面影


   面影 34

 

 扉を慌しく叩く音に、第一執事が顔を上げた。

 公爵も静かに、視線を扉の方に動かす。

「旦那様、大変です!」

「どうした」

 腰を折るのもそこそこに、慌しく話を切り出した使用人に、公爵は静かに問う。

「先程、明日の具体的な予定をお伝えに、砂月(さづき)様、桜花(おうか)様それぞれのお部屋を訪ねたのですが、どちらもお部屋にいらっしゃらないのです!部屋もきちんと片付けられておりまして、もしやと思い、クローゼットも確認致しましたが、お荷物もなく…」

「出て行ったか」

「は…どうやらそのようで…」

「成る程。先手を打たれたか」

「…如何致しましょう?」

 畏まる使用人を余所に、公爵は静かに言葉を紡ぐ。

「何もせずとも良い。放っておけ」

 そうして、使用人を下がらせた公爵の唇には、僅かな笑みが滲んでいた。

「旦那様、明日の跡継ぎの公表と一族への披露は…」

「本人たちが不在なのだ、跡継ぎの披露は無理であろうな。しかし、公表は予定通り行う。次代当主は桜花、砂月の二人だ。二人のうち、どちらかではなく、どちらにも一族を支える義務を担ってもらう」

「畏まりました」

 公爵の言葉に、第一執事は丁重に腰を折った。

 

 室外の廊下から、再びざわめきの気配が漂ってきた。

「…今度は何の騒ぎでしょうか?」

 第一執事が不思議そうに呟くと、扉が叩かれ、先程とは違う使用人が駆け込んでくる。

 古参の使用人である老婆だった。

「旦那様っ!!ああ、これは何としたことでしょう!」

「どうした。何があったのだ」

 使用人の動揺した様子に、公爵は眉を顰める。

「…ああっ、申し訳ありません!こうして、御報告に参りましたが、私もこの一大事をどう申し上げてよいのか…っ!!一番最初に気付かれた緑真(りょくしん)様も取り乱しておられて……旦那様っ!!大変なので御座います!!お嬢様が…翡翠(ひすい)様が…!」

 そこまで言って、老婆はその場でわっと泣き伏した。

 要領を得ないまま、だが、悲痛な声で告げられる内容を、公爵は表情を凍り付かせたまま聴く。

 そうして、一言、

「…そうか」

と、呟いた。

 あとは黙したまま、近くのソファへと腰を下ろす。

 僅かに肩を落としたその姿は、急に幾つも老け込んだように見えた。

 

 

 

 

 

「…っと」

 塀を乗り越えたとき、右肩の痛みに気を取られ、思わずよろめいた。

 自ら体勢を立て直す前に、横から伸びてきた腕に身体を支えられる。

「やあ、やっぱりここだった」

 聞き覚えのある、優しげだが、芯のある声。

「っ…砂月!」

 自分を支える従弟の顔を見上げて、桜花は思わず驚きの声を上げる。

「何故、お前がここにいる?」

「君を待っていたんだ。この屋敷からこっそり出るにはこの塀が一番越え易いんじゃないかと思って。正解だったね。まあ、僕もここを越えさせて貰ったんだけど」

「…誰にも見付からない自信はあったんだが」

 にっこり笑って応える砂月に、取り敢えずの礼を言って、身体を離してから、桜花は溜息を一つ吐いた。

「で?俺を待ち伏せて何の用だ。念の為言っておくが、屋敷に戻って跡継ぎ発表を聴くつもりはないぞ」

 傍らの木の幹に寄り掛かりながらの桜花の言に、砂月は微笑んだままで応える。

「まさか。僕だってそんなつもりはないよ。でも、一人で逃げ出すのはずるいよ。あの公爵に厳しい顔で、桜花は何処だと問い詰められるのは御免だ」

「お前が跡継ぎならそんなことはないだろう」

「そんな状況になるのも御免だね。だから、君に倣って、跡継ぎ発表を聴くこと自体を放棄させてもらうことにしたんだ」

 悪びれない砂月の応えに桜花はにやりとする。

「そうか。公爵もとんだ孫たちを持ったものだな」

「全くね」

 軽い口調で言葉を交わした後、ふと、桜花は真面目な表情になり、先程とは色合いの違う静かな言葉を落とす。

「眼鏡、していないんだな」

 やはり、気付いてくれたかと、砂月は笑う。

「ああ。僕の決意の証みたいなものだよ」

「決意?」

「そう」

 砂月はその色違いの瞳を晒しながら、真っ直ぐに桜花を見る。

「君はこれからまた旅に出るんだろう?」

「まあな」

「ここで会わなかったら、僕に一言の挨拶もなしに行くつもりだった?だとしたら、随分冷たいな」

「…悪かったよ」

桜花は気まずげに、目の上に降り掛かる長めの前髪を細い手で掻き揚げる。

「まあ、過ぎたことだし、結局は会えた訳だから、これ以上は責めないことにする。それに、僕も緑真の件で、君を疑っていたしね」

「何だ、俺を疑っていたのか?」

 なるべく軽さを装って打ち明けた言葉に、桜花は意外そうな声を上げたものの、そこに落胆の響きはない。

 そのことに、安堵を憶えつつ、口調を変えないまま砂月は、言葉を継ぐ。

「今考えると全く愚かなことだけどね。だから、これでおあいこだ。それよりも、僕の用件を聴いて貰っていいかな?」

「どうぞ」

「うん。僕はこれから暫くの間、君に同行することにしたから」

 髪を掻き上げていた桜花の手がぴたりと止まる。

「出来れば君の承諾を得たいところだけど、無理にとは言わないよ」

 断られたときは、勝手に付いていくことにするから、と穏やかだが有無を言わせぬ口調で砂月は宣言する。

「君に迷惑は掛けないよ。通りの石像だと思ってくれればいい」

「自分で動いて喋る石像があるものか」

 少々悪戯っぽく付け加えられた言葉に突っ込んでから、桜花は改まった口調で訊く。

「家には戻らないのか」

「ああ」

「暫くとは具体的にどれぐらいだ」

「分からない」

「……」

 桜花が手を下ろしたことで、その細い眉が顰められているのが明らかとなる。

星砂(せいさ)はどうする?お前を待っているんじゃないのか?」

 迷いなく桜花の問いに応えていた砂月が、そこで初めて言葉を澱ませる。

「星砂には…手紙を送った。彼女とは暫く距離をおきたいんだ。もっと、広い世界を見て……そこで、改めて彼女との関係を考えてみたい」

 

身勝手なことをしているとは思う。

 しかし、やっと自分の行き先が見えてきたように思うのだ。

 

 星砂に絡む砂月の心の葛藤など知りようもない桜花だったが、砂月の言葉に真摯な響きだけは感じ取ったようだ。

「お前たちの家の事情に関しては、俺には何も言う権利はない。お前が納得して決めたことなら、好きにすればいい。だが、何故、俺と同行したいんだ?それが分からない」

「……君、もしかして、本当に冷たい人間なのかい?それとも、とんでもなく鈍いとか?」

「どういう意味だ」

 間違いなく後者だろうと当たりを付けつつ、砂月は笑いながら、言葉を継ぐ。

「君の納得できる理由になるかは分からないけど…僕はこれから、自分の能力を制御することを憶えなければいけない。だけど、正直一人ではどうしたらいいか分からないんだ。だから…その術を君から教えて貰いたい。君に同行して、君の姿を見て…君がいつもどのように能力を制御しているかを知って、その術を身に付けたい」

 駄目かな、と問い掛けると、じっと砂月を見詰めていた桜花は、また一つ溜息をついた。

 しかし、その花弁のような唇から零れたのは、

「好きにしろ」

との、承諾の言葉だった。

「お前のようなお坊ちゃん育ちにはきつい旅かもしれないぞ。覚悟しておけ」

「了解」

 同行の承諾を得た砂月は、厳しさを装った言葉に、おどけて応える。

「それじゃあ、これからもお世話になります。宜しく、さくら(・・・)

「…誰のことだ」

「あれ?だって、桜花は「さくら」だろう?」

「勝手にあだ名をつけるな」

「可愛いと思うけどなあ、「さくら」。この呼び方はどうしても嫌かい?」

 めげない砂月の言に、今度は少し呆れたような溜息が一つ。

「……好きにしろ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 彼にしては珍しく、屈託のない笑みを見せた後、砂月は桜花と肩を並べながら、悪戯っぽく囁いた。

「さっき言ったことも嘘じゃないけど、君に同行したい理由は別にもあるんだ」

「何だ」

 一度、承諾した以上、それを蒸し返すつもりはないのか、桜花は素直に訊き返す。

「単純な理由だよ。君ともう少し一緒にいたい。もっと君自身のことを知りたい。そう思ったからなんだ」

 そう言った傍らの砂月の瞳と桜花は視線を合わせる。

そうして、その名のとおり、桜の花弁を連想させる唇を綻ばせた。

「それは奇遇だ」

 

 実は俺もそう思っていたのだ、と。

 

 

 

 

                                                                     了


はい。お疲れ様、自分! そして、最後までお付き合い下さいました皆様(と言うほど、いらっしゃるかは不明ですが/笑)、 たいっへんお疲れ様で御座いました!! シリーズのプロローグ的位置付けにあった、前作「永久の調べ」よりは長くなるだろうと、予想はしていたものの、 まさか、ここまで長くなろうとは執筆者本人も予想しておりませんでした(駄目じゃん。/汗)。 400字詰め原稿用紙、300枚は軽く超えてます……記録更新ですな!(苦笑) さて、長丁場となりました「面影」、色々と気になる問題を孕みつつも、 主人公二人の新たな旅立ちで一区切りとし、終了と相成りました。 跡継ぎは決定したものの、当の本人たちの逃亡により、跡継ぎ教育などの問題は保留(苦笑)。 公爵にはもう少し頑張って頂くということで。 そして、二人は翡翠の最期を知らないまま旅立ってしまいました…(汗) 二人が彼女のことを知るのは次作となる予定。 他の要素も交えて、ちょっとした波紋を起こしそうです… 次作は、二人が旅先で出会う事件を主軸としながら、噂の砂月の姉君と、疑惑(?)の父君が登場の予定です。 姉君の方は顔出し程度の御出演になりそう(と言っても、それなりにインパクトはあるかと…/苦笑)なので、恐らくメインは父君です。 そして、桜花の大きな秘密がまた一つ明らかに!←まだ、あったんかい。 今現在のところ、父君に対する印象が最低最悪な砂月ですが、果たして。 そしてそして、桜花と砂月の仲に進展はあるのか?!(笑) まあ、そんな感じでお話は進んでいく予定であります…(あくまでも予定。) 間違いなく長期連載になると思われますが、開始した折にはまた、お付き合い頂けると嬉しいです♪ ではでは。こんなにくどくて長い(…/汗)作品を御覧になってくださった皆様、 本当に、本当にっ!有難う御座いました!!(平伏) 前へ 目次へ