哀恋

 

  哀恋 20

 

夜明けが近付いてきていた。

「一度宿に戻るか?少し荷物を置いてきただろう」

「そうだね。

多くはここに来てから揃えた日用品だから、失くしたとしても困る荷物ではないけれど、

あれば後で買い直す手間が省けるし」

「こう見えて質素だからな、俺たちは」

「改めてそう聞くとそぐわないね、さくらと「質素」って」

「それはお前もだろう」

 すっかり常の調子に戻った桜花(おうか)と、常どおりの軽口の応酬をしながら、()(づき)は宿へ向かう。

 通りの隙間から差し込む曙光を、僅かに目を細めて仰ぎ、桜花が呟く。

「…とはいえ、今から戻ったところで宿はもぬけの殻という可能性もあるが」

 砂月も朝の光を眺めつつ、頷いて口を開く。

「だけど、驚いたよ。あのハルディンがこの国の王子だったなんて…」

「まあな」

「随分軽い口調だなあ…さくらは初めから分かってたんだろう?あの宿のことも」

 砂月が横目で軽く睨むと、桜花は華奢な肩を竦める。

「そんな訳ないだろう。

ただ、あの宿の様子がおかしいと思ったのは、俺たちが足を踏み入れた途端、

食堂にいた客たちが何気ない振りを装って、俺たち…何より、ハルディンの言動に注意を向けていたのが分かったからだ。

俺たちに対する注目は、見慣れぬ旅人に対する好奇心にしては尋常ではなかった。

ハルディンに関しては、最初は知り合いかと思ったが、

あいつらはハルディンに話し掛けるどころか、目も合わそうとしなかった」

「そうか、そういえば……」

 そのときのことを思い出し、砂月は頷く。

「じゃあ、ハルディンについては?」

「それは…」

 桜花が答え掛けたところで、宿に辿り着いた。

 

彼らの予想に反して、宿はそのままの姿であった。

 砂月たちが寄り道をしている間に戻ったのだろう宿の主人が朝食の支度を始めている。

「お帰りなさいませ」

 笑顔で挨拶をする主人の向こう側に、楽師のハルディン…いや、この国の第一王子がいた。

「トゥールジン、だったな。吸血鬼騒動の片が付いた後も、この宿はそのままなんだな」

 桜花が今までと変わりない口調で話し掛けると、トゥールジンは微笑んだ。

 その容貌に相応しい品良い笑みだ。

「この宿は、元々私が市井の民の生活を密かに巡察する為に設けたものだ。簡単に移転したり、消え失せたりはせぬ」

 言って、颯爽とした足取りで、食堂の卓の一つへと向かう。

応じるように、宿の主人、客たちが恭しい物腰で動き出す。

宿の主人が引いた椅子に腰を掛けたトゥールジンが、桜花たちに座るよう目で促す。

 先程まで客であった王子の配下が引いてくれた椅子に、桜花と砂月は腰を掛けた。

「…さて、偶然か必然か、貴殿らの関わりがあった故に、近隣諸国を騒がせていた事件が一応片付いた。

貴殿らがいなければ、事件解決までに更に時間を要したに違いない。この国の民も多く犠牲になったことだろう。

貴殿らには改めて礼を申し上げたい」

「偶然ですよ。礼を言われることではありません」

「そう。俺たちは自分の身を守る為に、振り掛かってきた火の粉を払っただけだ」

「だが、その貴殿らの行動が、我が国の民を守ることに繋がった。やはり、礼はさせてもらわねばなるまい」

 揃って自分たちの功績を否定する砂月と桜花に向かって、トゥールジンは微笑む。

恐らくこれが本来の彼の笑い方なのだろうが…

 楽師を装っていた彼の大口を開けた笑いを最初に見ていただけに、奇妙な違和感を覚えてしまう。

 違和感と言えば、その口調もそうなのだが。

そんなことを砂月が考える傍ら、トゥールジンは言葉を継いだ。

「この件を父王に報告したところ、貴殿らを是非王宮に招きたいとの仰せだった。

正式に王宮の客人として迎えて、礼代わりのささやかな宴を催す意向であられる」

 トゥールジンの言葉に、桜花が柳眉を顰める。

「大袈裟だな」

「大袈裟なものか。それに貴殿は、有名を誇る咲一族でもあるだろう。

父王は世界有数の医術師に会いたいという思いもお持ちなのだ」

「僕はおまけですか…」

 砂月が呟くが、トゥールジンは聞こえなかったようだ。

「どうだろう、我らの招待を受けてくれるだろうか?」

「あんたの父親は大変な難病にでも罹っているのか?」

「…いや、いたってご健勝だが…?」

 桜花から問いに問いで返され、トゥールジンは怪訝そうに数回瞬きをする。

 桜花は軽く腕を組み、唇だけで何処か挑戦的に微笑む。

「ならば、医術師である俺の出番はないな。せっかくの招待だが、ご遠慮させて頂く」

「しかし…」

「俺たちは王宮で見世物になるつもりはない」

 静かな口調だが、きっぱりと拒絶され、トゥールジンは口を噤む。

 やがて、諦めた溜め息を吐いた。

「…残念だが、無理強いする訳にもいくまい。父王には私から取り成しておこう」

「そうして貰えると有難い。ところで、話はこれで終わりか?」

「ああ、取り敢えずは」

 砂月を促して立ち上がった桜花を、トゥールジンは座したまま見上げる。

「この国を離れられるか?」

「ああ。偽られたとはいえ、あんたたちには世話になった。そうだ、あんたの父親にこう伝えておいてくれ。

もし、治る見込みのない難病に罹られた際には、呼ばれれば参上すると」

 そう言った桜花は、悪戯っぽく微笑んで言葉を続けた。

「ただし、特別報酬で診させて頂くがな」

「それは、無報酬で診るということか、それとも、報酬を上乗せして診るということか?」

「さあな。恐らくあんたが思っているのが、正解だよ」

 少々きつい言葉を、可憐とも言える笑顔で口にする桜花に、トゥールジンは苦笑めいた笑みを浮かべた。

「その旨、確かに父王に伝えておこう」

 そうして、彼が手を打つと、彼の部下が桜花らの荷物を持って現れた。

「念の為、中身を調べさせて頂いた」

「やはりですか…」

「何の問題もない。事後承諾ですまないな、砂月殿」

 今度は砂月の呟きを捉えたトゥールジンが、悪びれることなく言う。

「今更ですね」

「だから、この前に言っただろう。痛くもない腹を探られたところでこちらはどうということもないと」

 荷物を受け取った砂月と桜花を、立ち上がったトゥールジンが交互に見詰める。

「事件は解決したが、ひとつ残念なことがある。あの女吸血鬼を消滅させた聖剣が失われたことだ。

あの多くの目があった現場で煙の如く消え失せた。もしや、貴殿らはその行方を…」

 途中で言葉を途切れさせたトゥールジンは、軽く首を振り、苦笑交じりに言い繕う。

「貴殿らが知る訳はないな。失礼なことを申したな、すまない」

 砂月と桜花は一瞬互いの目を合わせたが、敢えて口を開かなかった。

 

 宿の出口で見送りに立ったトゥールジンが、ふと思い出したように桜花に問い掛けた。

「そう、ひとつ確かめたいことがあったのだ。桜花、貴殿は何故、私が旅の楽師ではないとすぐに分かったのか?

これでも私は長い間、楽師ハルディンとしてこの国や近隣諸国を巡っていた。

その間、一度も見破られたことなどなかったのに…」

「そう言えば、僕もそのことを訊きたかったんだ」

 砂月もふとその疑問を思い出し、隣にいる桜花を見る。

 ふたりに問いの眼差しを向けられた桜花は、肩に負った荷物を背負いなおしながら応えた。

「その言葉だよ」

「言葉?」

「そう。ハルディンが使っていた共用語だ。

旅をするうちに覚えたと言っていたが、それにしては言葉遣いと、何より発音が整い過ぎていた。

きちんとした言語教育を受けた人間が使う共用語だ」

「そうなのかい?僕は全く気付かなかったよ」

「砂月はこの国の言葉を知らないだろう。だから、気付かなかったんだ。この辺り一帯の言語は、発音が少し特殊だ。

その所為で、この辺りの人々は、旅や観光客相手の商売なんかで、共用語を覚えても、

言葉に独特の訛りのようなものが出る。だから、少し聞き取りにくい。

だが、ハルディンや宿の主人が話してる言葉は聞き取り易かっただろう?」

「確かに。なるほどそういうことか…」

 納得する砂月の前で、トゥールジンは溜め息を吐く。

「まさかそのようなことで見破られるとは…なるべく崩すよう言葉遣いには気を付けていたつもりなのだが」

 その言に、桜花は白い美貌に、朗らかな笑みを閃かせた。

「いや、普段の口調がそれなら、なかなか上手く崩せていたと思うぞ。

ときどき、行儀の良い言葉が混じっていたが、殆どの奴は気付かないだろう」

 参ったというように、トゥールジンは肩を竦めて苦笑する。

「流石、あらゆる国々の言葉を操れると噂の咲一族だ。今後は気を付けるとしよう」

 そう言うと、トゥールジンは端正な顔に、ニヤリと楽師ハルディンの笑みを浮かべた。

「じゃあな、おふたりさん。気が向いたら、また来なよ。いつでも歓迎するからさ」

 砂月と桜花は顔を見合わせてから笑う。

「ああ」

「そうですね、気が向いたら」

 ひらひらと手を振るハルディンに見送られ、砂月と桜花は身を翻す。

「ああ、そうだ、砂月!」

 思い出したようにハルディンが砂月を呼び止める。

「…一体何です?」

「お姫さまとのふたり旅だ。これからも気苦労が多いだろうが、頑張れよ!!」

「余計なお世話です!!」

 にやにやしながら言うハルディンに、砂月は憤然と応えてから前に向き直る。

 そんな砂月を桜花は不思議そうに見上げた。

「何の話だ?」

 

 

 砂月が帰ってこない。

 今、自分の傍にいない。

 

 カーテンを閉め切った部屋の中、こうしてベッドの中で手足を縮めて、一体どのくらいの時間が経ったのだろう。

 幾度か使用人が扉を叩いて自分を呼んだような気がするが、それもやがて聞こえなくなった。

 

 砂月がいないと、世界はこんなにも暗い。

 そうだ。

 彼がいなければ、周りにあるもの全てが意味を失くす。

 この自分でさえも……

 

 誰もいない無音の部屋の中で、ふっと空気が動いた。

「もう一方は、このようなところに閉籠もっていたか」

 同時に聞こえた男の声に、(せい)()は弾かれるように身を起こした。

 

 砂月ではない。

 砂月よりも低い、だが良く似た声。

 

 いつの間にか目の前に、背の高い男が立っていた。

 薄暗い部屋の中でも仄かに光を発しているように見える黄金(きん)の髪をその長身に纏っている。

 若々しい華やぎと圧倒的な気迫を持った眩しい美貌。

 その人間離れした美貌を一際際立たせる紅い瞳が、笑みに僅かに細められた。

 砂月の右目と同じ色。

「私が何者であるか、お前にも分かるようだな」

 星砂は息を呑むようにして頷いた。

 

 似ている、自分に。

 そして、誰よりも砂月に。

 

 その青年が星砂に向かって優雅とも言える動きで、手を差し伸べた。

「来るか?」

「…どうして?」

 その瞳は自分を見てはいないのに。

 星砂の問いに、青年は端正な口元を綻ばせた。

「さあな。単なる気紛れだろう」

 今、手の届くところにはいない者を恋うその眼差しは自分と良く似ていた。

 だからだろうか、自分と砂月を捨てた相手だと分かっても、不思議と嫌悪感を感じなかった。

「だが、私と共に来れば、お前は欲しいものを取り戻せるかもしれないぞ」

 星砂は、はっと翠色の瞳を見開く。

「貴方は…砂月が何処にいるか知っているのね?」

 青年は笑みだけで応える。

 差し伸べられた青年の白く長い手指。

 そこに星砂は、迷わず自分の華奢な手を重ねた。

 

 瞬間、炎のような光がふたりの身体を包み込む。

 その光は薄暗い部屋を染め上げ、瞬く間に消えた。

 

 元の薄闇に包まれた部屋の中には、もう誰もいない。

 

ただ、寝台を覆う帳が僅かに揺らめくばかりだった。

 


お疲れ様でした。 『哀恋』全20話にて、連載終了で御座います。 何だか不穏なところで終わっておりますが…(汗) ここでは「哀恋=叶わぬ恋」です。 その点では、主軸となっている(?)女吸血鬼への貴族青年の叶わぬ恋だけでなく、 桜花への砂月の想い、コウの想い、そして、砂月への星砂の想いも「哀恋」となります。 このそれぞれの「哀恋」が今後、どのように進み、変化していくのか… 砂月と桜花の関わりを中心として描いていくつもりです。 今回のお話では幾つかの新しい事実が明らかとなりました。 噂の砂月の父親が、時折桜花の前に現れる謎の青年、コウそのひとであったり。 しかも、コウと砂月の容貌が実はそっくりだったり。これは、文章表現だからこそ使えるネタばらしの手法ですね(笑)。 そして、桜花が男性でも女性でもない中性体であることも明らかになりました。 「恋」という感情が実感として理解できない桜花にも、今後の課題(?)は残っています。 色々考えたのですが、このシリーズでの次のお話は、桜花の過去の話を中心として進めていくことにしました。 ここで、まだ明らかになっていない桜花の秘密を一気に明かしておいた方が話が進めやすいかなと(笑)。 連載再開しましたら、また、宜しくお付き合い下さいませ♪ 長らくのお付き合い有難う御座いました(平伏)。 前へ  目次へ