聖なる水の神の国にて〜懐秋〜

 

   天使の宣告 4

 

 話を終えた下級生が戻ってきた。

()(おう)様が先輩との立会いを了承してくれました」

 周りの下級生がどよめく。

 彼らの大きな期待と少しの緊張に包まれた場に、ゆっくりと華王が近付いてくる。

 手にした教材を傍らの腰掛けに置き、黒の長衣も脱いで、その背に掛ける。

 流星(りゅうせい)も最上級生の証である白い長衣を脱いで、空いている腰掛けに放り投げ、

白いシャツ姿になると、下級生の一人から刃をわざわざ零してある競技用の剣を借りる。

 同じく黒い細身のパンツの上に白いシャツ姿となって、

片手に剣を持っている華王に向けて、笑いながら剣を翳してみせる。

「そんな細い腕で剣を振り回せるのか?信じられないなあ」

 そう揶揄しつつ、色街で複数のごろつきを瞬く間に伸した彼ならば可能かもしれないと内心で思う。

 華王は黙って右手に剣を構えた。

 

 さっさとしろということか。

 

 もう一度笑ってから、流星も剣を構える。

 その顔からは既に笑みが消えている。

「お手並み拝見」

 誰にも聞き取れないほど低く呟いた。

「お二人とも準備はよろしいですか?では……始め!!」

下級生の合図を受け、こちらから打ち掛かった。

向き合う相手のあまりに華奢な姿に、知らず手控えをしてしまうのではないかと危ぶんでいた流星だったが、

そんな考えは刃を交えた瞬間に吹き飛んだ。

正面からしっかりと剣を受け止める、その手応えに流星は、思わず息を呑む。

瞬間後に刃を打ち払われ、返す刃で足元を狙われる。

すんでのところで避け、お返しとばかりに頭上から振り下ろした刃も、軽く弾かれる。

ほとんど同時に、今度は横合いから打ち掛かってくるのを、再び危うい間合いで防ぐ。

やはり、華王は力には自信がないのだろう、剣での押し合いになる前に、素早く向かってくる刃を避けている。

流星が一方的に攻め、華王がそれを防ぐ格好で、周りからは流星が優位に立っているように見えるかもしれなかった。

しかし、瞬間的に切り結ぶ相手の刃が、予想外に重く、鋭い。

それでも足りない力を、素早い動きと相手の勢いを自分の勢いに変えることで見事に補っている。

並々ならぬ驚愕に浸されながらも、流星は気を落ち着かせて、相手の力量を推し量る。

 

これは…実践型の剣だ。

自分やその他の学生たちのように、教養程度に身に付けていればいい、

上手くなっても所詮お遊びの域を出ない剣とは訳が違う。

しかし、それと同時に、守りから攻めに転ずる連続的な動きが、舞の如く流麗でもある。

いや、実際に舞っているのだ。

振り下ろされる刃を躱しながら、華奢な身体をくるりと一回転させ、そのままの勢いで、手にした剣を振り下ろす。

その剣を払いながら、攻める流星は、奇妙な感覚を憶えていた。

自分の太刀筋が相手に読まれているような気がする。

しかも、その上で相手が思うところに、自分の刃が向くよう仕向けられている気がするのだ。

そう、華王だけではなく、立ち会う流星も剣舞をさせられているような。

 

その感覚は間違いではなかった。

勝負を見守る下級生たちは、緊迫した雰囲気に呑まれ、言葉を失いながらも、

珍しい東方の剣舞を見せられているような心地で、二人の立会いに見惚れていた。

渡り廊下を過ぎろうとした者たちも皆、屋外で繰り広げられる立会いの華やかさに引き寄せられるように立ち止まり、

見物人は徐々に増えていく。

翻る刃が陽を受けて、白い光の軌跡を描く。

剣の動きに合わせて、流星の金色の髪と華王の濡れたような漆黒の髪も、輝きを零しながら舞い踊り、実に目に鮮やかだ。

 

そんな見惚れる周囲とは裏腹に、流星は少々面白くない気分になっていた。

 何せ、自分は相手の望むよう、文字通り「踊らされている」のである。

しかし、剣舞めいた立会いが長引くに連れ、流星はそんなことを気に掛ける余裕がなくなってきた。

こちらはそろそろ息切れがしてきたというのに、打ち込まれる華王の刃には衰えが見られない。

 

これは負けるかな。

 

焦る気持ちを捻じ伏せるように、技と呑気に考えながら、流星は剣を振るう。

予想通り刃は危なげなく受け止められた。

 

が…

 

突如、相手の刃から、ふっと力が抜ける。

不自然に出来た隙を訝しむ暇もなく、流星は反射的に相手の手から剣を叩き落していた。

 

一瞬の静寂。

 

「…しょ、勝負そこまで!!勝者、流星・ティーンカイル!」

 嗄れた喉から搾り出すような声で、勝敗を告げられる。

 途端、興奮にどよめく周囲の中で、やっと流星は我に返った。

 目の前で、華王がゆっくりと落とした剣を拾う。

 騒がしい周囲を気に掛ける風もなく、剣を持ち主に返し、流星に対して軽く目礼をしてから身を翻した。

 黒い長衣を羽織りながら遠ざかっていく細い背中を見詰めながら、流星は苦い気持ちが込み上げてくるのを堪えていた。

 

 立会いの間中、良いように踊らされた。

その上、最後の段階で、明らかに手控えをされた。

 自分が。

 あの少女のように華奢な少年に。

 

 この気持ちは何だ?

 手控えをされたことが悔しいのか?

 そうして、自分の誇りを傷付けられたことに対して腹を立てているのだろうか?

 なるほど、とすると自分は、無いと思っていた誇りを多少なりとも抱いていた訳か。

 

 苦い気持ちがそのまま笑みとなって零れる。

「…あの?」

 勝者である筈の流星が、無言で佇んでいるのを訝しんで、剣を貸してくれた下級生が、恐る恐る声を掛ける。

 当人たちのあまりにも静かな様子に、周囲の騒がしさも次第に収まった。

「ああ、悪い。有難う」

 そう言って剣を返し、流星は腰掛けに掛けていた上着を肩に引っ掛けながら、

一足先に行った華王の後を追うようにして、裏手の森へと向かった。

 集まっていた見物人たちも、何処か居心地悪そうに一人二人とその場から離れて行き、

最初にそこに集まっていた下級生たちだけが残る。

 しかし、彼らもまた、遠ざかる流星の背を不安そうに眺めながら、学院内へと戻っていった。

 


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