ様で御座いました(笑)。 「聖なる水の神の国にて〜涼夏〜」完結で御座います。 前作より軽いお話を目指して進めて参りましたが、如何でしたでしょうか? 個人的にオチ(笑)は軽い感じになったかな、とは思います! 別名、風矢と流星災難話……(苦笑) 特に風矢はホント御愁傷様で……ごめんね。めげずに、これからも頑張ってね(まだ、何かする気か)。 さて、次回は、今回のお話で思わせ振りに前振りしておりますが(苦笑)、ついに!←? 気になる風矢の先輩方、華王と流星の馴れ初め(?)話をお届けする予定であります。 ちょっぴり番外編ちっくに、流星視点で書いていこうと思ってます。 それに伴って、彼の内面にも、もう少し深く切り込んでいく予定でありますので、 今までの「聖なる〜」シリーズと比べて、少々シリアス度は高めになるかもしれません。 …が、予定は未定です。 まだ、一文字も書いてはおりません!!(焦) いやでも、書く気は満々で御座いますので(苦笑)、 また、いつか連載が始まった折には宜しくして頂けたら、嬉しいです♪ それでは!! 最後までお付きあい頂きまして、本当に有難う御座いました!!前へ 目次へ