聖なる水の神の国にて〜懐秋〜

 

   懐秋

 

風矢(ふうや)に、華王(かおう)との出会いを訊ねられたのが、切っ掛けだったのだろうか、ふと思い立った。

大通りの花屋で目に付いた白百合の花束を買う。

「墓参用にはちょっと派手過ぎたか」

 しかし、あの店では最も綺麗に咲いていた花だ。

 まあいいだろうと、左手に持った大振りな白い花束を肩に担ぐようにして歩む。

 

「おや、流星(りゅうせい)さまじゃないですか」

「おう」

 色街の裏通りを過ぎる最中、馴染みの煙草屋に声を掛けられて、流星は立ち止まる。

「綺麗な花を抱えて。これから素敵なご婦人とお会いになるんですか?」

「まあ、そんなとこだ」

「どうです、おひとつ…」

 差し出された煙草をいつもと同じように買おうとして、流星は空いている右手を伸ばす。

 が、以前買った煙草がまだ、大分残っていることを思い出し、途中で手を引っ込めた。

「いや、今日は止めておく。また、なくなったら買いに来るよ」

 微笑みながら流星が断ると、煙草屋は軽く溜め息をついた。

「最近の流星さまは、うちの御利用が随分と少なくなりましたねえ」

「悪いな」

「いえ、うちとしては少々残念ですが、流星さまにとってはいいことでしょうから」

 素直に煙草を引っ込めた店の主人が笑う。

 確かに主人の言う通り、流星が煙草を吸う量は、以前よりもずっと少なくなっていた。

「また、来るよ」

「お待ちしております」

 頭を下げる煙草屋に、軽く右手を上げ、身を翻す。

 

 街を出ると、通りは徐々に緑の量を増していく。

 左右を濃い緑の葉を繁らせた森に囲まれた辺りまで来ると、街の喧騒は一気に遠くなる。

 街とはさほど離れてはいないが、この森が人々の生み出す喧噪を吸収しているかのような静けさだ。

 その道をそぞろ歩きの風情でゆっくりと歩いていると、右手の木々の間から、華奢な人影が現れた。

 それに流星が気付くと同時に、相手も流星を見分けた。

「お、流星か」

 平然と声を掛けてきた華王である。

「おいおい、仮にも、最も高度な教育を行う神学院の優等生が、そこらの悪がきみたいに、森の中をうろつくなよ」

「気にするな」

 流星の皮肉めいた言にめげることなく応え、華王は肩についた小枝を払いつつ、近付いてくる。

「墓参りか?」

「ああ、たまにはな」

 流星が抱えた花束に目を遣り、訊ねてきたのに、軽く肩を竦めて応えると、眼鏡の奥の灰色の瞳がきらりと煌いた。

「奇遇だな。実は俺もなんだ」

 明るく言いつつ、森の中で摘んできたのであろう花を掲げて見せた。

 お世辞にも墓参用に相応しいとは言えない野草の類である。

 流星は呆れて、思わず苦言を吐いた。

「お前なあ、幾ら奨学金生活者とはいえ、墓参用の花をケチるなよ。

そこら辺に咲いてるタダ花で間に合わせようとするんじゃない」

 流星が華王に珍しくまともなことを言っていると、風矢がこの場面を目にしたら、目を丸くすることだろう。

 しかし、華王は一向めげない。

「何を言う。これは厳選してきた花だぞ。花弁を磨り潰したものは万病に効くと言われる優れものだ」

 我が事の用に胸を張ってみせる。

「……墓参用の花に万病に効くも何もないだろうが」

「まあ、そう言うな。それに、良く見ると綺麗だぞ」

 お前にもやろうと一束胸元に押し付けられて、流星は華王の摘んできた白い花を見下ろす。

 確かに、華王の言う通り、小振りで小さな花々は、店で売られている花のような派手さはないが、可憐で美しかった。

「…ま、悪くはないけどな」

 素直に認めた流星に、華王がにっこりと笑み返す。

「二日酔と肺病にも良いそうだ。覚えておけよ」

「嫌味か、それは」

 

 通りの左手に森の木々の間を縫うように細い小道がある。

 幅が狭くとも、きちんと均してある道を縦に並んで暫く歩むと、小川に突き当たった。

 木漏れ日に煌きながら、清水が流れていく。

 耳に心地よいせせらぎの音。

 ふたりの歩んできた小道は川辺に沿うように右に折れ、小さな木造の橋に続いていたが、

川は川面に覗いている岩を伝えばすぐ向こう側へ渡れるほどの幅が狭い。

 ふたりは当然近道を選んだ。

「そう言えば、風矢がお前と俺には共通点がないと言ってたぞ」

「へえ?」

「俺とお前では行動範囲が違うんじゃないかってさ。

きっとあいつは、お前が色街に行ったことがあるなんて夢にも思ってない筈だぜ」

 川を渡りながら、面白そうに言う流星に、華王も笑う。

「まあ、実際に娼館の世話になったことはないけどな」

「…色街を知ってて、それだっていうのも相当珍しいけどよ」

 話しながら先に岸に辿り着いた流星が、ごく自然に華王に向かって、右手を差し出す。

 最後の岩から岸までの距離が、大分離れていたからだ。

 すると、川面の岩の上で立ち止まった華王が苦笑した。

「おい流星。俺は女じゃないんだから、そんなに気を遣わなくていいんだぞ?」

 小さな岩の上で、器用に佇み、摘んできた花束を左肩に預けながら呆れたように言われ、

流星は意表を突かれたような顔をする。

「あ?…ああ、まあ……そうだよな……?」

 差し出したままの己の手と華王の顔とを見詰め、何処か曖昧に呟く。

 華王は女ではない。

 知り合ってから、一年以上も経っているのだ、そんなことは分かっている。

 また、華奢な見掛けに反して、華王が強いことも知っている。

 少なくとも、こんな細かい気遣いは必要ない。

 しかし、今でも時折、無意識に気遣う行動を取ってしまう。

「おかしいなあ…この俺が男相手にこんな行動をとる筈はないんだが……」

 自分でも首を捻りながら呟いた流星は、次いで慌てたように言葉を継ぐ。

「あっ、でも、お前を馬鹿にしてるとか、見下してるとかじゃないからな!」

 念を押しておかないと、後が怖い。

「分かってる」

 鷹揚に頷いた華王はちょっと首を傾げて、流星を見上げた。

「まあ、せっかくこの俺に気を遣ってくれようというんだ。それを無駄にする理由もないだろう」

「妙に含みのある言い方だな」

 差し出したままだった手に、白い華奢な手を乗せられて、流星は結局、華王が川を渡るのを手伝ってやる形となった。

 そう言えば、自分が時折、このような場違いな気遣いを見せても、華王はあまり怒ったことがないな、とふと気付く。

 よほど人間が出来ているのか、或いは鈍いのか…

 そんなことを考えていると、引いていた手に技とらしく体重を掛けられた。

「うわっと!」

 思わず、よろめいて川の中に足を踏み入れそうになってしまう。

「危ないな。気を付けろよ」

 自分の所業は棚に上げて平然と言い、とんと岸に降り立った華王は、捕まっていた手を離した。

彼を流星は岸の端でやや恨めしげに見遣る。

「お前、ホントは怒ってるんじゃないのか?」

「まさか、気のせいだろう」

 にっこりと邪気なく笑う華王の真意は、測り難かった。

 

小川を渡り、また森の中を少し歩くと、開けた場所に辿り着く。

そこに広大な墓地があった。

 中心に礼拝堂を備えた、主に貴族の縁者が多く埋葬されている墓地である。

 その墓地の隅、小さいが、周りを綺麗に掃き清められた墓に持ってきた花々を供える。

 そこには既に控えめな色合いの紅薔薇が供えられていた。

「今も伯爵は定期的に訪れているみたいだな」

「ああ」

 この薔薇は恐らく、あの娼婦の好きだった花なのだろう。

 暫し、ふたり並んで小さな墓の前に佇む。

 森の木々を抜ける風が、流星の淡い金髪をそよがせ、華王の艶やかな黒髪を靡かせていく。

 ふいに、流星はふらりとその墓の前から離れる。

 後から華王が付いてくるのを感じたが、頓着しなかった。

 墓地の中心、礼拝堂の正面に整然と並ぶ墓の一つを前に立ち止まる。

 左右背後を蔓草を絡ませた優雅な意匠の細い柵に囲ませた立派な墓である。

 ティーンカイル家直系親族が埋葬される墓である。

 そこに、持ってきた花を供えようとして、流星はそこにも既に花が供えられていることに気付いた。

 墓参の季節でもないのに、珍しいこともあるものだと供えられた花を見て、また気付く。

 目も醒めるような青い矢車菊。

 矢車菊は、ティーンカイル侯爵家の紋章にも用いられている象徴花だ。

 この如何にもとって付けたような…いや、供える花の種類を選ぶことも出来ない不器用な墓参者に心当たりがある。

 仕事にかまけて、墓参りなど見向きもしないかと思えば。

「…ホントに珍しいこともあるもんだ」

 大方、件の霊騒ぎを思い出して、先祖を省みる気にでもなったのだろう。

 ふと胸に沸いた僅かな期待を無視して、流星は皮肉気に笑って、自分の花を供えた。

 次いで、華王も自分の花を供えた。

「まだ、他にも花を供えたいところがあるのか?」

「ああ」

 華王が流星の手元にまだ残っている花束を見て訊いてきたのに、頷いて流星は立ち上がる。

 礼拝堂の裏手へと周り、半分木々に隠れるようにしてある粗末な墓の前で立ち止まる。

 そこでまた、流星は驚きに目を瞠ることになった。

 そこにも、既に花が供えられていた。

 青い矢車菊が。

 言葉もなく立ち尽くす流星の脇から、華王が持っていた残りの花を供えた。

「同じ花だな」

 端的な一言に我に返って、流星は長い前髪を掻き上げながら苦笑した。

「全く…驚かせてくれるぜ。義理で墓を作った後は見向きもしないに違いないと思ってた」

 実際はそうでもなかったということか。

 それとも、ただの気紛れか。

 そもそも、この花を供えたのが、流星が想像する人物とは限らない。

 しかし…

「綺麗だな」

 しゃがんだまま、目の前の青い花を見詰める華王がふと言葉を零した。

「まあ、供え主はどうあれ、花は花だからな」

 そう皮肉めいた言葉だけを返したが、流星もまた、今までになく穏やかな気持ちでその花を眺めた。

 華王は何も訊かなかった。

 この墓に誰が埋葬されているのか。

 ティーンカイル家の墓とこの墓に同じ花を供えたのは誰なのか。

 流星も敢えて話さなかった。

 それでも、華王は分かっているのだろう。

 何故か、それだけは確信できた。

 

 木々をざわめかせながら、心地よい風が流れていく。

 華王がす、と立ち上がり、空を見上げる。

 その細い背で光に煌きながら揺れる長い髪。

 空中に舞う木の葉を眼の端に移しながら、流星も空を見上げる。

 

 秋の空は何処までも高く、明るい。

 

 それは何処か懐かしい色だ。

 


『聖なる水の神の国にて〜懐秋〜』完結です。はあ〜、ヤレヤレ(溜め息)。
ちょっとした番外編のつもりが、開始から終了まで一年も掛かってしまいました(苦笑)。
流星の両親絡みの個人的事情まで触れたことが敗因か…?
でも、『聖なる〜』の主人公(なんです、あれでも/笑)風矢にとって、
謎めいた先輩たちの絆が明らかとなったので、これはこれで良いのではなかろうかと。
私も好き勝手書きたい放題できました(笑)。
この話で出てきた流星の家の事情は、前作『涼夏』に登場した少女の霊と、
ラスト近くで流星がちらっと華王に語った辺りのことにリンクしてたりもします。
華王が見付かったかも…と気に掛けていた人物は、
『騒春』のラストにちらっと出てきたりもしていて(笑)。
私だけが楽しい(苦笑)仕掛けを散りばめつつ書いてました。
さて、次回は本編に戻って、ちょっと学園ものらしいもの(?)を書いてみたいと思ってます。
鳴りを潜めていた主人公も復活です!
個性の強い先輩に囲まれているだけに、目立てるかどうかは不明ですが(苦笑)。

最後まで長らくお付き合い頂きました方、お疲れ様でした!そして、有難う御座います♪
今だ、オリジナルの妄想も尽きることを知らないのですが(笑)、
これからもお付き合い頂けたら幸いです♪

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