面影
面影 1
高い石塀に沿って走っていた車が止まる。
「ここからは車の通行は禁止されてますから、入国後に馬車かなんかを利用して下さい」
運転手の言葉に頷き、乗車料金を支払う。
正面にはロゼリア王国の入国用の門が聳えていた。
その前に貴城砂月は降り立つ。
車の走り出す音を背に聞きながら、砂月は門へと到るトンネル入口の横、石積みの塀に打ち付けられた金属板を見遣る。
その金属板には公用語でこの門から先がロゼリア王国であること、緑に囲まれた美しい自然を守るため、国内では排気を出す車の利用は禁止されている等の旨が記されていた。
砂月はちょっと肩を竦め、門へ向かって歩き出した。
この王国は自らを隔離するかのように隣国との国境線に高い石塀を築いている。
その石積みの塀は高く、厚い。
砂月が短いトンネルの突き当たりにある薄暗い門に辿り着くと、門番宜しく門脇に佇む軍人のような制服を着た者の一人が、砂月の持つ身分証と入国許可証とを確認した。
「どうぞ」
その者はどこか機械的な口調で言い、その言葉に応えるように、門脇に立つ数人が門の扉を開いた。
途端差し込んだ眩しい光に、砂月は思わず目を細める。
ロゼリア王国に入った砂月は、まるで過去にタイムスリップしたかのような情景に暫し唖然とする。
白を貴重とした古風な街並み。
白い石畳と白い石造りの家々。
家々の屋根の向こう側に街を囲むように森がある。
その木々の合間から高い尖塔を持つ城のような建造物の一部も見えた。
陽に輝く石の白と木々の濃い緑が目に眩しい。
「こんな国がまだあるんだな…」
ポツリと呟いた砂月は、ちょうど目前の通りを蹄の音を響かせて通り過ぎる馬車を見た。
彼の目的地はまだ遠い。
彼は馬車の停車場と思しきあたりに行き、煙草を吸いながら休んでいた御者に声を掛けた。
やって来る砂月に気付いた御者は慌てて煙草を消した。
「お客さんですか?」
そうして、顔を上げて砂月の容貌に目を瞠る。
自分を初めて見る者の反応としては良くあるものだったので、砂月はそんな彼の様子には構わずに話し掛ける。
「ブランシエル領まで行きたいのですが、幾らになるでしょうか?」
「……あ、ああ、二十ロアですよ」
「それならお願いします」
「どうぞ」
御者は呆然としてしまった自分に照れ臭そうに笑いながら、座席を示す。
それに笑顔で返して、砂月は馬車に乗り込んだ。
馬車が走り出す。
陽気な人柄らしい御者は、砂月に話し掛ける。
「いやあ、さっきはすみませんね。ぼうっとしてしまって」
「いえ」
「いや、お客さんがあんまりにも…なんていうか綺麗だったもんですから。いや、男性に向かって綺麗は失礼かなあ」
「いいえ、気にしてませんよ」
「そうですか?でも、綺麗なのに、ちゃんと男性に見える人もいるものなんですねえ」
御者の明るい物言いに、砂月は苦笑する。
穏やかな風に肩に届かない程度に揃えられた髪が、光に煌きながら秀でた額に、頬に掛かる。
その髪は混じりけの無い銀そのものを思わせる輝きを放っている。
額に掛かる銀髪を何気なく掻きやる長い指。
薄い色の付いた眼鏡越しに見えるやや切れ長の瞳の色は分からない。
しかし、長い睫に縁取られたその瞳が気品ある輝きを放っていることは充分見て取れた。
細い眉。通った鼻筋、薄い唇。
その顔立ちは繊細とも言っても良い造りだ。
その造りのために昔はよく少女と間違われた。
小さい頃は双子の姉である星砂と瓜二つで、頻繁に姉弟ではなく、姉妹と間違えられたものだ。
今は少女と間違い様が無いほど伸びた背と、ただ優しいばかりだった顔立ちに鋭さが加わったお蔭で、間違われることはなくなったが。
「お客さんは里帰りですか?」
「いいえ。この国に来たのは初めてです」
御者が驚いたような声を上げる。
「ええ?私はてっきりロゼリア国人だと思ってましたよ。流暢なロゼリア国語を話されていらっしゃいますし」
「…母がこの国の生まれだそうです」
「ああ、なるほど…」
「僕も…驚いていますよ」
大通りを行き交う人々の彫りの深い顔立ちは、何処となく東洋的な雰囲気も漂わせている。
東洋と西洋の狭間に位置する国故の特徴だろうが、そこには確かに砂月、そして星砂との共通点が伺えた。
何よりも皆、背がすらりと高い。
砂月の育った彩和においては彼の背はかなり高く、随分と目立ったものだが、ここでならすんなりと馴染めそうだ。
彼の美貌ばかりはどうあっても人目を引くだろうが。
どうして?
どうして砂月だけが行かなくてはならないの?
ふと、この国へ旅立つ直前に投げ掛けられた双子の姉、星砂の声が耳に蘇る。
突然の手紙によって呼び出された砂月を、星砂は最後まで一人で行かせるのを嫌がった。
自分とよく似た、しかし、ずっと優しげな容貌。
柔らかく波打つ金の髪。
華奢な身体。
自分の心の内をさらけ出すことに躊躇いを覚えない態度。
良く言えば素直。
悪く言えば我儘な。
しかし、それは星砂の美貌と共に彼女の魅力の一つだ。
砂月とは逆であるが故に、彼が最も慈しんでいるものでもある。
心に浮かぶ彼女の面影に砂月の顔が、優しく綻ぶ。
しかし、その笑みには隠しようのない躊躇いが滲んでもいた。
愛しい星砂。
星砂も砂月が彼女を想うのと同じほどの、いやそれ以上の想いを彼に向けてくれている。
それは嬉しい。
何より、生まれながらに幾つかの秘密を抱えている砂月にとって、自分を無条件にありのまま受け入れてくれる彼女の存在は、大きな救いでもあった。
彼の秘密に触れても、変わることなく愛を注いでくれる。
そんな彼女を愛しく思う気持ちは昔からずっと変わらない。
しかし、砂月は今、星砂から向けられる盲目的な愛情を持て余し始めていた。
この世にお互いしかいらない。
自分を見詰める星砂の真摯な瞳にそんな思いを読み取る度、僅かな息苦しさを覚えるようになった。
星砂が自分に対して抱く想いは、自分が彼女に対して抱く想いとは違うのではないだろうか。
そのことに気付いたとき、
このままではいけない。
そんな理由の知れぬ焦燥に駆られるようになった。
砂月が星砂から逃れるように、声を掛けてくる女性と付き合うようになったのはその頃からである。
が、それはいつもさしたる時を待たずに崩壊した。
砂月が付き合う女性に対して、星砂がいつもあからさまな敵意を剥き出しにしたからだ。
その激しさに女性は耐えられなくなってしまうのだ。
星砂のしていることを分かっていながら、助け手を延べようとしない砂月の態度にも。
彼はいつも誘いに応えるだけで、自分の方から誰かを好きになることがなかった。
また、応えた相手に対していつも、好意以上の気持ちを持てないでいた。
彼女らに秘密を明かすことが出来なかったことと同様に。
結局は砂月自身が付き合う女性との関係を壊しているようなものだった。
そのことを自覚する度、砂月は迷い始める。
この秘密がある限り、自分は星砂から逃れられないのか。
それとも、自分は彼女から逃れようとしながら、心の片隅で彼女に囚われることを望んでいるのだろうか。
……自分もいずれ星砂の想いに引き摺られていくのだろうか…?
それとも既に……?
最早そんなことさえはっきりとしない。
このままではいけないと分かっているのに道が見付からない。
自分は、いや、自分たちはどうしたらいいのか。
星砂の反対を半ば押し切るような形でそれほど来たくもなかったこの国へとやって来たのは、そんな行き詰まった状態から抜け出したいと思っていたからかもしれない。
生まれてからずっと共に過ごしてきた半身。
その彼女と距離を置くことで、今の状態から抜け出す術を得られるかもしれないと。
…いや、ただ自分を取り巻く全ての状況から逃げ出したかった、それだけの理由なのかもしれない。
知らず溜息を零した自分に嘲笑いながら砂月は顔を上げ、街を過ぎ緑に包まれた森の道を行く馬車から、遥か丘の向こうに垣間見える城を眺めた。
爽やかな緑の匂いが鼻腔をくすぐる。
「もうすぐブランシエル領に入りますよ」
御者の明るい声に穏やかに応える。
「領の正門を入った脇で下ろして頂けますか」
通り過ぎる木々を目の両端に何気なく捕らえつつ、砂月は突然自分を呼び出した手紙に思いを馳せた。
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